万葉集その二百八十二 (明石海峡)

『 私は海峡がせばまって くろぐろとした潮流が滝つ瀬のように流れていると
胸がおどってしまう。- -
どうも海峡がよほど好きであるらしい。

海峡という文字をながめているだけでも気持がさざなみだってしまう。
日本の島のなかの海峡では壇の浦と明石海峡が好きである。

明石海峡の場合、須磨や舞子の松原ごしにながめてもよく、また明石の宿の浜側の
障子をあけてながめてもいい。

目の前の淡路島の北端が単純な山のかたちをなしてせまっている。
そのあいだを、青黒い潮が奔(はし)り、ときには九ノットで
はしりすぎてゆくのである。』 

                (司馬遼太郎 街道をゆく 明石海峡と淡路みち)
                 「甲賀と伊賀のみち砂鉄のみちほか」所収 朝日文庫 )



 「 燈火(ともしび)の 明石大門(あかしおほと)に入らむ日や
     漕ぎ別れなむ 家のあたり見ず 」 
                                  巻3-254 柿本人麻呂


(  船が明石海峡にさしかかる日には家族が住む家そして山々が見えなくなり、
   そのまま故郷から漕ぎ別れてゆくことになるのであろうか )

暮色に浸された海の彼方に大和の山々がまだうっすらと見えている。
それもやがて視界から消え、いよいよ異郷の世界へと踏み込んでゆく。
「燈火」は明るいことから「明し」を引き出し、同音の地名「明石」に掛る枕詞ながら、
ここでは海人の漁火がチラチラと波間に見えるのでしょう。

当時「畿内」と「畿外」の陸地の境界は「赤石の櫛淵(くしふち)」とされていました。
現在の神戸市垂水区塩屋町と須磨区西須磨との間を流れる境川あたりです。
そして海の境界が明石海峡だったのです。

境界は地理的、自然的な区分にとどまらず、行政人為的な意味合いを強く帯びていました。
即ち、中央官人は畿内から登用され、さらに畿内の民衆は中央特区住人として
税(調庸)を免除されていたのです。

都から地方に旅する人たちにとっての明石海峡は、異質の世界へ踏み込む
不安感があったことでしょう。

 「 わが舟は 明石の水門(みと)に 漕ぎ泊(は)てむ
    沖へな離(さか)り さ夜更(ふ)けにけり」  巻7-1229 作者未詳


( 船頭さんよ、我々の船は岸へ向かい明石の港に停泊しましょう。
  沖の方へ離れていかないようにしておくれよ。
  夜も更けてきたことだしねぇ。)

明石海峡の最短部は幅4㎞。その潮流は凄まじく、西流の最高速度は7,1ノット
(時速13㎞)東流5、6ノット(同10㎞)の難所で、手漕ぎの木造船では
潮に逆らって進むことはできません。
まして遭難の危険性もある夜。 早々と港に寄港することになります。

「 ほのぼのと 明石の浦の 朝霧に
       島隠れゆく 舟おしぞ思ふ 」 
                     古今和歌集 柿本人麻呂の歌なり



( ほのぼのと明るくなってゆく明石の浦の朝霧のなか、島陰に次第に姿を消してゆく
  舟を見ていると、しみじみとした気分になってゆくことだ )

港で一夜明かして英気を養った旅人。
次第に明るくなってゆく海に舟が漕ぎ隠れていくのを眺めながら、これから先の旅に
想いを馳せています。

やがて出発。船は一路筑紫に向かいます。

「 - 天さかる 鄙(ひな)の国辺(くにへ)に 直(ただ)向ふ 淡路を過ぎ 
粟島(あはしま)を そがひに見つつ 朝なぎに水手(かこ)の声呼び
夕なぎに 楫(かじ)の音しつつ 波の上をい行(ゆ)き- -」
      巻4-509 丹比真人笠麻呂 (たぢひのまひと かさまろ)


( 都遠く離れた田舎の国、筑紫へと真正面に見える淡路島を通り過ぎ、
  粟島をも背後に見やりながら、朝凪に水夫(かこ)が声高に呼びかわし、
  夕凪には櫓の音を響かせつつ、波を押し分けて進み- ) ました。

粟島:淡路島もしくは阿波の近くか? 未詳
そがひ:背後   声呼び: 掛け声を発し  

それから数ヵ月後、公用を終えた旅人は再び明石海峡にさしかかります。

「 天離(あまざか)る 鄙(ひな)の長道(ながち)ゆ 恋ひ来れば
   明石の門(と)より 大和島見ゆ 」    
                          巻3-255 柿本人麻呂


( 遠い田舎の長い道のりをひたすら都恋しさに上ってくると
  明石海峡から大和の山々が見える )

遠い異郷からの長い船旅。潮と波の怖さに耐え抜き、やっと最後の関門に到着です。
はるか彼方にうっすらと懐かしい大和の山々。目に浮かぶ故郷の山川、そして妻の顔。
あぁ、やっと帰ってきた。もう一息だ。
往路の悲壮感とは打って変わった歓喜と安堵の表現です。

「 人麻呂の神も淡路も朧かな」   小田眺生

              ※ 「人麻呂の神」:  「明石市人丸町 柿本神社」
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by uqrx74fd | 2010-08-29 19:50 | 万葉の旅

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