万葉集その二百九十四(葎:むぐら)

                              (カナムグラ: 万葉の植物、偕成社より)
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                              (カナムグラの花: 同上)
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「 初茸(はつたけ)に 豆腐恋しや 八重葎 」  白猿

古代の歌や文学に登場する「葎」(むぐら)はクワ科の「カナムグラ」とされています。
道端や荒地に生える蔓性の一年草で茎と葉に下向きの棘があり、他のものに
絡みつきながら地面に広がり、大きいものは数メートルにも伸びます。
茎が鉄(カネ)のように強いのでカナムグラ(鉄葎)の名がありますが、その名に似ず、
秋には芳香がある淡緑の可憐な小花を咲かせます。

「 思ふ人 来(こ)むと知りせば 八重葎(やへむぐら)
    覆へる庭に 玉敷かましを 」 巻11-2824 作者未詳


( 思い焦がれている人 そんなお方がお見えになると予め知っていたなら
  葎の覆い茂るこのむさ苦しい庭に 玉を敷きつめておくのでしたのに )

八重は幾重にも重なって生えている状態をいいます。

「 玉敷ける 家も何せむ八重葎  
   覆へる小屋も 妹と居りてば 」   巻11-2825 作者未詳


( 玉を敷き詰めた立派な家など何になろうか。
 たとえ八重葎の生い茂るあばら屋であっても、いとしいお前と一緒に
居られるのであれば、これだけで十分だよ。 )

久し振りに訪れた男に歓喜の気持を抑えつつ、
「貴方が長い間お出でにならないので、庭もすっかり荒れ果てるままにして
しまいました」とさりげなく恨み言を述べる女。
言葉に込められた恨みごとを無視して殺し文句で切り返す男。

『 素直な恋歌の応酬ですが、もし第三者の前で歌われたとしたら、
そのいじらしさによって聞く人々の心に大いに好感を持って迎えられ、
愛唱されたに違いありません。』(大岡信 私の万葉集 講談社現代新書)
との評もある一首です。 

平安時代になると「むぐら」は荒れた屋敷の風情を形容するものとして
詠われるようになります。

「 葎這う 門(かど)は木の葉に うづもれて
    人もさしこぬ 大原の里 」    寂然 山家集


( 葎が這いまつわり 荒れ果てた門のあたりは すっかり木の葉に埋もれて- -。
 人もやってこない大原の里でございます。 )

この歌は高野山にこもった西行と京都大原に住む寂然との贈答歌群(各十首)の一つです。
西行の初句がすべて「山深み」ではじまるのに対し、寂然の歌は五句目がすべて
「大原の里」で揃えています。
「さしこぬ」の「さし(鎖し)は強意の接頭語かつ「門」の縁語です。

色とりどりの落葉が散り敷く大原の里。
質素な萱葺きの古屋に柴垣と簡素な門。そして屋根にまで達する葎。
しみじみとした情感を誘う一首です。

「 八重葎 茂れる宿の さびしきに
     人こそ見えね 秋は来にけり 」
               恵慶(えぎょう)法師  百人一首、拾遺和歌集


( むぐらが幾重にも生い茂っている荒れ果てたこの屋敷。
訪れる人もなく寂しいのに、秋だけは確実にやって来たのだなぁ )

この歌の添え書きに
『 河原院に人々が集まって「荒れたる宿に秋来たる」という題を詠んだ 』とあります。

河原院は嵯峨天皇の皇子で左大臣の源 融(みなもと とおる)が賀茂川六条河原近くで
営んだ豪壮な邸宅。
鴨川の水を引き、陸奥の塩竈(しおがま)に似せた庭園を造り、難波から海水を運ばせて
塩焼きをして楽しんだと伝えられています。

融が亡くなってから100年後、邸は寺となって曾孫の安法法師が住み、文人、墨客が
集まるサロンとなりましたが、昔日の華やかな面影はもはやなく荒れ果てるままに
なっていたようです。

この歌は、かって栄華を極めた主人、源融の死後訪れる人もなく荒廃した庭にも
忘れることなく訪れる秋。
移ろいやすい人の心と不変の自然の摂理といったものを対比させながら
しみじみとした哀感を詠った一首です。


「 あはれなるもの、
  荒れたる家に 葎 はひかかり、蓬(よもぎ)など高く生ひたる庭に、
  月の隈(くま)なき明(あか)き。
  いと荒うはあらぬ 風の吹きたる。」   (枕草子:百一段)

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by uqrx74fd | 2010-11-21 13:51 | 植物

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