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万葉集その二百五十四(荒ぶる)

日本神話で天の岩屋戸事件を起こしたスサノオノミコトという神様がおられます。
アマテラスオオミカミの弟で、生まれもっての暴れものです。
その名前の「スサ」は「スサブ」という言葉からきており、漢字で「荒(スサ)ぶ」と
書かれます。
すなわち「荒ぶる」という言葉の原義は「荒れすさぶ」の意なのです。

記紀、祝詞では「荒ぶる神」という用例で、未開の土地の恐ろしい神や
自然の猛威など表現し、万葉集での「荒ぶる」は主として人と自然、あるいは
人と人との親密な関係に亀裂が生じて疎遠になる場面で用いられています。

「 筑紫船(つくしふね) いまだも来(こ)ねば あらかじめ
                荒ぶる君を 見るが悲しさ 」 
          巻4-556 賀茂 王(かものおほきみ:長屋王の女(むすめ)


( あなたを乗せてゆく筑紫通いの船 その船がまだ来もしないうちから、
もう気持がすさんでいるあなた。そんな様子を見ているのは本当に悲しいですわ。)

この歌は529年、大伴三依(みより)が筑紫赴任を命ぜられたときに詠われたものです。
作者の父、左大臣長屋王は同年、左道(さどう;不正な道)を学んだ罪に問われ自刃に
追いやられました。
藤原家の政治上の陰謀ともいわれています、
大伴三依はそのような人物の娘と親しくする身の危険性を覚え、遠ざかろうとした
のかもしれません。

「あなたは私から早く離れたいのでしょうか。
長いお別れなのだから少しは優しい言葉をかけてくださってもよいのに」と
嘆いている不憫な女性の姿が目に浮かぶようです。

「 栲領布(たくひれ)の 白浜波の寄りもあへず
              荒ぶる妹に 恋ひつつぞ居(を)る 」
                    巻11-2822 作者未詳


( 波。その白さはまるで栲領布(たくひれ:楮で織ったスカーフ)のようだ。
激しくうち寄せているのでとても近寄れないなぁ。
お前のつっけんどんさ加減はまるでこの波のようだよ。
なぁ、いい加減に機嫌を直してくれんかいな。
そんな愛想がないお前でも俺は惚れているんだから。)

女は男に不満を感じて拗ねているのでしょう。
男の大げさな詠いぶりに余裕、戯れが感じられる一首です。

 以下は 松岡正剛著 「花鳥風月の科学」(中公文庫) から要約抜粋です

『 やがて「スサブ」あるいは「スサビ」という言葉は「口ずさみ」とか
「手すさび」という使い方になってゆき、「口遊び」「手遊び」と綴って
「スサミ(遊み)」と訓ませている。
すなわち、最初の「荒ぶ」の感覚はどこかで「遊ぶ(すさぶ)」に変化して
いったのです。
どのような変移が起こっているかというと、もともとは荒れていくさまに
風情が感じられた時期があり、その感覚がしだいに遊びの対象になる。
つまりわれわれの遊びの文化史では、アソビの背後には必ずスサビの感覚が
控えており、その後も日本の芸能場面の多くに再生してきます。

たとえば歌舞伎には和事(わごと)と荒事(あらごと)とがありますが、
荒ぶる神スサノオのイメージはそのうちの荒事にあたっています。

歌舞伎の荒事の主人公、たとえば曽我五郎、助六、鎌倉権五郎、弁慶、
などはいずれもスサノオの傍若無人のふるまいに似ている。
荒ぶこと、それは人々を遊ばせる大いなる仕掛けとなったのです。 』
  
   「 荒ぶる吹雪の 逆巻くなかに
      球蹴る我等は 銀塊くだく ― ―」
   
          
       (早稲田大学蹴球〔しゅうきゅう:ラグビー〕部部歌 
           小野田康一作詞)

by uqrx74fd | 2010-02-15 08:39 | 心象

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