万葉集その三百七(つぎね:ヒトリシズカ)

「 つぎねふ 山背道(やましろじ)を  人夫(ひとづま)の馬より行(ゆ)くに
  己夫(おのづま)し 徒歩(かち)より行けば  
  見るごとに 音(ね)のみし泣かゆ  そこ思ふに 心し痛し
  たらちねの 母が形見と 
  我が持てる まそみ鏡に 蜻蛉領巾(あきづひれ) 
  負い並(な)め持ちて   馬買へ 我が背 」        
                              巻13-3314 作者未詳

「 馬買はば 妹徒歩(かち)ならむ よしゑやし
   石は踏むとも 我はふたり行かむ 」   
                      巻13-3317 作者未詳

妻曰く
( つぎねふ山城道を、よその夫は馬で楽々行くのに
 私の夫は難儀しながらとぼとぼと歩いて行く。
 その姿を見るたびに可哀想で、声をあげて泣きたくなる。
 そのことを思うと心も痛んでならない。
 あなたさま、私が母の形見として大切にしている鏡と蜻蛉領巾(あきずひれ)を
 肩に背負って売りに行き、その金で馬を買ってくださいませ ) 13-3314
  
夫答えて曰く
( 私が馬を買っても二人は乗れないから、お前さんは歩かなければならないだろう。
 かまうものか、石を踏んで難儀しょうとも一緒に歩いて行こうよ ) 13-3317

犬養孝氏が「結婚式のスピーチに」と推奨されている微笑ましい夫婦の
いたわりあいの歌です。

道路が十分に整備されていなかった昔の山道。
旅する人は難儀なことだったでしょう。

「 一人静二人静も草の名や 」 一莖草

「つぎねふ」は山城にかかる枕詞で、「つぎね」は「ヒトリシズカ」または
「フタリシズカ」の古名、「ふ」は生えているという意。
和名抄の「つぎね: 豆木禰久佐(ツキネクサ)」に由来するとされています。

それに対して、原文表記が「次嶺経」(つぎねふ)となっているので
「いくつもの嶺を越えてゆく」意で山城道に掛るとする説もありますが
植物名説のほうが優勢のようです。

蜻蛉領巾(あきづひれ)はトンボの羽のように透き通った極上の領巾で
頸から肩に掛ける女性の装身具(ショールのようなもの)。

当時の馬は小さかったので一人しか乗れず、しかも高価なものでした。
「 馬の値段は現在の金額にして高いもので42~43万円、安いものでも25~26万。
鏡は25万~30万円 蜻蛉領巾は1万円前後」と推定されています。
( 山田良三 万葉歌の歴史を歩く 新泉社 )

この問答歌は、民謡的な要素を多分に持っているので、お祭りなどで
演じられた寸劇のセリフだったかもしれません。
見る人、聴く人に多くの共感を得て伝え続けられたものと思われます。

当時の山城は土木、治水、製鉄技術を持つ渡来人、秦氏などが多数移住しており、
鋤、鍬、刃物などの道具を作って生産活動に供していました。
その結果、水田が飛躍的に拡張されて人口が増加し、経済力は強大となり
『 人馬往来の頻繁な交易の道、万葉時代の商人の姿が彷彿とたち現れる」
(井村哲夫:万葉第132号) ような繁栄ぶりだったそうです。

さらに司馬遼太郎氏は
『 嵯峨野を歩いて古代の秦氏を考えないというのは、ローマの遺跡を歩いて
ローマ人たちを考えないのと同じくらいに鈍感なことかもしれない。』
                 (街道をゆく:嵯峨散歩 朝日文庫) とも述べておられます。

   「 見つけたり一人静と云える花 」  森脇襄治

「ヒトリシズカ」、「フタリシズカ」は共にセンリョウ科の多年草で
山野に多くみられます。
どちらも源義経の愛妾、静御前に因む名前です。

「 一人静 坂越し山越す 誰(た)が恋も 」 中村草田男 
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by uqrx74fd | 2011-02-21 20:00 | 植物

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