万葉集その三百十(象山:きさやま)

( 象山)
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『 静寂そのものの吉野の里に象山を求めて歩き廻った。
  万葉の歌の世界が今もそのままじっと、そこにあった。--
  象山はよくみるとアチコチの山全部が象の形に見えてきてしまったが、
  飛鳥の人達が象の山を愛した素直な童心が漂ってくるようで嬉しかった。
 小鳥達のさえずりも明るく、いきいきと心豊かな飛鳥時代の生活が
 目の前に大きく拡がってきた。 』
        ( 川崎春彦(画家) 万葉日本画の世界所収 奈良県立万葉文化館より)

「 み吉野の 象山の際(ま)の 木末(こぬれ)には
   ここだも騒ぐ 鳥の声かも 」    
                     巻6-924 山部赤人


( み吉野の象山の谷あいの梢では あぁ、こんなにもたくさんの鳥が
 鳴き騒いでいる )

象山(きさやま)は奈良県吉野町宮滝の南正面にあり、稜線が象の形に見えるところから
その名があります。
「きさ」は象の古名で象牙の横断面に橒(キサ)すなわち木目に似た文様が
見えることに由来するそうです。
象の渡来は江戸時代とされていますが、万葉人は正倉院御物に描かれた絵や
象にまたがる普賢菩薩像を見てその姿形を知っていたのでしょう。

この歌は725年聖武天皇が吉野離宮へ行幸された折に詠われたもので、
長短歌3首で構成されています。
長歌で柿本人麻呂以来の土地褒めの伝統を踏まえて天皇を讃え、短歌二首では
朝廷賛歌より自然の叙景を前面に打ち出しており、従来の行幸歌の殻を破った
万葉傑作の詠とされています。

以下は犬養孝氏の「万葉の旅:平凡社」からの要約です。

『 吉野川の谷は渡り鳥の通路でもあって、しぜん鳥の声も多く、
宮滝付近の歌にはホトトギス、呼子鳥、千鳥、鴨など、鳥の声が多くよまれている。
  この歌は大きな景から小さい一焦点「木末:こぬれ=枝先」へと「の」の音で
重ねてしぼっていって、そこに たくさんに騒いでいる鳥の声を描く。
そのしぼってゆく呼吸に応じて、作者の心も自然の静寂の中に歩一歩ひそまって
ゆくようで、そのはてに四三、三四音(ここだも騒ぐ 鳥の声かも)の律動に乗って
描かれてゆく鳥の声に、作者の心はもう自然にとけこんでいって、
大自然の鼓動をじかにきいているようである。
この歌一首でも自然詠の絶唱としてたたえられるのに値する。 』

「 ぬばたまの 夜の更(ふ)けゆけば 久木(ひさき)生ふる
      清き川原に 千鳥しば鳴く )  
                     巻6-925 同上


( 夜が更けてゆくにつれて、久木の生い茂る清らかな川原で
 千鳥がチチ チチと鳴きたてている )

久木は「ノウゼンカズラ科のキササゲ」または「トウダイグサ科のアカメガシワ」
(共に落葉高木)とされ、川は象川(きさかわ)です。

深々(しんしん)と更けゆく夜。
静寂(しじま)の間から鳥の声が聞こえてくる。
耳をすますと玲瓏と響く川の音と千鳥の澄んだ声。

瞑想することしばし。

昼間に見た清々しい川原と緑鮮やかな木々。
そして飛び交う様々な鳥たちの姿が目に浮かぶ。
それはあたかも眼前でその情景を見ているようだ。

やがて口元から朗々とした調べが。
「 ぬばたまの 夜の更けゆけば 久木生ふる - -」
かくして1300年後に絶賛される名歌が誕生しました。
それは、心の集中から生まれた鮮やかな写生とも言える静寂の極致です。

「 橡(とち)の実を晒(さら)せる象の小川かな 」   水野露草
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by uqrx74fd | 2011-03-14 08:11 | 自然

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