万葉集その二百五十一(万葉の立山は剣岳か)

『 北アルプスの南の重鎮を穂高とすれば北の俊英は剣岳であろう。
 層々たる岩に鎧(よろ)われて、その豪宕(ごうとう)、峻烈、高邁の風格は
この両巨峰に相通じるものがある。

「万葉集」に載っている大伴家持の「立山(たちやま)の賦(ふ)並びに短歌」に
讃えられている立山(たちやま)は、今の立山ではなく剣岳であろうという見解を
私は持っている。
太刀(たち:剣)を立ちつらねたようなさまであるから「たちやま」と名づけられた。
家持の歌に和して大伴池主の作った歌の中の
「厳(こご)しかも巌(いわ)の神さび-」とかいう描写は剣岳以外には考えられない。』    
                 ( 深田久弥 日本百名山 剣岳2,998m)

「 朝日さし そがひに見ゆる   神(かむ)ながら み名に帯ばせる 
白雲の 千重(ちへ)に押し別け   天(あま)そそり 高き立山 
夏冬と 別(わ)くこともなく  白栲(しろたへ)に 雪は降り置きて 
いにしへゆ あり来にければ
  こごしかも 岩の神(かむ)さび   たまきはる 幾代経にけむ- - 」
                巻17-4003 (長歌の一部) 大伴池主

「 立山に 降り置ける雪の 常夏に
    消ずてわたるは 神(かむ)ながらとぞ 」 巻17-4004 同


( 朝日を受け、背をくっきりと見せて聳え、神の山という立派な御名を
もっておられる立山。
 白雲のいく重なりをも押し分けて天空に高くそそり立つこの山は、
冬夏といわず年中いつも真っ白に雪が降り積もって
長い間の年月を経てきたので
 険(けわ)しい岩石も神さびている
この神々しさはいったい幾代経てきたことであろうか- - )

( 立山に降り積もっている雪が夏でも消えないのは
 神の御心のままということなのだ  )

「そがひに見ゆる」: そがひは後ろ向きの意。
            東方の逆光の中にくっきりと浮き立つ山姿を背をみせているといった。
「み名に帯ばせる」:  立山に名に「太刀」を連想したゆえに帯ばせるとしたものか
「こごしかも」:  岩の険阻なさまを感動を込めていったもの

剣岳は日本アルプスの山々が登り尽くされる最後まで人を寄せ付けなかった霊峰で、
登ってはならない山とされていました。
明治40年当時、日本の登山は宗教による開山を目的としたもの以外はすべて
測量のためになされ、陸軍参謀本部陸地測量部の所轄でした。

ところが民間の山岳会が剣岳初登頂を試みようとしたのです。

『 「その山がなんの目的もない山岳会の人たちによって初登頂されたとなれば、
それこそ陸地測量部の恥でなくてなんであろうぞ。」
陸軍少将大久保徳明は最後の言葉を怒りをこめて言った。:(新田次郎 剣岳)』

かくして、陸地測量部に命をかけた登頂命令が下ります。
 命令を受けた測量官、柴崎芳太郎は周到な調査と用意を重ね、さらに優秀な案内人
宇治長次郎を得て、総勢4人で雪に覆われた急峻な岩ぶすまに果敢に挑みました。

「 彼は望遠鏡を出して覗いた。
それは鑢(やすり)で磨き上げられたような鋭い岩峰であった。
 立山連峰のどの山とも似ていなかった。
 剣岳だけが地質学的な成因を異にしたような山に思われた。
 浄土山も雄山も大汝(おおなんじ)山も別山もすべておだやかな表情をしていた。
 剣岳だけが一角で肩をいからし、近づく者を威嚇しているようであった。」
                                  (新田次郎  同より)

食料やテントなどの必需品のほか、100キロを越す測量機材を持ち、道なき道を
あえぎながら登るという苦闘の末、最後の難関の雪渓に取り付きます。
そして遂に1907年7月13日、測量部隊は人跡未踏と思われていた頂を極めました。

ところが、信じがたい光景に遭遇します。
頂上にはなんと! 修験者が使用していたと推定される槍の穂と錫杖(しゃくじょう)の
頭が置かれていたのです。
しかも錫杖はのちに唐時代の作と鑑定された古いものです。

いつ、誰がどのようにして登ったかは未だに不明とされていますが、兎も角大昔、
装備も何もない時代に宗教心に燃えた修験者が不退転の勇気と鋼のような意思を
もってこの山の頂上に到達していたのです。

その報告を受けた軍首脳は測量隊員に対して賞賛やねぎらいの言葉もなく、
「ご苦労であった」という一言のみ。
あとは何の沙汰もなく新聞発表も禁じたそうです。

「剣岳には登頂した。至上命令は果たしたのだ。
しかしその功績を上層部が認めて彼の測量官としての将来に光を当ててくれるか
どうかは、はなはだ疑問であった。
初登頂でなかったという理由で柴崎の業績は結果的には意味のないことであったと
考えているのかもしれない」 (新田次郎、同)

測量本来の目的よりも民間の登山家に先を越させまいと体面のみを重んじて
部下に命を懸けたさせた旧陸軍参謀本部の醜い体質を見るような思いがする一文です。

「昔は立山も剣も一様に立山と総称されていたのに違いない。
越中の平野から望むと立山は特にピラミッドにそびえた峰でもなければ左右に際立った
稜線をおろした姿でもなく、つまり一個の独立した山というより波濤(はとう)のように
連なったやまという感じである。
ことに富山あたりからではその前方に大日岳が大きく立ちはだかっていて
立山はその裏に頭を出しているだけなので、山に詳しい人でなければ立山を的確に
指摘することはできまい。」       
( 深田久弥 日本百名山 立山より )

「 六十七歳の 老のよろこびを 誰に告げむ
          剣岳の上に けふ岩を踏む 」    松村英一

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by uqrx74fd | 2010-01-24 10:21 | 自然

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