2010年 08月 01日
万葉集その二百七十八(天の川ロマンス)
また「ふみづき(文月)とも呼ばれたが、それは七月七日には天上の恋人たちを
称える歌が至るところで詠まれたからである。
牽牛と織姫の出会う様子は目のよい者なら誰でも見ることができるといわれている。
それが起こるときに決まって、この二つの星が五色の色に燃え立つからだ。
「たなばた」の神々に五色の供物をあげるのも、また五色の色紙に星を讃える短歌を
書くのもこのためである。
七日の晩に空が晴れればこれら二人の恋人たちは幸運である。
― 牽牛星がたいそう明るく輝くならその年の秋の実りは豊かになる。
織姫星が例年より明るく見えるならば機織やその他もろもろの女の手仕事が
繁盛するといわれる。 』 (筆者註:七月は旧暦)
( 小泉八雲:天の川幻想 船木裕一訳 集英社 )
「 天の川 水蔭草の秋風に
靡かふ見れば 時は来にけり 」 巻10-2013 柿本人麻呂歌集
( 天の川を見やると、水蔭に生えている草が秋風に靡いている。
あぁ、ついにその時がやってきたのだ。)
水辺の草が秋風にそよそよと靡きだすころ、ようやく待ちに待った二人の逢瀬が
はじまると心をときめかせている牽牛。
「時は来にけり」に弾むような気持があふれています。
水蔭草は水に影を映している草で万葉人の美しい造語。
「 君が船 今漕ぎ来らし 天の川
霧立ち渡るこの川の瀬に 」 巻10-2045 作者未詳
( いとしい方の船は今こそ漕いでこちらに来るらしい。
天の川に霧が立ち込めてきた。この川の瀬一面に )
渡河の気配を知る織姫の胸のときめき。
牽牛の船が漕ぎ進むにつれ、櫂(かい)の雫が霧となる幻想的な場面です。
「 天の川 相向き立ちて 我(あ)が恋ひし
君来ますなり 紐解き設(ま)けな 」 巻8-1518 山上憶良
( 天の川、この川に向かい立ってお待ちしていました。
いよいよ、愛しいあの方がお出でになるらしい。
さぁ、衣の紐を解いてお待ちしましょう。 )
この歌は万葉集で年代がはっきりしている最初の七夕歌とされています。
「紐解き設けな」天上の物語を一気に現実の庶民のものとして詠う憶良です。
「 相見(あひみ)らく 飽き足(だ)らねども 稲(いな)の目の
明けさりにけり 舟出せむ妻 」
巻10-2022 作者未詳
( 逢ってからずっと抱き合っているのにまだまだ飽き足りないなぁ。
でもお前、窓の隙間から光が漏れてきているよ。
もう夜が明けてしまったようだ。
名残惜しいがそろそろ船を出して戻らねばなるまい。 )
「稲の目」は「明け」の枕詞です。
窓がない古代、「明かり取り」や「煙出し」の部所に藁(わら)で編んだ網目の
ようなものを取り付けており、その隙間から光が漏れてきていたのです。
牽牛は「そろそろ帰り支度を」と織姫に促しています。
「 さ寝そめて いくだにあらねば 白袴(しろたへ)の
帯乞ふべしや 恋も過ぎねば 」
巻10-2023 作者未詳
( いやよ!あなた。
床についてからまだいくらも経っていないのに、「もう着物の帯をよこせ」と
おっしゃるなんてひどいわ。 もっと満足させて! )
「 一年(ひととせ)に 七日(なぬか)の夜のみ 逢ふ人の
恋も過ぎねば 夜は更けゆくも 」
巻10-2032 柿本人麻呂歌集
( 1年のうちこの7月7日の一夜だけ逢う人の恋の苦しさもまだ晴れないうちに
夜はいたずらに更けてゆくのだなぁ。 )
あぁ、「とき」は止まってくれないのか。
「 年の恋 今夜(こよひ)尽くして 明日よりは
常のごとくや 我(あ)が恋ひ居(を)らむ 」
巻10-2037 作者未詳
( たった一夜の共寝。別れは切ない!
また明日から恋の苦しみが始まるのか。
年に一度の逢瀬と定められた運命でも互いに変ることなき恋。
待ちに待った日が来たる! 心のおののきと期待。
はやる心をおさえつつ船を漕ぎ織姫のもとに向かう牽牛、
今か今かと川辺に立ち心をときめかせながら待つ織姫。
ようやく逢えた歓喜。
会話もそこそこに抱き合う二人、もう言葉は不要です。
至上のときはあっという間に流れ行き、
夜の帳(とばり)が明けそめるころ、
あふれる涙を流しつつ断腸の想の二人は
再会を約して別れてゆきます。
そうです。万葉人は天の川という舞台を借りながら自らの恋を美しく
ロマンティックに詠っているのです。
だからこそ万葉集には天の川の歌が132首も残されているのでしょう。
まもなく仙台七夕、青森ねぶた、弘前ねぷた。
秋祭りの季節です。
「 天の川 かたむきかけて おほぞらの
西の果てより秋はきにけり 」 大田水穂
by uqrx74fd | 2010-08-01 17:50 | 生活