万葉集その二百八十七(木綿:ゆふ)

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                                ( 由布岳 由布の里 )
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                          ( 翼を持つ土偶模写図 弘前市教育委員会)

「 柚富(ゆふ)の郷(さと)- -。 
  郷の中(うち)に 栲(たく)の樹(き) 多(さは)に生(お)ひたり。
  常に栲の皮を取りて 木綿(ゆふ)をつくる。
  よりて柚富の郷といふ 」     (豊後風土記)


 註: 柚富郷(ゆふのさと):現在の大分県湯布院町
    栲(たく):楮(こうぞ)の古名とされている

「 楮は自由に採取できるほどに山野に充満していなかった為に、
  その生産地は多少之を注意し且つ保護していたらしく思われる。
  下総の結城を筆頭にしてユフの産地を意味する地名は東西に分布する。
  たとえば大分県の別府温泉の西に聳え立つ由布岳は豊後風土記の逸文にも
  ユフの採取地である故にこの名が付いたと記している。 』 

               ( 柳田國男 木綿以前の事 角川文庫 明治44年発行より)

その昔 阿波の国におられた天日鷲命(アメノヒワシノミコト)という神様が東国を
経営されるにあたり、穀(カヂ)の木の普及を図られ、まず最初に栽えられた地が
下総の結城(現在の茨城県)であったと伝えられています。

穀(カジ)の木は楮(こうぞ)ともいわれ、その木の皮を蒸して水にさらし、
細かく裂いて布に織ります。
出来上がった布は「ゆふ」とよばれ主として神事に用いられました。

ゆふは漢字で「木綿」と書きますが綿から採れる、木綿「もめん」とは
全く別のものです。
楮から作った布に「木綿」という字を当てたのは、中国に布の原料となる
「杜仲(とちゅう)」という植物があり、別名「木緜(もめん)」とよばれていたことに
由来します。
現在、お茶でよく知られている植物です。

下記の歌は刀自(とじ:主婦)が木綿(ゆふ)を用いて神事を行う様子が
詠われており、当時の祭祀を知る上で貴重な一首です。

「 ひさかたの 天の原より 
 生(あ)れ来(きた)る 神の命(みこと)
 奥山の賢木(さかき)の枝に
 白香(しらか)付け 木綿(ゆふ)取り付けて
 斎瓮(いはいへ)を 斎(いは)ひ掘り据え
 竹玉(たかたま)を 繁(しじ)に貫(ぬ)き垂れ
 鹿(しし)じもの 膝折伏して
 たわやめの 襲(おすひ)取り懸け
 かくだにも 我れは祈(こ)ひなむ
 君に逢はじかも 」         
                 巻3-379 大伴坂上郎女


(  天上の天の原で生まれて
   この国に降(くだ)ってこられた代々の先祖の神様!
  奥山のサカキの枝に
  白香(しらか)を付け、木綿(ゆふ)を取り付け、
  我が身を斎(い)み清めて斎瓮(いはいへ)を土間に掘り据え、
  竹玉を緒にいっぱい貫き垂らします。

  そして、たをやめである私は鹿のように膝を折り曲げ 神前にひれ伏し
  襲(おすひ)を肩に掛け、懸命にお祈りいたします。
  ですから、我が君にお会いできないものでしょうか。
  なんとか逢わせて下さいませ。 )

作者は神を祭る時、まずツバキ科の常緑樹とされるサカキを深山から採り、
その枝に細かく切った木綿(白香)と太い木綿と取り付け
清めた甕(かめ)のような土器(斎瓮:いはいへ)を土間に据え、
竹の輪切りに似た小円筒状の管玉(くだたま)をたくさん垂らしました。
その上で精進潔斎した我が身を鹿のように膝を折り曲げ、打掛のような
浄衣(襲:おすひ)を肩に掛けて祈ったのです。

大伴氏の始祖は天照大御神の孫ニニギノミコトが降臨のとき、その先導役をつとめた
と伝えられています。(古事記)
この歌の冒頭二句はそのことを詠い、「君」とは祖神をさすと共に、
大伴家一族の家系につながる人々、とくに折につけて恋しく思われる亡き夫にも
逢いたいという願望を込めたものです。
  
木綿(ゆふ)はサカキの枝に取り付けるほか、「腕(かいな)に懸ける(3-420)」
「斎瓮(いはいへ)に懸けて垂らす(9-1790)」などの表現も見られ、古代の神事では
重要な役割を果たしていました。

