万葉集その二百五十三(栲:たく=楮:こうぞ)

栲(たく)は楮の古名とされ、その繊維が丈夫なので、古くから衣類、網、縄、
衾(ふすま:寝具)、領布(ひれ)、さらには木綿(ゆふ)や和紙などの材料とされてきました。

木綿(ゆふ)とは神事のときに用いる白い襷(たすき)や幣(ぬさ)のことで、綿から作る
「もめん」とは全く別物。 字は同じでも「ゆふ」と訓みます。
また、領巾(ひれ)は古代の女性が首から肩にかけていた布で、当初は咒的儀式に用いて
いましたが、のちには装飾用の白いスカーフのようなものになりました。

「 栲領巾(たくひれ)の 懸けまく欲しき 妹の名を
   この背の山に 懸けばいかにあらむ」
          巻3-285 丹比真人笠麻呂 (たじひの まひと かさまろ)


( 栲領巾(たくひれ)を肩に懸けるといいますが、口に懸けて呼んでみたい妹という名。
  この山の名前をいっそのこと「妹の山」に変えてみたらどうだろうか。)

701年文武天皇紀伊行幸のおり、お供の作者が背の山(和歌山県紀ノ川北岸)を
越えるときに詠んだ一首です。

「背の山」という名前から故郷に残してきた妻(=妹)を思い出し、
「この山の名前を妹(いも)に変えたらどうかな」と言葉遊びをしながら
望郷の念を込めたものですが、

「故郷の奥方が折角“背の君 背の君”とあなたを愛(いと)しんでいるのに
山の名を変えるなど、とんでもないよ」と同行人に言い返されています。

「 荒栲(あらたへ)の 布衣(ぬのきぬ)をだに 着せかてに
       かくや嘆かむ  為(せ)むすべをなみ 」   
                            巻5-901 山上憶良


( 粗末な着物すら着せてやれなくて、このように嘆かなくてはならぬのか。
どうしてよいのか、手のほどこしようがないままに- -。)

「荒栲の布衣」とは粗末な衣類のことです。
作者は当時、老身(74歳)の上、長年の病で苦しんでいました。

「 いっそのこと死んでしまいたいが、いじらしい子供を置いて死ぬにも死ねない。
この貧しい子供を守ってやれるのは親である自分しかいないではないか。」
という悲愴な気持がひしひしと伝わってくる一首です。


楮は三椏(みつまた)、雁皮(がんぴ)と共に和紙の材料に用いられ、
奈良時代、既に製紙が行われていましたが紙漉きの歌は残されておらず、
江戸時代の橘 曙覧の登場まで待たねばなりませんでした。

「 流れくる 岩間の水に 浸しおきて
    打敲(うちたたく)草の  紙になるとぞ 」 橘 曙覧


楮の木の皮を剥ぐために水に浸して叩く作業を詠っています。

「 翁ゐて 楮ならべる 雪晒(さら)し」 伊藤敬子

 さらに、蒸して皮をはがし、包丁で薄く削いで雪に晒します。

「 手に水を 冬も打(うち)ひたし 漉(す)きたてて
     紙の白雪  窓高く積む 」 橘 曙覧


寒い冬でも手を水に入れて紙をすき、乾かすために板に貼って立て、
白雪のような紙を窓のそばに高く積んでいる情景です。

歌での紙作りは簡単そうに見えますが、実際には四十以上もの複雑な
工程を経て作られ、美しい紙を漉くまでには長年の修練が必要だそうです。

楮の繊維は、絡みやすく強靭なので最高級の文書用紙として用いられ、中でも
土佐、石州(島根)、西の内(茨城)、美濃、越前紙などが昔からよく知られています。

『 紙と言うものは支那人の発明であると聞くが、われわれは西洋紙に対すると単なる
実用品という以外に何の感じも起こらないけれども、唐紙や和紙の肌理(きめ)を見ると、
そこに一種の温かみを感じ心が落ち着くようになる。

同じ白いのでも、西洋紙の白さと奉書や白唐紙の白さとは違う。
西洋紙の肌は光線を撥(は)ね返すような趣があるが、奉書や唐紙の肌は
柔らかい初雪の面のように、ふっくらと光線を中へ吸い取る。

そうして手ざわりがしなかやであり、折っても畳んでも音を立てない。
それは木の葉に触れているのと同じように物静かでしっとりしている。』

                  ( 谷崎潤一郎 陰翳礼賛 中公文庫)

「すたれゆく業を守りて紙を漉く」     藤丸東雲子

以下ご参考
( 三椏(みつまた)の歌と製紙の歴史について)

万葉集その百五十五(さきくさ:三枝)

「さきくさ」はその枝が三つに分かれているところから「三枝」と表記され
「三椏」(ミツマタ)のこととされています。( 沈丁花、ヤマユリなどの説もあり)

 古くから楮、雁皮と並んで重要な和紙の原料とされ、丈夫で栽培しやすい上
精巧な印刷や透かし入れが可能なため現在では主として紙幣、証券、印紙などに
用いられています。

「 春されば まずさきくさの 幸(さき)くあらば
           後にも逢はむ な恋ひそ我妹(わぎも)」   
             巻10-1895 柿本人麻呂歌集


( 春になるとまず咲くさきくさ。その言葉のように幸く無事であったら必ず
  また会えるでしょう。そんなに恋焦がれて苦しまないで下さい。いとしい人よ)

作者はこれから長い旅に出かけるのでしょうか?
当時の旅は野宿、食料持参が原則。
途中の山道で迷い狼や熊に襲われたり、また食が尽きて行き倒れる人も多く、
無事生還の保証がありませんでした。「幸くあらば」に実感がこもる一首です。

三椏は十二月頃蜂の巣のような蕾を生じ、そのまま越冬します。
早春になると薄い黄色の花をつけ周囲にほのかな芳香を漂わせてくれます。

「 枝ごとに三つまた成せる三椏の
         つぼみをみれば蜂の巣の如 」  長塚 節


紙の発明は105年中国の蔡倫(さいりん)が「樹皮、麻、ぼろきれ、魚網から紙を
つくった」(後漢書)のが最初のものとされています。

我国では奈良時代に独自の製紙法を開発していましたが610年高句麗の僧曇微
(どんちょう)が最新の技術をもたらしたそうです。(日本書紀)

現存最古の紙は聖徳太子筆といわれる法華義疏(ほっけぎしょ)で産地は不明。
最古の和紙は701年の美濃、筑前、豊前各国の戸籍に用いられたものとされ、
いずれも正倉院文書として保存されております。

奈良時代の正倉院文書は約1万点保存されていますが、その多くに産地が記されており
紙漉きを行っていた国は20カ国に及びました。
各国府で政庁の指導の下に製紙場が設けられて各地で消費する紙をまかない、
上質のものは中央に貢納されたそうです。

平安時代には和紙を貢納する国が42カ国にもなり京都の官営の紙屋院では
大量の反故紙を漉きなおしてリサイクルし、再生した紙は墨色が残るので
薄墨紙とよばれました。

  「みつまたや みな首たれて花盛り」 前田普羅
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by uqrx74fd | 2010-02-08 05:16 | 植物

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