万葉集その三百二 (冬野、冬木立)

(冬木立:武蔵野公園)
b0162728_19434534.jpg

『 粉雪ちらちら 止(や)みて日(ひ)出(い)でたれど 底寒きこと甚だしく、
  北風終日膚(はだ)を刺す。
  日落ちて 天(てん)紫(むらさき)なり。
  葉落ち盡(つく)したる欅の大樹、幹は老将の如くに硬く、
  節高(ふしだか)なる梢頭(しょうとう)より 
  針の如く、糸の如き千万枝 縦横に射し出で、紫の空を揶揄す。
  一枝々骨を刺して寒きを覚ふ。
  上に蒼ざめたる月あり。 空に氷つきたる様なり。 』
                         ( 徳富蘆花  自然と人生:寒樹より 岩波文庫)

「 草も木も かれはてしより 冬の野の
         月はくまなく成にけるかな  」 樋口一葉


葉が落ちて裸になった木々。雪や枯れ草に覆われた地面。
冬の野は見渡す限り寒々とした光景のように見えます。
しかしながら草も木も枯れ果ててしまったのではなく、ただ静かに眠っているだけ。
地面の下で膨大なエネルギーを蓄えながら来るべき生命の復活を
今や遅しと待ち構えているのです。

「 道の辺(へ)の 草を冬野に 踏み枯らし
     我(あ)れ立ち待つと 妹に告げこそ 」 
                         巻11-2776 作者未詳


( 道端の草が枯れてしまうほど何度も踏みつけながら、立ちつくしているこの冬野。
  誰かお願い!
  「あなたを待ちあぐんで凍えている」とあの子に伝えてくれませんか?)

恋人の家の近くで逢う約束をした男。
何らかの事情で家を出られない女。
母親の監視が厳しいせいでしょうか。

逢引といえば夕方から夜にかけてが当時の習い。
身を切るような寒さの原っぱの中を行ったり来たりしながら、ため息をつき、
かじかんだ手に白い息を吹きかけている男の姿が目に浮かぶようです。

万葉唯一の「冬野」という言葉。
貝原益軒によると「ふゆ」は古語「冷ゆ」と同義語だそうです。

「冬野」という古いたたずまいの村落が奈良県明日香村にあります。
その名の通り冬は積雪を見ることが多い寒冷の地です。
竜在峠を越えて吉野に向かう道筋にあり、古くは芭蕉や本居宣長が
峠の茶屋で休息したらしく
「 雲雀より 空にやすらふ 峠かな 」(芭蕉) と詠まれたり
「 はるかに山蹄をのぼりゆきて、手向に茶屋あり。
やまとの国中見えわたる所也」(本居宣長)
などと記されています。
また、近くに冬野川(古代の細川)が流れ、石舞台の付近、祝戸で
飛鳥川と合流するなど、実在の冬野もまた万葉ゆかりの土地です。

「 玉川の 一筋光る 冬野かな」  内藤鳴雪

その昔、正岡子規は20歳年上の門下生、鳴雪と高尾山へ吟行に行き
「 (日野、松蓮寺:百草観音堂の)石段を上れば堂宇あり- 
玉川(多摩川)は眼の下に流れ、武蔵野は雲の際に広がる」と高尾紀行に記しています。
上記の句はその折に詠まれたものです。

「- - 取り持てる 弓弭(ゆはず)の騒き み雪降る 冬の林に 
  つむじかも い巻き渡ると 思ふまで - -」
                    巻2-199 柿本人麻呂


(  - 取りかざす弓弭(ゆはず:弓と弦をつなぐところ)の 
  どよめきは雪降り積もる冬の林に つむじ風が渦巻き渡るかと
  思うほど - -。)

天武天皇の長子、高市皇子への挽歌。壬申の乱の奮闘の場面です。
この歌での「冬の林」は枯木の林をいい、そこに強い風が吹けば、
枝が風を切り、細枝が折れて、さまざまな音を立てる。
それは丁度弓弭(ゆはず)が鳴るのと同じようだと詠っています。

「冬木立」とは立ちならんでいる冬木の枝が「すきすき」となり、
寒々としたさまをいうそうです。
この歌での「冬の林」はそのような情景なのでしょう。

「 斧入れて 香におどろくや 冬木立 」 蕪村 

 枯れているようでもやはり木は生きているのです。
柏餅で良く知られている「カシワ」というブナ科の落葉樹があります。

以下は山本健吉氏の解説です。
『 この木の葉は冬になって褐色に枯れても、落ちないで冬を越す不思議な
 性質がある。
  だから昔から、柏木には葉守(はもり)の神が宿るといわれ、「柏木の葉守の神」
  などと詠われた。
  春になって新芽が出はじめてから、やっと役目が終わったかというかのように
  枯葉を落とす。
  だから冬の間、からからと からびた葉音を立てながら年を越す姿は
  周囲の雑木がすべて葉を落とした冬木立の中に置いてみると特異な風景である。
  柏の群生地などで、あの大きな枯葉をつけている冬景色は、また美しいものだ。
  ― その大きな葉が色もあざやかな枯色を見せて、冬日に映えている美しさは
  国木田独歩以降の武蔵野人種には知られていたのだろう。』
                               ( 「言葉の季節」より 文芸春秋社 )

枯葉となりながらも厳しい風雪に耐えて落ちず。
それどころか、ますます輝きを増して美しくなり人々を楽しませる。
そして、自分の役目である世代交代を終えるや否や、何の未練もなく
淡々と去ってゆく。
その自然の摂理の偉大さは、私たちに生き様のお手本を示してくれているようです。

「 武蔵野の 雀と親し 冬柏 」 蕪村

( 註 : 四季を通じて色を変えない樹木である松と柏を「松柏」いい、
      「人間の節操が堅い」例えとされていますが、
      ここでの「柏」は「ヒノキ科の常緑樹 コノテガシワ」とされ
      柏餅のカシワとは別物です)
[PR]

by uqrx74fd | 2011-01-17 19:55 | 自然

<< 万葉集その三百三(武蔵野)    万葉集その三百一(大仏開眼) >>