万葉集その二百六十七(エゴの花)

「 道も狭(さ)に 散り敷く白き ゑごの花
     踏むは痛々し 踏まねば行けず 」   泉 幸吉


『  ある年の初夏の頃、立川市内を流れている玉川上水を歩いたことがあった。
 - - 両岸は雑木林が緑の帯をつくっている。
 クヌギやコナラにまじってエゴノキがわりあい多く、シャンデリアのような純白の
 花房が、緑のトンネルの天井を飾っている。
 その白い花冠が、赤土のがけに、ほろほろと散り落ちていく。
 舗装もされない両岸の歩道にも、花びらの白が一面に散り敷いている。 』
               ( 足田 輝一 樹の文化誌 朝日選書 )

「エゴノキ」は小川のほとりなどに多く自生しているエゴノキ科の落葉高木です。
初夏になると小枝の先に5弁の白い花が塊になって下向きに咲き、花後、
ラグビーボールのような形をした小さい緑色の果実が無数に実り、熟すと
果皮がさけて褐色の堅い卵形の種子が落下します。

昔はその種から油をとり洗濯に使っていたので石鹸の木ともよばれていました。
「エゴノキ」の「エゴ」は果皮にエグ味があるのでその名があり、古代では
「ちさ」とよばれていました。

「 息の緒に 思へる我れを 山ぢさの
    花にか君が うつろひぬらむ 」 巻7-1360 作者未詳


( 命がけで思っている私なのに あなたは山ぢさの花のよう。
  もう気持が変わったの? )

エゴノキの花は美しい純白。
然しながら盛りは短く、すぐに茶色に変色して萎んでしまいます。
花のうつろいやすさにかけて男の心変わりを嘆いている可憐な乙女です。

「息の緒」とは、「苦しさのあまり死を思う状況の中で、僅かな生を意識した時に
用いられ、命の極限状態をあらわす言葉(伊藤博)」です。

「 山ぢさの 白露重み うらぶれて
    心も深く 我(あ)が恋やまず 」 巻11-2469 柿本人麻呂歌集


( 山ぢさが白露の重さでうなだれているように、しょんぼりしています。
  でも私の恋心は益々深く、決してやむことはありません )

ちさの花は下を向いて咲くのでうなだれているように見えます。
白露は相手の心の冷たさを表現したものでしょうか。
「露の重さが私の心にのしかかる。でも負けないわよ」と健気な女性です。

なお、この歌の「山ぢさ」は「イワタバコ」、菊科の「ちさ」など草花説があり、
定まっておりません。

「- - ちさの花 咲ける盛りに はしきよし その妻の子と  
   朝夕(あさよひ)に 笑(ゑ)みみ笑まずも - -」
               巻18-4106 (長歌の一部)  大伴家持


(  えごの花が美しく咲く真っ盛りの頃に、あぁ、愛しい奥さんと朝に夕に
   時には微笑み、時には真面目な顔で-  」

「はしきよし」は「愛(は)しきよし」で感動をあらわす

この歌は、家持が越中(富山県)の国守であったころ、単身赴任していた部下が
左夫流児(さぶるこ)という遊女に夢中になり妻を顧みなかった事件があったとき
その部下を教え諭した歌の一部です。
「ちさ」のやさしい白花のイメージを引き合いにだして、夫婦が貧しいながらも
将来を楽しみにしていた満ち足りた生活をしていた頃をさしています。

「 えごの花 ながれ溜れば にほひけり 」 中村 草田男

えごの花は五片の花びらを付けたまま散ってゆきます。
川に浮かんだ白い花はくるりくるりと回転しながら流れ下り、
やがて花筏となってゆきました。
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by uqrx74fd | 2010-05-16 20:16 | 植物

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