万葉集その三百三十七(朝影)

「 去(い)にし子 」
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( 髭面の泣き男  神代植物公園にて )
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『 朝影って、こんなすばらしい言葉があるでしょうか。
  だって朝、人間が道に立つとするでしょ。
  太陽は東から照るでしょ。
  そうしたら電柱みたいな細い影になるでしょ。自分の影が。
  これを朝影というんですね。
  恋の悩みで私はもう ひょろひょろ になっちゃった。
  ひょろひょろと言ったらまずしいけれど、朝の影みたいに電柱みたいに細い
  影法師になっちゃった。- -
  万葉人の造語力のすばらしさ。非常に勘のいい言葉でしょ。 』

                     ( 犬養孝 わたしの万葉百首 ブティック社より要約 )

  
「 朝影に 我(あ)が身はなりぬ 玉かきる
    ほのかに見えて 去(い)にし子ゆゑに 」
             巻11-2394   柿本人麻呂歌集


( 我が身はとうとう朝日に映る影法師になってしまった。
 あのほんのちょっと姿を見せて、行ってしまったあの子ゆえに )

「玉かきる」は「玉かぎる」の訓みかたもあり、「ほのかに」に掛かる枕詞。
「玉がかすかに光るように」の意。

この部分の原文表記は
「玉垣入(たまかきる) 風所見(ほのかにみえて) 去子故(いにしこゆえに) 」 
とあり、神社の玉垣に入るかすかな風の印象を与え、その子が風の様に去っていったさまを
連想させています。

「ほのかに」は通常「髣髴(ほのか)」の字が当てられていますが、ここでは法華経にある
「風(ほのか)」が採られており、作者は仏典にも精通していたことが窺われ、
隅々にまで繊細な神経が行き届いている名歌です。

永井路子さんはこの歌をさらに想像たくましく膨らませています。

『 「見る」の意味はそれだけだろうか。
  というのは、この言葉自体、ただ会って顔を見るというだけではなく、
  肌を重ね、夜をともにして愛撫を交わすという意味もあるからである。- -
  恋人同士の逢いびきは、ふつう男が女を訪れるという形で始まる。が、そのほか、
  祭の夜もデイトによく使われた。
  豊年を祝って、歌い、踊り、騒ぎ、その興奮に体をほてらせたまま、やがて
  一組、二組と暗闇に消えて行く、といったことはつい最近まで農村では
  よく行われていた。
  だから、この歌もそんなことを頭に入れておいて味わえば、ただならぬ思いを
  秘めていることがわかると思う。
  ふとしたきっかけで逢いびきした美しいあの娘- 
  「な、いいんだろう。」そっと肩を抱くと、細い肩が無言で肯いた。
  あの夜の記憶、あの肌の匂いは幻だったのか。
  かりそめの夜を過したあと、あの娘はどこへ行ってしまったのか- -』
                                (「万葉恋歌」:光文社より )

「 夕月夜 暗闇(あかときやみ)の 朝影に
       我(あ)が身はなりぬ 汝(な)を思ひかねて 」
                   巻11-2664 作者未詳 


( 夕方出ていた月が沈んで、暁の闇が明けた朝。
  私は、その朝日に映る影法師になってしまいました。
  あなたへの思いに堪えかねて  )

通い婚の時代、月の夜は女のもとに行く絶好の機会でした。
にもかかわらず男はついに訪れなかった。
夜通し待ち続けたやるせない女の思いを時間の経過とともに詠っている一首です。

なお、この歌の「汝(な)」から男が詠んだものとする解釈もありますが、
女歌にも用例があるので伊藤博説に従いました。

「 年も経(へ)ず 帰り来なむと 朝影に
      待つらむ妹し 面影に見ゆ 」
                   巻12-3138 作者未詳


( あの子は、年が変わらぬうちに帰ってきてほしいと、
毎日門に立って待ち続けているだろうな。
 きっと、朝日に映る影法師のように痩せ細ってしまっているだろう。
 そんな姿が目の前に浮かんで可哀想で仕方がないよ。)

遠く離れた旅の空から故郷の方角を仰ぎながら妻を思う。
帰郷の日も定かならぬ防人、あるいは都での労働に徴発された男でしょうか。

「 ほのぼのと 目を細くして 抱かれし
    子は去りしより 幾夜か経たる 」  斎藤茂吉


茂吉は人麻呂の「朝影に我が身はなりぬ」を見出したとき、心がふるえるほどに
感動したそうです。
そして、「おひろ」と題する連作にその影響を強く受けた作品を残しています。

「 愁へつつ 去(い)にし子ゆゑに 遠山に
  もゆる火ほどの 我(あ)が心かな 」  斎藤茂吉
 
         
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by uqrx74fd | 2011-09-17 14:38 | 心象

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