万葉集その二百七十一(吉備の国)

 「まほろばの吉備津の神の青嵐」      倉田紘文 

         ※青嵐(あおあらし:青葉の頃に吹くやや強い風)

吉備の国は古代有数の地方国家の一つで、その支配地は現在の岡山県全域、
広島県東部、香川県の島々の一部、兵庫県西部にまたがる広大なものでした。
北九州とともに真っ先に稲作が始まった地とされ、さらに鉄の生産、塩田の経営、
瀬戸内海の制海権掌握による海上貿易、造船技術を持つ強大かつ豊かな王国です。

歴代の天皇とも婚姻関係を結び大和朝廷とは政治的な同盟を結んでいましたが、
強大になり過ぎることを恐れた雄略天皇は国の解体をもくろみます。
そして、7世紀から8世紀のはじめ、度々の反乱にもかかわらず、ことごとく制圧され、
ついに備前、備中、備後、美作(みまさか)の4国に分国されました。

現在では上記4国のほか吉備路、作州(美作)ともよばれ、歌や文学、観光案内などに
その名をとどめております。

「 大和道(やまとじ)の 吉備の児島を 過ぎて行(ゆ)かば
    筑紫の児島 思ほえむかも 」    巻6-967 大伴旅人


( 都へ帰っていく途中、吉備の児島を過ぎていく時は、きっと筑紫の児島、お前さんの
 ことを思い出して辛い気持になるだろうなぁ )

吉備の児島は現在の岡山市、玉野市、倉敷市を中心とする児島半島で、古代は独立した
大きな島でした。
付近の海流が早く、潮待ちの港として栄えたところです。

730年大伴旅人は3年間の大宰府長官の任を終え、帰途の旅につきます。
筑紫を去る日、多くの見送り人の中にまじって児島という遊行女婦(うかれめ)の姿が
みられました。
貴族の宴会に招かれ歌を詠んだり、民謡を歌ったりして座を取り持つ教養のある地元の
女性です。
大宰府赴任直後に妻を亡くした63歳の旅人にとって児島のような歌才と優しさを持つ
女性の存在は大きな慰めであったことでしょう。
別れに際して袖を振る児島。

袖振るという行為は古代人にとって相手の魂を鎮め、その魂を招く事を意味していました。
「身分違いの自分なのに無礼とは知りつつ、ついつい我慢が出来なくなり、
はしたないことをいたしました。お許し下さい」と涙ながらに詠う児島。

衆目が注視する中、「ますらをと思っていた私もつい涙が流れでたことよ」と
情の断ちがたい心のうちを打ち明け、「児島を通過する時、お前を思い出すのは辛い事だ」と
応えた心優しい旅人です。

「 牛窓の波の潮騒 島響(とよ)み
   寄(よ)そりし君に 逢はずかもあらむ 」 巻11-2731 作者未詳


牛窓は現在の岡山県瀬戸内市にあり、日本のエーゲ海と讃えられている美しい港町です。
小高い丘にはオリーブ園が広がり、そこから眺める紺碧の海と島々はまさに風光絶佳。
とりわけ夕日が次第に落ちていくさまは幻想的ですらあります。

潮流が早く、満潮時に逆風が強く吹き付けるとサワサワと音を立て、静かな夜などは
島中に鳴り響いていたのでしょう。

( このように港中に噂されたあなたと私との間柄なのに、もう逢いにきて下さらない
  のでしょうか ) と嘆く乙女。

明治から大正にかけて活躍した竹久夢二は牛窓の生まれです。
代表作「宵待草:よいまちぐさ」の一節「待てど 暮らせど 来ぬ人を」を
思い出させるような一首です
 
   「夏来ると 備前の窯の 焔(ほ)むら立つ」 平岡真木子
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by uqrx74fd | 2010-06-13 18:14 | 万葉の旅

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