万葉集その二百九十(梨)

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                                       (梨と梨の花)


梨は我国最古の果物の一つで弥生時代に稲作と共に中国から渡来したと推定されています。
その水分が多く、さっぱりした口当たりは日本人の嗜好に合っていたのでしょうか、
登呂遺跡から種が多数発掘されており盛んに食されていたことがことが伺われます。

693年、持統天皇は「桑、からむし、梨、栗、青菜などの草木を植え、五穀の助けとせよ」との
詔を下し全国に栽培をすすめたとの記録(日本書紀)もみえますが、古代の梨は
ヤマナシとよばれ、私たちが今日目にする梨の4分の一程度の大きさで、
やや渋みがあったようです。

(註;からむし:イラクサ科の多年草、繊維から糸を採り布の原料とする。苧麻:マオ)

「 黄葉(もみぢば)の にほひは繁し しかれども
    妻梨の木を 手折りかざさむ」 巻10-2188 作者未詳


( あの山のもみじは色とりどりで美しいですね。
 私はまだ独り身なのですよ。
 色も地味な梨の木を手折って挿頭(かざし)にしましょうかね。)

作者は「まだ、愛する人もいない俺は秋の夜長の一人寝かぁ。
仕方が無い、せめて梨の木でも愛でることにするか」と「妻なし」と「梨(なし)」を
掛けて戯れた宴会の席での歌のようです。

「にほひ」は映えるさま。

「 霜露の 寒き夕(ゆうへ)の秋風に
   もみちにけらし 妻梨の木は 」 巻10-2189 作者未詳


( 露が置き、秋風もひとしお寒く感じられるこの夕べです。
 この寒さで妻なしという梨の木もどうやら色づいたようですね。)

前の歌を受け、
「寒い秋の夕べともなれば一人身にはその侘しさも格別に身にしみることでしょう」と
女は作者に同情を寄せ、「でも木々が色づいたようだし、あなたも色づく、すなわち、
お相手が出来る期が熟したのではないでしょうか」と秋波を送ったものと思われます。

「 十月(かむなづき) しぐれの常か 我が背子が
     やどの黄葉(もみちば) 散りぬべく見ゆ 」 巻19-4259 大伴家持


( 十月の時雨はこの時期の習いなのでしょうか。
  あなたさまの庭のもみじは美しく色づき、今にも散りそうに見えます。)

この歌の後書きに「 時に当たりて梨の黄葉を見てこの歌を作る」とあり、
紀飯麻呂(きのいまろ)という官人宅での宴席で梨の黄葉の盛りを褒め、主人を
讃えた一首です。
「しぐれ」は紅葉を促し、かつ散ることを早めるものとされていました。
作者は盛りの梨の黄葉が雨に濡れて、今にも散りそうな様子に風趣を感じたようです。
主人を褒めるのに「散る」という表現はそぐわないような気がしますが、
気楽な宴席だったからでしょうか。

「 甲斐が嶺に 雲こそかかれ梨の花 」  蕪村

中国文学では梨の花の白さを美女に形容した詩が多く、特に白楽天は楊貴妃を
「梨色一枝」と讃えたことが良く知られています。

『  楊貴妃 帝の御使(おんつかひ)にあひて泣ける顔に似せて
「梨花一枝 春の雨を 帯たり」など云ひたるは、おぼろげならじと思ふに、
なほいみじうめでたきことは類(たぐひ)あらじと覚えたり。 』 
                   ( 清少納言 枕草子 三十三段)


( 楊貴妃が唐の玄宗帝のお使いに会って泣いた顔をたとえて白楽天が
「梨花一枝 春の雨を帯たり」などと言ったのは、一通りなどのことではなく、
やはり梨の花は結構なこと類(たぐい)なしと思われました。)

また玄宗帝は梨の木が多く植えられているので梨園と称されていた長安の内苑で
芸人達を集め、直々に音楽や芸を教えていたと伝えられています。
よほど世間の評判になったのでしょうか。
わが国の歌舞伎界が梨園とよばれているのはこの故事に由来しているそうです。

「 妹が歯を さくと当てたる 梨白し 」 清水基吉

「梨」の「なし」という言葉が「無し」に通じることからそれを忌み、
梨は「ありの実」ともいわれました。

屋敷に梨を植えるのは財産、幸運がなくなる、あるいは人が亡くなると忌避し、
逆に梨材を家の建材に使うのは、災害なしと好まれたそうです。
勝手なものですねぇ。

梨は体の熱を下げ、血圧を下げる効果があり病人にもよいとされ、小林一茶が
父の終焉の看病の時、「病中の父がしきりに“ありの実”を食べたいとむずかり、
近所の家々を探し求めたがどの家にもなく、やむなく22㎞離れた善光寺まで
探しもとめたが見つからず、泣く泣く家に戻った」と日記に書いています。

「 梨の実の 黄色に垂るる梨畑
    木下に居れば 曇日あつし 」  佐藤佐太郎


梨の栽培技術が急速に発達したのは江戸時代からで、特に千葉県の市川から
船橋にかけて盛んだったようです。
明治時代千葉県松戸市で二十世紀、神奈川県川崎市で長十郎がそれぞれ発見され
それぞれ梨の代表格として盛んに生産されるようになりました。

現在では、果皮の色から黄褐色の赤梨、淡黄緑色の青梨に大別され、赤梨系が
主流となっており、その代表銘柄は幸水、豊水、新高、長十郎。 
青梨の代表格二十世紀。 産地のベスト3は千葉、茨城、鳥取県とされています。

  「 こほろぎの しとどに鳴ける真夜中に
       喰ふ梨の実の つゆは垂りつつ 」  若山牧水

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by uqrx74fd | 2010-10-24 23:04 | 植物

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