万葉集その二百八十八(澪標:みをつくし)

b0162728_1052677.jpg
b0162728_1055397.jpg

( 写真上 近江琵琶湖  下 大阪市の市章 難波の澪標 )

「 しみじみと 澪(みお)がわかるる 
  これがわかれか。
  光りてながるる みをのすじ、 
  光りてゆらめく みをつくし。」
                       ( 北原白秋 澪より)


澪標とは「水脈(みを)つ串」の意で、船が安全に通過できる水深を示すための
標識として立てられた杭のことです。
歌の世界では澪標そのもの風情よりも「我が身のすべてを投じる」、すなわち「身を尽くし」の意に
掛けられて愛用され、源氏物語54帳の巻名の1つにもなっております。

「 みをつくし 心尽して 思へかも
     ここにも もとな 夢(いめ)にし見ゆる 」    巻12-3162 作者未詳


( みをつくし、その名のように故郷に残してきた妻が身も心も尽くして私のことを
 思っていてくれているせいか、旅先でもむやみやたらに妻の姿が夢に浮かんでくるよ。 )

もとな:やたらに、わけもなく 

古代、夢に人が出てくるのは相手がこちらの事を切に思ってくれているからだと
されていました。
野宿の寂しい一人旅です。妻恋しさがますます募る男。
妻の夢にも夫の姿が現れていることでしょう。

この歌の「みをつくし」の原文表記は「水咫衛石」となっています。
「咫:あた」は中国の尺度を表し、1咫は約8寸 (約24cm) 。
八咫烏(ヤタガラス)は大きいカラスだったのですねぇ。 

「 遠近(とほつあふみ) 引佐細江(いなさほそえ)の みをつくし
   我(あれ)を頼めて あさましものを 」     巻14-3429 作者未詳


( 遠江の引佐細江(いなさほそえ:浜松市、浜名湖の入江)の みをつくし。
 その澪標のように私をあてにさせておいて、やがて疎ましくするのでしょう。)

澪標は深い水脈(みお)を示すものなのに、「細江」という名の瀬ゆえ浅く当てにならない
標識として知られていたのでしょう。
男の心を計りかね深入りしてもよいかどうか迷っている女です。

「 わびぬれば 今はた同じ 難波なる
    みをつくしても 逢はむとぞ思ふ 」

                  元良(もとよし)親王 後撰集 百人一首


( 噂が立ってこのように苦しんでいるからには、もう身を慎んでいても同じこと。
 あの難波の澪標という言葉のように、身を滅ぼしてでもあの人に逢おう )

作者は陽成天皇第一皇子。本来なら次の天皇になる立場ながら、天皇になれず、
鬱屈した気持を女性に向け、天皇の愛する女御、京極の御息所(みやすどころ)との
禁断の恋に走り、その秘め事が露見したときに詠んだ歌です。

『 元良親王は京極御息所ばかりでなく多くの女性と交渉があり、
 好色の貴公子として知られたのは、うっぷんを晴らすためもあったに違いない。
 「わびぬれば」という言葉も、そう思ってよめば重々しく聞こえる。
 「今はた同じなる」は少々無理な言葉遣いだが、今となっては、澪標のように
  みじめな姿になったということと、命がけの恋とその両方に解していいと思う。』

                   (白州正子 私の百人一首 新潮選書 )

「難波の澪標」は杭の上に三角形のしるしをつけたもので、後の人々に多く詠われ、
現在大阪市の市章にもなっています。

   「 神帰り 澪に月光 流れ込む」 若泉真樹

『 陰暦の神無月(10月)は全国の神様が出雲に集まり、国中の神様がいなくなる月。
  それを過ぎると神様が国々に帰ってくる。
  11月のある月夜。眩いばかりの月の光が煌々と深い海を一点照らしている。
  それは、神様がお帰りになる道を示す澪標のよう 』
  という作句者の感慨です。
[PR]

by uqrx74fd | 2010-10-10 10:12 | 生活

<< 万葉集その二百八十九(しがらみ)    万葉集その二百八十七(木綿:ゆふ) >>