万葉集その二百六十(佐保路、佐保姫)

『 天平時代の建物だという転害門(てがいもん)から、まず歩き出して法蓮という
ちよっと古めかしい部落を過ぎ、僕は、さもいい気持そうに佐保路に向かい出した。

此処、佐保山のほとりはその昔、-ざっと千年もまえには大伴氏などが多く屋敷を
構え、柳の並木なども植えられて、その下を往来するハイカラな貴公子たちに
心ちのいい樹蔭(こかげ)をつくっていたこともあったそうだけれども、
- いまは見わたすかぎり茫々とした田圃で、その中を真っ白い道が
一直線に突っ切っているきり。 』  
                             ( 堀 辰雄 大和路信濃路 新潮文庫 )

「朝刈りの 草芳(かぐは)しき 佐保路かな 」 東 妙子

佐保路は東大寺、転害門(てがいもん)から西の法華寺に至る大路です。
昔はその路を左右にして、北には佐保山とそれに連なるなだらかな丘陵地、
南へは佐保川が清らかに流れていました。

山野には四季とりどりの花が咲き乱れ、川には千鳥や河鹿が棲む景勝の地で
万葉人はこの界隈を佐保の内とよんで、長屋王や大伴、藤原氏などの貴族が
大邸宅を構えて舟遊びなどを楽しんでいたことが次の歌からも伺われます。

     「佐保山の 清き川原(かはら)に 鳴く千鳥
           かはづと二つ 忘れかねつも 」 
            巻7-1123 作者未詳 (その21河鹿 既出)


今の佐保川の堤には桜が植えられていますが、万葉の昔は川原の青柳が風にそよぎ、
平城京につながる一条南大路には、柳の街路樹が立ち並ぶ心地よい散策地でした。

   「 我が背子が 見らむ佐保路の青柳を
        手折りてだにも 見むよしもがも 」
                  大伴坂上郎女 巻8-1432


( あの方がいつもご覧になっているに違いない佐保路の青柳。
その青柳をせめて一枝なりとも手折りたいのに- -。 残念ですわ)

作者は都から離れた田舎で田畑の世話をしていたようです。
柳は生命力が強いので手折って髪に挿して長命を願ったり、魔よけにしていました。


「 佐保山に たなびく霞 見るごとに
   妹を思ひ出(い)で 泣かぬ日はなし 」 巻3-473 大伴家持


( 佐保山にたなびいている霞、 その霞を見るごとにあの子を思い出し、
悲しみの涙がこみ上げてくる日々です。 ) 

作者15~16歳の頃、女児までなした最愛の妾を亡くしました。
悲嘆にくれた家持は、初恋の人に対する切々たる想いを十二首、弟の書持(ふみもち)も
それに和して一首詠います。
在りし日の思い出の数々、残された幼子のことなど。

たなびく霞に亡き人の面影を連想しているのでしょうか?
あるいは火葬されたときの煙を思い出しているのでしょうか。
それは「家持のみずから奏でる青春のレクイエムであった」
( 青木生子 日本文学の美と心 おうふう) ようです。

妾:「 当時の社会で公認されていた妻の一人。但し正妻ではない」)

「 千鳥鳴く 佐保の川門(かはと)の清き瀬を
      馬打ち渡し いつか通はむ 」 巻4-715 大伴家持


( 千鳥が鳴く佐保川の清らかなせせらぎ。
  その渡り場から、馬を急がせてあなたのところへ早く行きたいのですが、
でもその日が来るのはいつのことか)

「早く逢いたいが、よんどころない事情で今は会えない」と詠う相手は
婚約者、大伴坂上大嬢(おおいらつめ) と思われますが、当時、家持は多くの
女性との交遊に忙しかったようです。

「川門」:両岸が狭くなっている渡り場。

     「 春の初めの歌枕 霞たなびく吉野山 
     鶯 佐保姫 翁草 花を見捨てて帰る雁」( 梁塵秘抄 )


古代、春は東の方角から来るものとされていました。(五行説)
奈良の東側にたたずむ佐保山の神は春の女神とされ、平安時代に佐保姫と
よばれるようになります。

美しい響きをもつ「佐保姫」という言葉が初めて歌われたのは次の歌です。

「 佐保姫の 糸そめかくる青柳を
       吹きな 乱りそ春の山風 」     源 兼盛
 

( 山風さんよ、佐保姫が美しく織りなした青柳を吹き散らすなよ!) 

「 法華寺の里に玉苗余りけり」  大屋達治

『 久しぶりに奈良の法華寺におまいりした。
この寺の門から、尼僧達のお住居へ通じる道が私は好きである。

道といっても、白い砂利を敷きつめた上に、四角の切石を並べてあるだけで、
いかにも門跡寺院らしい気品と優しさにあふれている。- -

まぶしいばかりの白一色の庭と、遠くにかすむ佐保山の緑、それを背景に紫の衣を
召した門跡さんが立たれたとき、目ざめるように見えたことを思い出す。
昔の人々はそういう色彩の調和まで考えて造ったのであろう 』

( 白州正子 十一面観音巡礼 新潮社 )

そして、お堂には光明皇后をモデルにしたと伝えられる豊満な表情の十一面観音様。
 
「 佐保姫の もてなしあつし 独り旅」 正岡子規

  春の色とりどりの野山は佐保姫の厚いもてなし。
  冬枯れの野山が、梅や桜に彩られ、やがて新緑に染まってゆきます。

ご参考:「佐保路ガイド」

「佐保路」: 東大寺の転害門から西の法華寺に至る大路 
        佐保山の麓 佐保川の北岸に沿う。
        平城京の南一条門の大路で多門城址や多くの寺がある
「佐保川」: 春日山東方の石切峠に発し、奈良市北部を西南に流れ大和郡山市
        額田部の南で初瀬川と合流して大和川となる。
        全長19km 古くからの歌枕
「海龍王寺」: 光明皇后の本願で創建、唐から帰った玄昉(げんぼう)が住したという
「法華寺」:  光明皇后が父不比等の旧宅を寺としたもので大和国の総国分尼寺となり
         尼僧の修法道場として栄えた
「興福院(こんぶいん)」 : 閑静そのものの瀟洒な尼寺 
「不退寺」:  在原業平が平城天皇の萱(かや)の御所に自作の観音象を安置し
         精舎としたのが始まりで業平寺ともいわれる
「佐保陵(さほのみささぎ)」:
         法蓮の西一条南大路と佐保川とが交叉するところから
         すぐ北に、うしろに佐保の丘陵を負って聖武天皇と
         光明皇后との御陵(墓)がある。
         天平文化の最盛期をつくりだした信心あつい天皇と皇后、
         東の方角にその象徴である大仏殿の甍が聳え立つ。
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by uqrx74fd | 2010-03-28 20:03 | 万葉の旅

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