万葉集その二百六十二(弥彦山:やひこさん)

「 いやひこの 杉のかげ道 ふみわけて
       われ来にけらし そのかげ道を 」  良寛


弥彦山は昔、「いやひこ」とよばれ、新潟県弥彦村の海沿いにあります。
我国で最も古い由緒をもつ山の一つで、県の中央部に位置し、南北に連なる
長い山容を誇り、西に海を隔てて佐渡島、東に蒲原(かんばら)平野を一望しています。

  「 弥彦(いやひこ) おのれ神(かむ)さび 青雲の
     たなびく日すら 小雨(こさめ)そほ降る 」 
                       巻16-3883 作者未詳


( 弥彦のお山 このお山は おのずと神々しく 青雲の美しく棚引く
 こんな晴れた日でさえ、小雨を、ぱらぱらと降らせている ) 

古代では山そのものを神と崇めていました。
晴れた日でさえ、田畑に恵みの雨を降らせてくれる山神に対して畏敬と感謝の
気持を込めて詠われた古謡と思われる一首です。

『 高さ638mに過ぎない弥彦山が、そんなに古い時代から崇められてきた理由は
その地へ行ってみるとわかる。
越後の穀倉といわれる蒲原の広い平野のどこからでも、野の果てに
この山が眺められる。

主峰から多宝に続くゆったりした尾根が、一つの独立峰の形で、麗しく眺められた。
田畑に勤労する農夫たちは、朝な夕なその麗しく気高い眺めに接して
畏敬と親愛の情を抱くようになったのは当然であろう。

そしてその山へお参りしょうという気がおきたのも当然だろう。
そして麓に山神を象徴する宮が出来、門前町がひらけた 』

          ( 深田久弥 百名山以外の名山50 河出書房新社)

なお、この歌の詞書に「越中(富山県)の歌」とあるのは、大宝2年(702)まで信濃川以西は
越中に属していたことによるもので、配置換え後も旧地の名称を用いているのは、
「縄張り意識などの古い地理観念が持続されていたもの(藤原茂樹)」
との指摘がなされています。

「 弥彦(いやひこ) 神の麓(ふもと)に 今日(けふ)らもか
    鹿の伏すらむ 裘(かはごろも)着て 角つきながら 」
               巻16-3884 作者未詳 仏足石歌体


( 弥彦の山の麓では 今日もまた、鹿が畏(かしこ)まって、ひれ伏しているだろうか。
 毛皮の着物を身に付け、角を頭に戴きながら ) 
 
この歌は575777を基調とする仏足石歌体といわれる万葉集唯一のものです。

奈良の薬師寺に仏さまの足跡を石に彫った我国最古の仏足石があります。
さらにその隣に仏の教えを刻んだ歌碑があり、その歌21首すべてが575777という
独特の形式で詠われているのでその名があります。

弥彦山の麓に越後最大の宮である弥彦神社があり、天照大神の曾孫である天香山命
(あめのかごやまみこと)が祀られています。
伝説によると命は住民に漁撈、製塩、農耕、酒造りなどの術を授け、この地方の
文化産業の基礎を築いたとされていますが、「古代何者かの偉人が海に面したこの地方に
上陸し越後を開いた可能性もある」(柳田国男:海上の道)との推定もなされています。

古代オリエントで鹿は聖なる動物とされ、それをもとにして中国で麒麟という
想像上の聖獣が生まれました。

我国でも古くから鹿は神の使いとして大切にされ、特に奈良、春日大社の神鹿は
よく知られていますが、古代、弥彦山の麓でも鹿が生息し、神に鹿踊りも奉納されて
いたものと思われます。

この歌は鹿でさえ威儀を正して神を敬っていると詠っていますが、
人間が鹿の扮装をしていることも示唆されているようです。

東北地方では現在でも鹿踊りが行われていますが、この歴史は古く、
仏教伝来以前に中国から伎楽が伝わった時にもたらされたとされ、柳田国男氏は
『 当初雄鹿の象徴として鹿の角をつけていたものが、伎楽の中の獅子舞の影響を受け
今のような異様な扮装になったのでは? 』と推定されています。

さらに、山口博氏によると『 その源は太古の狩猟時代、獲物に近づくために動物の
毛皮を着込み、角を頭につけて仮装して猟をしていたものが、やがて専門の模倣者が
生まれて豊猟を祈る儀式の呪術者すなわちシャーマンに変化していった』
(古代発掘、小学館) とも考えられています。

    「 初ざくら 髪にかざせり 弥彦巫女 」 石鍋みさよ
[PR]

by uqrx74fd | 2010-04-11 20:16 | 万葉の旅

<< 万葉集その二百六十三(面影)    万葉集その二百六十一(夜桜) >>