万葉集その二百六十八(光いろいろ)

「あらたうと青葉若葉の日の光」 芭蕉

この句は「奥の細道」への旅の途中、日光で詠まれたものです。
目のさめるような濃淡模様の青葉若葉。木々の葉に残った前日の雨の水滴が
降りそそぐ日の光にきらきらと輝いている。
自然の美しさへの感動とともに日光という土地、さらには東照権現の威光への挨拶が
籠っているともされている一首です。

746年の正月、奈良の都に大雪が降りました。
左大臣橘諸兄は諸王諸臣を率いて元正太上天皇のご在所に馳せ参じ、雪掻きの奉仕を
したところ、大いに喜ばれた上皇は酒宴を催されて労をねぎらいました。
宴もたけなわになり、上皇は「みなのもの、歌を奏上せよ」と仰せられます。

「 天(あめ)の下 すでに覆ひて 降る雪の
     光をみれば 貴(たふと)くもあるか 」 
                巻17-3923 紀朝臣清人


( 天の下をあまねく覆いつくして降り積もる雪。
 このまばゆいばかりの雪を見ると、お上の威光の何と貴くももったいないことか)

自然の美しさの中にお上への賛美を込めた一首ながら、なんと芭蕉の句と
発想が似ているのでしょう。
芭蕉も万葉集を勉強していたのでしょうか。

「 あしひきの 山さへ光り 咲く花の
   散りぬるごとき 我が大君かも 」   巻3-477 大伴家持


( われらの皇子が逝ってしまわれました。
 それは山の隅々まで照り輝かせて咲き盛っていたその花がにわかに散って
 しまったようです。)

744年聖武天皇のたった1人の皇子、安積皇子急逝。17歳の短い生涯でした。
橘諸兄をはじめ大伴家持も将来を嘱望していた優秀な人物だっただけに人々の
ショックは大きかったようです。
徳高い皇子を光り輝くばかりの花にたとえ、周囲は一挙に暗黒化したと悼んでいます。

「 ひさかたの光のどけき春の日に
     しず心なく花の散るらむ 」 紀 友則 古今和歌集


百人一首でもよく知られている歌です。
風のそよぎも全くない爛漫たる春の日。
音もなく静まり返っている中を桜の花びらが一枚また一枚と散ってゆく。
桜よ!どうしてそんなに散り急ぐのか。我が心を乱さないでおくれ!

「 山もとの 鳥の声より明けそめて
    花もむらむら 色ぞみえ行く 」 永福門院 (伏見天皇の中宮)


光という言葉を用いないで朝の光を詠った名歌。
大岡 信氏は次のように解説されています。

『 「山もとの」は山のふもとの意。 
山麓一帯にさえずり始める小鳥どもの声から夜は明けそめる。
そして射し始めた淡い日差しの中で、ある場所の花はいち早く日をあび、
別の場所の花はまだ影に沈みながら、むらのあるさまでしだいにはっきり
色を呈してくる。
ここで単に「花」といわれているのは、平安朝時代の言い方のならいで、
桜の花をさしている。
「花もむらむら」に漢字をあてれば聚々、群々でところどころに群れをつくって
あちこちまだらに、という意味の副詞である。
そんな意味よりも先に「花もむらむら」という言葉の響きが、なんというか
あちらこちらでムックリ、モッコリ身じろぎしはじめる花の感じを伝えてくる。

夜明け方、刻々光が移り変わる物の表面の生き生きした表情。
それが「花もむらむら色ぞみえ行く」にぴたりととらえられているところが
たかが三十一文字(みそひともじ)の短い詩の、長い生命の秘密である。 』
                ( 「うたのある風景」日本経済新聞社 )

「 たかんなの 光りて 竹となりにけり 」   小林康治

光はまた生命力の強さをあらわす言葉としても使われます。
「たかんな」とは漢字で「笋」と書き筍(たけのこ)のこと。
 雨後の筍という諺通り、盛んな生命力を「光りて」の4文字に託しています。

「 風光り 雲また光り 草千里 」   門松 阿里子

「風光る」はうららかな春の日にまばゆい陽光のなかを吹き渡る風が、
あたかも光っているように感じられるさまをいう感覚的な季語です。

 そして最後は誰かさんの親の七光り

「 親はこの世の油の光
          親がござらにゃ光ない 」   摂津古歌

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by uqrx74fd | 2010-05-23 08:25 | 自然

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