以下は 山口博著 「縄文発掘」(小学館)からの要約引用です。

『 青森県立郷土館で見た土偶が私の足を引きとめた。翼がある!
  弘前市の砂沢遺跡出土の土偶だ。
  左右に大きく延びた腕は縦長で、腰の辺りにまで広がっている。
  どう見ても鳥が翼を広げた格好だ。
 それにしても縄文石の土偶がなぜ翼をもつのだろう。
 木綿を肩や腕に懸ける万葉歌がある。
 神事スタイルと説明されているが、なぜ神事では木綿を体に垂らすのだろう。
 これこそ、腰蓑線刻(こしみのせんこく:下半身に腰蓑状の線刻が施された土偶)の
 縄文石以来のスタイルであって、鳥の羽に見立てたテープ状の布を腕や腰に垂らして
 鳥に変身するための方法が簡略化され変貌した姿なのだ。

 しかも、変身のための具を作る神の名はそのものずばり鳥の名を持つ神で
 天日鷲命(アメノヒワシノミコト)という。

 木綿は、肩や腕から垂らすことにより鳥の翼をイメージさせ、
 その人が鳥に変身するためのものであったのだ。
 それだからこそ、それを作る神は鳥の名をもっていなければならなかった。 』

それでは、なぜ鳥に変身しなければならなかったのでしょうか? それは

『 古代では天上の者はすべて鳥の形になって、地上世界と往復すると考えたらしく
それは地上の王までも含む思想(中西進) 』 だったのです。


 「 楮(こうぞ)蒸す 湯気を吸ひゐる 夜空かな 」 里村麻葉


ご参考:

万葉集その百三十六(木綿の山)    (2007、11、12 掲載文)

九州別府市と大分郡湯布院町との境に聳え立つ由布岳(標高1,584m)は、その昔
「木綿の山(ゆふのやま)」とよばれていました。
木綿(ゆふ)とは楮(こうぞ)のことで、麓の村に楮の木が多数生育しており、その皮を
採り衣料や和紙にしたことが山名の由来とされております。(豊後風土記)

二峰の山頂をもつその端麗な姿は「豊後富士」ともよばれ古くから歌枕とされて
きました。

「 娘子(をとめ)らが 放(はな)りの髪を 木綿の山
       雲なたなびき 家のあたり見む 」  巻7-1244 作者未詳


( 愛する人を残して山を越えて旅を続けてきました。
 向こうをみると乙女のお下げ髪のような形をした木綿の山がみえます。
 雲よ、妻の家のあたりを見たいから山の周りにたなびかないでおくれ )

「放りの髪」とは頭髪に二つのこぶを作りそこから垂らしたお下げ髪のことです。
 8歳から15歳位の少女の髪型で結婚適齢期になると髪の後ろの裾を束ねて
 結います。

 この歌では「木綿」と「結う(結婚する)」を掛けており作者は新婚早々と思われます。
 木綿山の東西二つの峰が「放り髪」に見え、少女時代の妻を思い出したのでしょう。

「 思ひ出づる時はすべなみ豊国の
            木綿山雪の消ぬべく思ほゆ 」 巻10-2341


( あなたのことを思い出すと、これはもう、どうしょうもありません。
  豊国(豊後)木綿山の雪と同じで自分も消え入らんばかりにあなたの事が思われます)

「すべなみ」;「すべなし」で「どうしょうもない」の意

南国木綿山の雪は降ってもすぐに消えてしまいます。
その「消えやすい雪」と「この世から消え死んでしまいそうなくらいに思いつめた」
気持を重ね合わせた一首です。

伝説によると由布岳、祖母山(1757m)は男性の山、鶴見岳(1375m)は女性の山で
三山はもともとお互いにくっつき合っていたそうです。
ところが由布岳と祖母山が同時に鶴見岳に恋をして、お互いに譲らぬ鞘当のはて、
地震、山崩れが起きました。
そこで鶴見岳は由布岳を容れて夫婦の契りをなしたところ突然熱いお湯を
噴出させたのが湯布院温泉はじまりと言い伝えられております。
熱いお湯は祖母山の涙だったのでしょうか?

万葉時代の湯布院は大分から大宰府に至る官道の重要な宿駅でもありました。

   「 豊後富士おぼろの月をかかげたり 」 森山暁湖
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by uqrx74fd | 2010-10-03 13:01 | 植物

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