万葉集その三百二十九(伊香保)

(榛名富士)
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『 「今日は榛名から相馬が嶽に上って、それから二ツ嶽に上って屏風岩の下まで来ると
   迎えの者に会ったんだ。」
  「 そんなにお歩き遊ばしたの?」
  「 しかし相馬が嶽のながめはよかったよ。浪さんに見せたいくらいだ。
    一方は茫々たる平原さ、利根がはるかに流れてね。
    一方はいわゆる山また山さ、その上から富士がちょっぽりのぞいているなんぞは
    すこぶる妙だ。
    歌でも詠めたら、ひとつ人麻呂と腕っ比べしてやるところだった。
    あはははは。 」 』
                         ( 徳富蘆花:不如帰:ホトトギス 岩波文庫 より )

 「夏の夕やみに ほのかに匂ふ月見草」のような楚々たる美女、浪と
 その夫、川島武雄との会話です。
 明治末、この悲恋小説で伊香保は一躍全国に知られるようになり、
 新婚旅行のメッカになったといわれています。

伊香保は「巖穂(いかほ)」で大きな山が国の中央に聳え立ち、いかつく、大きく
秀でているの意で、古くから神が鎮座する秀峰として崇められてきました。

「 伊香保風 吹く日吹かぬ日 ありと云へど
    我が恋のみし 時なかりけり 」
              巻14-3422 作者未詳(東歌)


( 伊香保の峰から吹き降ろす風、この風は吹いたり、吹かなかったりする日が
 あるが、私の恋の風は、休みなく毎日吹き続け、やむ時がありません。)

東歌にしては方言もなく非常にわかり易い歌。
上州名物の空っ風は、今も昔も健在です。

「伊香保嶺(ね)に 雷(かみ)な鳴りそね 我が上(へ)には
  故(ゆゑ)はなけども 子らによりてぞ 」
           巻14-3421 作者未詳(東歌)


( 伊香保の嶺 雷なんぞ鳴らないでくれよ。
 俺は何ともないが、あの子は恐がるだろうからな。
 こうも雷が鳴ってばかりでは、デートもおちおち出来やしないよ。)

伊香保嶺は現在榛名山とよばれている山々です。
作者は女に逢いに出かけているのでしょうか。
その昔、雷は「鳴神」と呼ばれ農耕の水をもたらすものとして崇められていました。
その神様を「恋の邪魔になるから鳴るな」と注文を付けているのです。
自然崇拝から脱皮しつつある民衆の感情が窺われる一首です。

この歌の解釈に奇説があります。
真夏の太陽が照りつける中、二人の男女が母親の監視の目を盗んで交会に
及ぼうとする場面だというのです。

以下は根岸謙之助氏(上武大学教授)による生々しい描写です。

『 男は手をさしのべて、女を寝床にさそう。
女は男のなすがままに身を委ねて、草の上に仰臥する。
そして男の愛を受け入れるべく、思いきり四股を伸ばし、眼をつぶる。
すでに半裸体になった男は、身をかがめて、もどかしげな手つきで、
女の下裳の紐を解きにかかる。
その時である。
突如として大地をゆさぶるような大音響がおこった。
続いて二度三度。
それはたたなずく伊香保の山々にこだまして、ゴロン、ゴロンという
連鎖音が二人の耳朶を撃つ。
びっくりした女は、むき出しになっていた下半身を反射的に両手でおさえ、
ついでに下裳の裾を合わせようと身もだえた。
女へのつもる思いを、この一刻(ひととき)に遂げようと満身の血をわきたてて
いた男は、いっぺんに気勢を殺がれ激怒して思わず叫ぶ。
「 雷公 鳴るな!!」 』  
                       ( 上州万葉の世界:煥乎堂より)

さらに「雷は女の臍(へそ)を取るのでこれはまさに絶好の餌食」とも。
想像力豊かな方ですねぇ。


「 伊香保ろの 沿ひの榛原(はりはら) 我が衣(きぬ)に
   着(つ)きよらしも ひたへと思へば 」 
                     巻14-3434 作者未詳(東歌)


       ひたへ: 一重の方言:裏がない着物

( 伊香保の山の麓の榛原。
  この原のハンの木の実で染めた俺の着物はぴったりしてよい具合だ。
  一重で裏地もなく、涼しいし。)

「この榛原の女はおれにぴったりだなぁ。裏心もなく純粋一途で。」と
一人悦に入っている男です。

伊香保は火山灰地が多く、土地は痩せて崩れやすいため、丈夫なハンノキが
多く植えられ、治山工事の植栽木とされていたそうです。
ハンで染めた衣は触媒によって栗色や鼠かかった黒色になります。


「 高山の頂(いただき)に立つ 幾岩山(いくいわやま)
    烏帽子(えぼし)鬢櫛(びんぐし) 名のあはれなり 」 窪田空穂


 「榛名山」は単一の山の名称ではなく、掃部(かもん)ヶ岳(1449m:最高峰)、
  臥牛(がぎゅう)山、鬢櫛(びんぐし)山、烏帽子岳、榛名富士、相馬山、水沢岳、
  二つ岳など榛名湖を囲む一帯の山々の総称とされています。
    
    

      「 初蝉や 榛名修験の 水行場 」 水谷爽風
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by uqrx74fd | 2011-07-24 08:30 | 万葉の旅

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