万葉集その二百九十二(山越え:生駒と龍田)

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                           (龍田越えの古道:万葉風土記大和編 偕成社より)

                               
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                                ( 紅葉 もみじ )

古代、平城京から河内、難波へ行くには生駒山をまっすぐ越えていく「生駒越え」と
山を迂回する「龍田越え」がありました。
「生駒越え」は現在「暗峠」(くらやみとうげ:標高455m)と呼ばれる石畳の道が
残されていますが、最短距離ながら険阻な山道の上、平野部も湿地帯が多く、
よほどの急用でなければ利用することがなかったようです。

 「 夕されば ひぐらし来鳴く 生駒山
     越えてぞ我(あ)が来る 妹が目を欲(ほ)り 」
              巻15-3589  秦 間満 (はだのはしまろ)


736年、大和朝廷は総勢80人からなる新羅使節団を派遣することになり
難波に集結します。
作者は渡来系の人物で医者か通訳として使節団に加わったものと思われます。
生還を期しがたい海外への長旅。出発待ちの間に休暇を与えられた作者は
家に残してきた妻が恋しくてたまらず、とうとう夜道朝駆けで険阻な生駒山を
ものともせず越えて行きました。
現在、近鉄奈良駅から電車で生駒トンネルを潜って難波まで約45分。
それを山越えするのですから大変な健脚の持ち主です。

一方「龍田越え」は生駒山を迂回して平坦な道を斑鳩、龍田本宮まで歩き、
ここから200mあまりの高さの丘陵を行く楽な旅。
急がない人はほとんど龍田越えを選んでいたようです。
龍田山は今日その山名はありませんが、奈良県生駒郡三郷(さんごう)町立野の
龍田本宮西方の山と推定されています。
春は桜や桃、秋は紅葉が美しい里山で山裾を流れる大和川(当時龍田川といわれた)は
平安時代歌枕として大いにもてはやされました。

「 海(わた)の底 沖つ白波 龍田山
    いつか越えなむ 妹があたり見む 」 巻1-83 作者未詳(古歌)


( 沖の白波が立つ その立つという名の龍田山。
 あの山をいつ越えられるのであろうか。早くいとしいあの子の家のあたりを見たい。)

この歌はその昔、長田王という風流侍従が伊勢に遣わされた時、連れ添った一行と
山辺の地で旅の宴を行い古くから伝わる歌を披露したものと思われます。
現在の三重県鈴鹿市(松坂市説もあり)あたりで、紅葉の名所だったようです。
紅葉ゆかりの瀧田山の古歌を引用して土地褒めと望郷の念を歌い、旅の安全を
祈念したものです。

『 序の「海の底」には神話的な想像力が働く。日本の神話には遠い海の底には
海神(わたつみの神)がおり、その神は潮の干満を自在にあやつる「珠」を
もっていると語っている。
したがって海辺に打ち寄せてくる波は海の神の力の現れとみているのである。 』 
                       ( 近藤信義 音感万葉集 はなわ新書)

「 風吹けば 沖つ白波 龍田山
   夜半にや君がひとり 越ゆらむ 」   伊勢物語 二十三段


上記万葉歌(巻1-83)を本歌取りしたものです。

幼馴染みの男女が念願かなって結婚したにも拘らず、夫が恋人を作って通い出した。
貞淑な妻は嫉妬もせず、かえって夫の夜旅の身の安全を案じてこの歌を詠った。
物陰で聞いていた夫は涙を流して感激。
改心して浮気をピタリと止めたというお話です。

「 我が行きは 七日(なぬか)に過ぎじ龍田彦
     ゆめこの花を風にな散らし 」   巻9-1748 高橋虫麻呂歌集


( 我々の旅はいくら日数が掛かっても七日を過ぎることはなかろう。
 龍田彦さま、どうかこの花を決して散らさないで下さいませ。)

宮人が難波に下る時、龍田山の小按(おぐら)の嶺に盛んに咲く桜の花が風に吹かれて
散っているのを惜しみ、帰路まで咲かせておいて下さいと風の神に祈ったものです。

龍田彦は元々『 製鉄技術集団が精練のために必要なフイゴを司る風の神、すなわち
職業神であったものが、のちに農耕の神になった』(米田勝 万葉を行く 奈良新聞社)
とされています。
瀧田大社山間の渓谷は台風が大和に入る通り路と考えられており、農村にとって
収穫を守ってくれる大切な神であったのです。

「 夕されば 雁の越えゆく龍田山
    しぐれに競(きほ)ひ 色づきにけり 」
               巻10-2214  作者未詳


( 夕方になると雁が飛び越えてゆく龍田山。
 時雨と先を争うように木々が色づいてきました。)

時雨は紅葉(こうよう)を「促すもの」、「散らすもの」とされ、歌の世界で多く
詠われています。
暮れなずむ夕、雁の声、紅葉、時雨、優雅な情景の一首です。

「 ちはやぶる 神代(かみよ)も聞かず 龍田川
   からくれないに 水くくるとは 」 
                         在原業平 : 古今集、百人一首 伊勢物語


( あの不思議な事も多かった神代にも聞いたことがありません。
 この龍田川に紅葉が散り敷いて水を真っ赤に括り染めにするとは )

「からくれない」は韓の国から渡来した紅の意で鮮やかな紅色。
「水くくる」は 「水を括り染めにする」意。

「くくり染め」とは絞り染めのことで、布地のところどころを糸でくくり、
文様が出来るように染め残しを作る染め方をいいます。

紅葉が川一面を覆って流れるのではなく、一群一群となって流れ、水も合間から見え、
まるでくくり染めのようだという歌意で、それは造物主がそのようになさっている
のだとスケール大きく詠っています。
多くの人に持てはやされた歌ですが、百人一首、古今和歌集は屏風の絵を題にして詠み、
伊勢物語は実景とされています。

「 紅葉山 抜け来し色に 龍田川 」 菅原くに子
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by uqrx74fd | 2010-11-07 20:44 | 生活

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