万葉集その三百三(武蔵野)

(武蔵野冬景色)
b0162728_20461358.jpg

(武蔵野晩秋)
b0162728_2046573.jpg

( 手塚治虫 鉄腕アトム 赤いネコの巻 1953年 )
b0162728_20474254.jpg


「 むさし野の 冬めき来る 木立かな」 高木晴子

「 昔の武蔵野は萱原(かやはら)のはてなき光景をもって絶頂の美を
  ならしていたように言い伝えてあるが、今の武蔵野は林である。
  林は実に今の武蔵野の特色といってもよい。
  すなわち木はおもに楢(なら)の類(たぐい)で、冬はことごとく落葉し、
  春は滴るばかりの新緑萌え出ずるその変化が秩父嶺(ちちぶね)以東
  十数里の野一斉に行われて、春夏秋冬を通じ霞に雨に月に風に霧に時雨に
  雪に緑陰に紅葉に、さまざまの光景を呈する- 」
                           ( 国木田独歩 武蔵野 岩波文庫より)

天地創造の時代、武蔵野は海の底にあったそうです。
そして、気が遠くなるような長い間、海底の隆起運動が繰り返された結果、
海の丘陵地が次第にせり上がり、地上に高い山脈が出現しました。

その頃、地上では激しい風雨が吹き荒れていて山の岩肌を打ち続け、
脆くなった巨岩が崩れ落ちて砂礫の層を形成していきます。
周囲には盛んに火を噴く日光、浅間、八ヶ岳、富士、箱根などの活火山。
その降灰が関東平野一面を埋め尽くしていきました。

やがて、悠久の時を経て地型が安定すると、羊歯類などの植物が繁茂して原始林が出現。
谷間からこんこんと湧き出る水は川や池そして沼地を造り、その周りに色々な動物や
人間が集まり住んで、高度な縄文文化が形づくられていったと推定されています。

「 ゆく末(すえ)は 空もひとつの 武蔵野に
     草の原より 出づる月影 」 
                   ( 藤原良経(よしつね)  新古今和歌集)


( はるかかなたは空も地も一つになっている広々とした武蔵野を分け行くと
  草原の中から大きな月が出てきたよ )

豊かな原始林は度々の大火で焼失し、奈良、平安時代にはすでに一面見渡す限りの
荒野となり、ススキや萱(かや)が生い茂っていたことが詠われています。
律令時代の武蔵国は、現在の東京都、埼玉県、神奈川県の横浜市、川崎市を含む
広大な地でムザシ(武蔵)とよばれていました。

「 武蔵野(むざしの)の をぐきが雉(きぎし) 立ち別れ
    去(い)にし宵より 背ろに逢はなふよ 」     巻14-3375 作者未詳


( 武蔵野の山ふところに潜む雉がぱっと飛び立つように、
あの方も突然出立してしまいました。
それ以来まったくの音沙汰なしでお逢いしていません。)

「をぐき」:「ぐき」は山洞(やまほら)を示す「岫(くき)の意 「背ろ」:背子

雉は平地や山地の草原に一雄多雌の小さい群れを作りますが、秋から冬にかけて
雄同士、雌同士別れて暮らすので、これを立ち別れといったようです。
男は防人か雑役として西方に徴集されたのでしょうか。
別れの言葉を交わす間もなく慌しく出立した夫。
残された妻の悲しみと寂しさを朴訥な方言で詠う一首です。

「 武蔵野の 草葉もろ向き かもかくも
   君がまにまに 我(あ)は寄りにしを 」 巻14-3377 作者未詳


 ( 武蔵野の草葉があちら、こちらへと風にまかせて靡くように
  私はあなた様のおっしゃるまま、自分としてはどうかと思われることでさえ
  ただただ、お言葉に従ってまいりましたのに、どうして今になって
  冷たくなさいますの )

心変わりをした男に恨みを込めながらも、自身の変わらぬ思いを込めている女。
一途に愛を捧げている心情をひたむきに詠っています。

「 埼玉(さきたま)の 津に居(を)る舟の 風をいたみ
    綱は絶ゆとも 言な絶えそね 」      巻14-3380 作者未詳


( 埼玉の船着場に繋がれている舟のもやい綱が、風の激しさで切れてしまうことが
あろとも、あなたのお便りは絶やさないでね )

埼玉は現在の行田市、羽生市あたりで利根川の船着場で詠まれたものらしく
遊女達が唄った歌(伊藤博)ともされています。
埼玉という地名ははサキタマ(幸魂)が転じたもので幸いの霊をあらわし、利根川や
荒川などがもたらす幸魂が宿るところとしてその名を伝えています。

「風をいたみ」: 風が激しく吹く

武蔵野が雑木林になったのは江戸時代からだそうです。
農家が薪炭用の材木を植林して10年~20年毎に伐採し、さらにその切り株から出る
新芽を育てて繁茂させました。
樹種は薪炭に適した櫟(くぬぎ)、コナラ、欅、エゴ、などが多く、整然と一定の間隔を
残して植えられたので、明治時代には美しい雑木林になり、また観賞用に梅、櫻、竹、
松などが加えられたそうです。
また道端には百花繚乱。

徳富蘆花はその美しさを次のように書き残しています。

「 野はすみれ、たんぽぽ、春竜胆(はるりんどう)、草木瓜(くさぼけ)、薊(あざみ)が
  咲き乱れ、大欅が春の空を摩(な)でて淡褐色に煙りそめ、雑木林の楢が逸早く、
  櫟(くぬぎ) やや晩(おく)れて芽を吐(ふ)きそめる。
  やがて落葉木は若葉から漸次青葉となり林には金襴銀襴の花が咲き、
  畑の境には雪のように卯の花が咲きこぼれ、林端には白いエゴの花がこぼれ、
  田川の畔(くろ)には花茨が芳しく咲き乱れる- -」
                            (  「みみずのたはこと」  岩波文庫 より )

わが国経済が高度成長期にさしかかると、武蔵野周辺は開発のため見るも無残な姿に
なりつつあり、その荒廃のさまを観察していた手塚治虫は「鉄腕アトム」を通して
警鐘を打ち鳴らしました。
それは、いち早く環境問題に取り組んだ画期的なコミックとして今もなお高く
評価され続けています。

「 紫にほひし 武蔵の野辺に
  日本の文化の 華(はな)さきみだれ
  月影いるべき 山の端(は)もなき
  むかしの廣野の おもかげいずこ 」
           ( 旧東京市歌 山田耕筰作曲 高田耕甫作曲 )


   註.「紫にほひし」:武蔵野はその昔、染料となる「紫草」が多く繁殖していた
[PR]

by uqrx74fd | 2011-01-24 20:57 | 自然

<< 万葉集その三百四(国栖の里)    万葉集その三百二 (冬野、冬木立) >>