万葉集その三百十三 (つまま=タブの木)

「つまま」は照葉樹林を構成する主要樹種であるクスノキ科の常緑高木で、
こんにちの「タブ」とされ「犬楠(ヌククス)」ともよばれています。
年を重ねて巨木に成長すると、根を盛り上げるように延ばし、さながら猛禽類が
足で岩を掴んでいるように見え、いかにも力強くて威厳があり、神木と崇められるに
ふさわしい雰囲気を漂わせている樹木です。

もともと亜熱帯地方を中心に分布していた樹種ですが、夏の頃、黒潮に乗って
北の方に流れつき、能登半島や、岩手県中部、青森県西南部などの寒冷地でも
大きく成長する強靭な生命力の持ち主です。

材は緻密で建築材、家具、器具材に、樹皮の粉末は線香をつくるときの粘結剤として
用いられ、さらに、八丈島特産の黄八丈は島に自生するタブの皮から作られる
煎汁と灰汁で染められているなど、用途が多様に亘る有用の木です。

「 磯の上の つままを見れば 根を延(は)へて
     年深くあらし 神さびにけり 」
                  巻19-4159 大伴家持


( 海辺の岩の上に立つツママを見ると、根をがっちり張って 
 見るからに年を重ねている。
 なんという神々しい姿であることか )

750年晩春、出挙(すいこ)のために古江の村に行く途中での詠。
出拳とは公の稲を貸し、秋に利息をつけて返済させる制度で、国司の重要な
政務の一つでした。
作者は巡行の途中、富山県高岡市の雨晴海岸、渋谿(しぶたに)の崎を通り過ぎる時に、
巌の上に聳え立つ巨樹を見て驚き、その姿の神々しさに感銘を受けたようです。

『 家持が見たツママも黒潮にのって南から流れてきた実が海岸に自生したもの
 であろう。
 ちょうど渥美半島南端の伊良湖(いらご)岬に流れついた椰子の実、
 あの柳田国男が見つけ、島崎藤村が詩によんだそれと同様で、
 古代版、椰子の実が家持のツママだったことになる。
 家持は藤村とおなじように、この木から暖かい南国を想いやったのであろう。
 輝くような太陽、その中で繁茂する樹木などを 』
                       ( 中西進 詩心 中公新書)

家持が見たタブの木は現存しておりませんが、彼が勤務した国府の地にある
勝興寺(しょうこうじ)の山門の前に巨大なタブの木が茂っており当時の面影を
伝えてくれています。

古名「つまま」の由来は「ツマ」は副える、「マ」は間の意で(松本彦七郎:万葉植物新考)
家屋でいえば別室のようなもの、つまり、タブの木の下で作業をしたことに
よるそうです。
確かにタブの木は巨木になり、その下は繁る葉で陽光を遮り、少々の雨なら凌ぐことが
出来るので人々が作業場として利用することはあったでしょう。
通説ではありませんが支持する人も少なくないユニークな説です。

「 たぶの木の ふるき社に入りかねて
       木の間あかるき かそけさを見つ 」 折口信夫


能登の気多(けた)大社での詠。
その地で眠る作者はタブの木に心ひかれた一人でした。

以下は山口博著「万葉の誕生と大陸文化」(角川選書)からです。

『 折口は彼一流の論法で、タブはタマすなわち玉で、日本民族の魂の
  よりどころの木と見た。
   「 私たちの祖先が、日本列島に初めて漂着した海岸は、
     タブの木の杜(もり)に近いところであったろう」 
  と折口は幻想的に語る。
  彼の脳裏にはタブの木が生い茂る気多の浜辺があった。- -
  彼は、タブの古木の神々しさに打たれているのである。
  日本民族の列島漂着と巨木を結びつけた折口は、母なるかなたの国の
  巨木信仰をも視野に入れていたのではなかろうか。 』

「 そこに太い根がある
  これをわすれているからいけないのだ
  腕のような枝をひき裂き
  葉っぱをふきちらし
  がんじょうな みきをへし曲げるような大風のときですら
  真っ暗な地べたの下で
  ぐっとふんばっている根があると思えばなんでもないのだ
  それでいいのだ
  そこにこの壮麗がある
  樹木をみろ
  大木をみろ
  このどっしりしたところはどうだ 」 
                 ( 山村暮鳥 人間に与える詩より)


南の国から流れ着き、千年余も生き続けている北国のタブの木。
その長い歴史の中で、地震、津波、暴風雨、吹雪、あるいは水も涸れる日照りに
さらされた時期もあったことでしょう。
その過酷な時を耐え抜いた雄雄しい神木は、わが日本人の魂のよりどころとして
これからも温かく見守ってくれるに違いありません。

「頑張れ日本!」「頑張れ東北!」 
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by uqrx74fd | 2011-04-03 08:59 | 植物

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