万葉集その三百三十九(橡:つるばみ)

クヌギ:神代植物公園にて
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クヌギの花穂(4~5月)  (万葉歌:ニッポンリプロより)
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楽寿園万葉の森(三島)
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橡(つるばみ)はブナ科コナラ属、檪(くぬぎ)の古名とされています。
本州以東の各地に自生し、建築材、鋤鍬(すきくわ)などの木製農具や
薪(まき)、木炭、近代では椎茸の榾木(ほだぎ)などに用いられ、
また、その実である団栗(どんぐり)はアクを抜いて食糧に、煮汁は樹皮と共に
重要な染料とされました。
 
橡を用いた染色は触媒によって様々な色に変わり、素染めでは亜麻色、
灰汁を使うと黄茶色系、鉄媒染で黒っぽい色(つるばみ色)になります。
橡色に染めた衣は褪色しにくく堅牢なので庶民の服とされ、また中流階級の人たちも
普段着にしていたようです。
万葉集で詠われた橡は六首ありますが、そのすべてが恋の歌か、地味ながらも
昔と変わらぬ色、すなわち妻に譬えられています。

「 紅(くれない)は うつろふものぞ 橡(つるはみ)の
     なれにし衣(きぬ)に なほ及(し)かめやも 」 

     巻18の4109 大伴家持  (既出 32回 部下の恋狂い:カテゴリー心象)

 

( 紅花で染めた衣は華やかで美しいけれどもすぐに色褪せるもの。
  橡染めは地味だが着慣れたほうが良いのに決まっている。
  年若い恋人より糟糠の妻だよ。お前さん。 )

遊女に入れあげている部下に上司である家持が諭している一首で、
説教している最中に都の本妻が妾の家に馬で乗りこみ、
町中が大騒ぎになったという愉快なお話です。

「橡(つるばみ)の 解き洗ひ衣(きぬ)の あやしくも
        ことに着欲しき この夕(ゆふへ)かも 」 
                        巻7-1314 作者未詳


( 橡の洗いざらしの着物が我ながら不思議なくらいに
  格別に着てみたい今日の夕べよ。)

「橡の解き洗ひ衣」とは古い着物を解いて洗い、仕立て直したもの。
「あやしくも」は自分でも不思議に思うくらい。

いつも橡染め着物を着ている女に慣れ親しんできた男が、
妻問ひの夕刻になり、急に懐かしくなり「久しぶりに逢いに行くか」と
思いたったようです。

「 橡の一重の衣 うらもなく
   あるらむ子ゆゑ 恋ひわたるかも 」 
                 巻12-2968 作者未詳


( 橡の一重の着物、
その着物のように裏(心)がないあの子は、男にさっぱり興味を示さないのに
俺様はずっと恋焦がれ続けていることよ )

相手の女はまだ「おぼこ」なのでしょう。
恋もまだ知らず無心に接してくる乙女を密かに想い続けている男です。

平安時代になると、橡で染めた濃い鼠色は、貴人の喪服の色となり、
枕草子の「あはれなるもの」(百一段)に

「 男も女も若く清げなるが、黒き衣(きぬ)を着たる」

などと書かれており、とりわけ女性の喪服姿は楚々とした中にも
凛とした気品を感じさせます。

「 秋風は 心いたしも うらさびし
    檪(くぬぎ)がうれに 騒がしく吹く 」 長塚 節


「 秋風だ。
  檪や楢や雑木やすべてが節制(たしなみ)を失って
  ことごとく裏葉も肌膚(はだ)を隠す隙がなく ざぁつと吹かれてただ騒いだ。
  夜は寂しさに すべての梢が相耳語(あいささや)きつつ、よけいに騒いだ。」

                ( 長塚節 「土」新潮文庫より)

「 檪葉(くぬぎば)は 冬落ちざれば 雪とけて
     雫をおとす 赭土(あかつち)の上に 」 島木赤彦


檪は落葉樹にもかかわらず葉を落とすのはごく一部で、そのほとんどが
枝に残って冬を越し、春、新芽が出はじめると、あたかも役目を終えたかの
ように新葉と交代します。
そして、黄褐色の小さな花を穂状に咲かせ、やがて成熟して団栗になるのです。

   「 団栗(どんぐり)や ころり子供のいふなりに」   一茶
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by uqrx74fd | 2011-10-02 10:23 | 植物

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