2011年 02月 14日
万葉集その三百六(鷹)
「 雲海や 鷹のまひたる 嶺ひとつ 」 水原秋櫻子
鷹はタカ科の鳥のうち比較的小形のものの総称で、大形種をワシ(鷲)とよんでいますが、
分類学的には両者の区別はないそうです。
鷹とよばれる鳥のうちオオタカ、ハイタカ、ハヤブサなどが良く知られており、とりわけオオタカは
鷹狩に用いるため、古くから大切にされてきました。
その体は暗褐色、嘴(くちばし)は強くて鋭く曲り、強靭かつ大きな釣爪をもち、その鋭い
目は驚異的な視力を誇り、何と750m先のネズミを見分けることが出来るそうです。
慣らすと人には従順な性格なので古代から世界各地で狩に使用され、マルコポーロの
東方見聞録によるとモンゴル地方で元のフビライが1万人余の鷹匠と5百羽の
オオタカや多数のハヤブサなどを動員して鷹狩を楽しんだと伝えられています。
我国でも鷹を背中に止まらせている鷹匠の埴輪が群馬県境町から出土(6世紀頃の作)
されており、古代から鷹狩が行われていたことが推察されています。
文献による公式の鷹狩の伝承は日本書紀に
『 仁徳天皇43年、依綱屯倉(よさみのみやけ)の阿弭古(あびこ)という人物が
「異(あや)しき鳥」を捕らえて献上し、今までに見たことがない鳥ですと言上した。
天皇は百済王族の渡来人酒君(さけのきみ)に尋ねたところ、
「百済に多くいる鳥です。
馴らして使えば良く人に従い、早く飛んで諸々の鳥を捕獲します。
百済ではこの鳥を倶知(クチ)といいます。」と答えた。
そこで天皇は酒君に鳥を預けて調教させ鷹狩を行った。
鷹の足に柔らかくした皮の紐と小鈴を取り付けて放したところ沢山の雉を捕らえた。」
とあり日本の鷹狩の技法は百済からの伝承とされています。
( - - 鷹はしも あまたあれども 矢形尾の
我(あ)が大黒に 白塗の 鈴取り付けて
朝猟(あさがり)に 五百(いほ)つ鳥立て 夕猟に千鳥踏み立て
追ふごとに 許すことなく 手放(たばな)れも をちもかやすき
これをおきて またありがたし さ慣らへる 鷹はなけむと - - )
巻17-4011 大伴家持
( 鷹といえばたくさんいるけれども、中でも逸物の 矢形尾の我が大黒は
白く光った鈴を取り付けて 朝の狩に多くの鳥を追いたて
夕の狩にはさらに千鳥を追って踏み立て
追うたびに獲物を取り逃がすことなく
手から放れるのも 手に舞い戻るのも思いのまま
まことに二つと得がたい大黒 これほど手馴れた鷹は ほかにあるまい )
「語句解釈」 鷹はしも: 鷹狩の鷹は多くいるけれども 「しも」は強意をあらわす
矢形尾 : 矢の羽の形をした尾の鷹
大黒 : 家持所有の蒼鷹(オオタカ:3歳の雌鷹)の名前
白塗りの鈴 : 銀メッキした鈴
五百つ鳥、千鳥 : 多くの鳥
踏み立て :勢子や犬が草むらや藪に踏み込む
をちもかやすき :「をち」は戻るの意で鷹が手元に戻ってくること
この歌に詞書があり、その大意は
「 747年、富山県射水郡の古江の村で姿かたちは立派で、雉を捕らえる技術も
抜群の蒼鷹(オオタカ)を捕えた。
大いに喜んで大黒と名付けて飼育を翁に任せていたところ、時節はずれの
調教しょうと無断で鷹を持ち出し、しかも不注意で逃げられてしまった。
そこで鳥網などを張って万が一の僥倖を頼んだが無駄だった。
毎日、残念無念と悔やんでいたところ夢に中に1人の少女が現われ、
逃げてしまったあの鷹を捕まえる事が出来るのもそんなに先ではないでしょうと
告げたので、たちまち目が覚め、喜びこの歌を詠った」ということです。
まれに見る名鷹、時節は渡り鳥の季節で鷹狩には絶好の時、家持が
切歯扼腕している様子が目にみえるようです。
残念ながら夢のお告げは正夢とはならず、それから4年後、家持は再び白鷹を飼いました。
万葉集で鷹の歌は七首ありますが、すべて家持の作。
鷹狩に対する愛着と執心がことのほか強かったのでしょう。
「 鷹匠のいつくしみつつ厳しき目 」 山田凡二
箕浦芳浩氏 (織田宗家十三代鷹匠) は鷹の調教について次のように語っておられます。
『 鷹は必ず人間の拳の上で、ものすごくおとなしくしていなければいけないんです。
1日に2時間も3時間も、拳の上に据えてじっとさせる「据え回し」という訓練をします。
そうして拳の上が最も安心できる場所であり、拳から飛び立ったら獲物が獲れて、
それが食べられるということを条件づけるわけです。
鷹が飛び立つ瞬間は「人鷹一体」といって人と鷹とが一心同体にならなければいけない。
鷹匠の魂が鷹に乗り移り、その欲が獲物をつかまえさせる、そういうところがあるんです。
ですから獲物を押えた瞬間は、人も鷹も、最も気持のいい魅力的な空間を味わうわけです。」
( NHK、日めくり万葉集より:2009年11月16日放映 )
「 鷹匠の放ちし鷹の日に光 」 田中王城
「リンリンリンリンリーン」涼やかな音が空中を渡っていきます。
鷹に鈴を付けるのは、飛んでいく位置を知るためですが松岡正剛氏は
『 鈴は精神をチャンネリングしマインドチエンジさせる道具で、
今なお神社の巫女さんたちが鈴を振っているのと同じである。
鈴を鳴らしながら大きく旋回し、空中を舞っている鷹の姿を見ながら人々は
魂を高め、鎮めていたのである 』と述べておられます。
( 花鳥風月の科学より大意 中公文庫)
悠々と天翔ける鷹、眼光鋭く威厳があるその姿は古来から尊重され、多くの神話や
伝説が生み出されました。
古代エジプト人は天空を翼、右目を太陽、左目を月とする神 ホルスの姿を鷹に
イメージし、ギリシャ神話では霊長キルコスを鷹とみなし、オーストラリアでは
火を最初におこしたのは鷹とする神話もあるそうです。
そしてゴーリーキーは19世紀末の帝政ロシアで圧制からの開放を
「鷹の歌」に託しています。
『 おお、勇ましい鷹よ! お前は敵との戦いに血を流した。
けれど やがて時がくれば、お前の流した血の一滴一滴は、
生活の闇の中で火花のように明るく燃えさかり、多くの大胆な心臓に、
自由と光明へのもの狂おしい渇望を燃えたたせるであろう。 』
(ゴーリーキー短編集所収 鳥の歌より 上田進、横田瑞穂訳編 岩波文庫)
[ 鷹の目の枯野に居(すわ)るあらしかな ] 丈草
翼を逆立てるばかりの嵐の中で鷹匠の手に据えられ、鋭い眼光で獲物を狙っている鷹。
野生の鷹が枯れ木に止まっていると解釈した場合は、大きな広がりを持つ一句です。
by uqrx74fd | 2011-02-14 20:34 | 動物