万葉集その三百三十三(薬の神様)

「大神神社 後方の山はご神体の三輪山」
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「 少彦名神社 大阪道修町 」
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「 少彦名神社 」
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我国で最も古い薬の神様は大国主命( オオクニヌシ ノミコト)と少彦名命
( スクナヒコナ ノミコト)といわれています。

大国主命は「力」、少彦名命は「知恵」に秀でられ、古事記、日本書紀によると、
父、神産巣日神( カミムスヒ ノカミ)から
「お互いに兄弟として力を合わせ、国をつくり固めよ」と命じられたそうです。

ここでの国つくりとは、日本列島をつくることではなく、人々に農業や医術を教え、
安定した生活を営ませることをいい、二神共々民を指導して豊かな農耕社会を
築くことを託されたのです。
大切な任務を与えられた二神は人民と家畜のために病気治療の方法を、また、
諸々の災いを除くため、呪(まじない)の法も定め、日本各地を指導しながら
巡り歩かれました。

「 大汝(おほなむち) 少彦名(すくなひこな)の いましける
    志都(しつ)の石室(いはや)は 幾代経(へ)ぬらむ 」

     巻3-355 生石村主真人( おひしの すぐり まひと)


 ( 大汝や少彦名命が住んでおられたという ここ志都の岩屋。
  この神さびた窟は一体どのくらいの年代を経ているのであろうか )

大国主命は大汝(おほなむち)ともよばれました。
幾代経たとも知られぬ神代さながらの岩屋を訪れ深い感慨を抱いた官人の一首です。

志都の石室の所在は二神が全国各地の国つくりをされただけに、諸説あり、
兵庫県高砂市の生石(おうしこ)神社、三木市の志染(しじみ)の窟、
島根県邑智(おおち)郡瑞穂町岩屋説などありますが、犬養孝氏は島根県大田市静間町の
日本海に面した静之窟(しずのいわや)がいかにも歌の趣にかなうとされ

『 こんにちの人でさえ、ぞっと寒気がするような岬の大洞窟に、古代人が神秘と畏怖を
おぼえて国土経営の神のすまいと伝えるのも当然のことだし、こうした洞窟を
見あげて「幾代経るらむ」の感動をいだくのもしぜんのことだろう。-
洞窟のなかからみる海の色はかくべつ鮮明だ。
誰一人、旅の人のこないところだから海水も澄明のかぎりだし、砂浜の汀には
千鳥が群れ、鳴き声は波音にまじって、やがて岬の山にすいこまれてゆくように
思われる。』    と述べておられます。  ( 万葉の旅 下 平凡社より)

大国主命信仰は一世紀半ばごろ出雲で生まれ、「因幡(いなば)の白兎」にも登場しています。
ワニザメを騙そうとして逆に捕えられ、赤裸にされた白兎が通りかかった大国主命に
「きれいな水で体を洗い、蒲(がま)の黄(はな)をとり浜辺に敷いてその上を転がれ」と
教えられ、もとの膚に戻ることが出来たというお話です。

この説話は、大国主命は薬の神様であるが故にガマの花の花粉の止血、消毒効能を
教えたことを示唆しています。
また「伊予国風土記」によると、少彦名命が死にかけた時、大国主命が大分の
速水(別府)の湯からパイプを引いて少彦名命に浴びさせ、生き返らせたとも
書かれており、温泉治療の効能にも熟知していたことを窺わせています。

「 大汝(おほなむち) 少御神(すくなみかみ)の 作らしし
    妹背の山を 見らくしよしも 」
                      巻7-1247 柿本人麻呂歌集


( その昔、大国主命と少彦名命が力を合わせてお作りになった妹と背の山。
 この山を眺めるとなんと素晴らしいことよ。)

夫婦仲睦まじく並んでいるように見える妹山、背山。
大和五条から紀伊に向かう途中、紀ノ川沿いに美しい姿を現します。
出雲から出発された二神の国つくりが大和、紀伊にも及んだことが知られる一首です。

二神がめでたくその使命を終えた後、大国主命は大物主神(オオモノヌシノカミ)という
名に変えて大和三輪山の神のまつりとなり、少彦名命は、常世の国に去られたと
伝えられています。

そして、1300年後の現在。
大国主命(大物主神)はそのまま三輪山の大神神社(おほみわじんじゃ)に、
少彦名命は大阪、道修町の少彦名神社に祀られ、共に薬の神様として崇められています。

「 お供への 百合の根細し 花鎮め 」 福永京子

毎年4月18日、大神神社で花鎮祭 (はなしずめのまつり:俗に薬祭) が
盛大に行われます。
神饌に百合根、忍冬(すいかずら)の薬草が献供されるとともに、
関西を中心とした製薬業者から2万点を超える薬品の奉納があり、
祭典後、社会福祉施設、援護家庭、地方団体などに贈られているそうです。
さらに、忍冬を原料に醸造した薬酒「忍冬酒」が授与され、12月に入ると薬祖神の
御神徳を広く一般に分かつため、お正月用のお屠蘇が出されます。

「 春琴の家は代々鵙屋(もずや)安左衛門を称し、大阪道修町に住して薬種商を営む。
 - - 春琴 幼にして頴悟(えいご)、加ふるに容姿端麗にして高雅なること
 譬(たと)へんに物なし。」 
                         (谷崎潤一郎著 春琴抄 新潮文庫より)


名作「春琴抄」の舞台となり、その町の名を知られた大阪の道修町は、
江戸時代の初めから薬種問屋が集まったところです。

今日でも製薬、薬品会社がひしめく中、少彦名神社、町の人からは神農(しんのう)さんと
親しまれている薬の神様がビルの谷間に静かに祀られています。
神農さんとは、中国の医薬の祖、神農氏による神で漢方医薬の祖として もともと
この地に祀られていたものが少彦名命と合祀されたそうです。

薬用に供される植物や、動物、鉱物などを「本草」といいますが、我国最古の本草の書
「本草和名」(918年)の中に少彦名神の名を持つ薬草が登場します。

曰く、「須久奈比古乃久須祢(すくなひこのくすね)、以波久須利(いわくすり)」

「くすね」は薬の古名。「いわくすり」は岩に着生して奇しき効力を発する草の意

それは現在「石斛(せっこく)」といわれる岩や古い木の枝に着生するラン科の多年草で、
健胃、解熱、消炎、強壮、強精剤として効ありとされ、今日でもよく見られる
テンドロビユームもその一種です。

薬用植物として今も重用されている石斛の古名に国土経営の神の名前が
冠せられていることは、少彦名命が大国主神と力を合わせて病苦に悩む多くの人々を
救ってきたことが窺われ感慨深いものがあります。

少彦名神社では毎年11月22-23日に「家内安全、無病息災」を祈願して、
神農祭がおこなわれます。(大阪市無形文化財)

薬玉飾りや薬関係者の献灯提灯が立ち、多くの露天商が軒を並べ、厄除けの
張子の虎を求める参詣者で終日賑わい、薬関係の仕事に従事する人は、
社から受けた厄除け張子の虎を顧客に配るのに大忙しだそうです。

張子の虎を配る所以は1822年大阪でコレラが流行した時、虎頭骨を配合した
「虎頭殺鬼黄圓( ことうさつき おうえん)」という丸薬をを施与すると共に
病除けお守りの虎を授与したことによるそうです。

「 神農(しんのう)の 祭の虎を もらひけり 」 本田一杉
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by uqrx74fd | 2011-08-21 09:22 | 生活

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