万葉集その三百四十(まゆみ)

( まゆみ:京都 天龍寺にて)
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「近づきて 花にはあらで 真弓の実」 五十嵐八重子

真弓は日本全土の山地に自生しているニシキギ科の落葉低木ですが、
中には10m以上の大木に成長するものもあります。
初夏に薄白緑色の4弁の小花を咲かせた後、方形の実を結び秋には熟して
美しい深紅色になり、葉も鮮やかに紅葉するのでヤマニシキギともよばれています。

「まゆみ」は真弓と書き「真(まこと)の弓の木」の意で、この材で
弓を作ったことに由来しますが、「檀」という字が当てられることもあります。

「 南淵の 細川山に立つ檀(まゆみ)
   弓束(ゆづか)巻くまで 人に知らえじ 」
                 巻7-1330 作者未詳


( 南淵の細川山に立っている檀の木よ。
 お前を立派な弓に仕上げて弓束を巻くまでその所在を人に知られたくないものだ )

南淵は奈良県明日香村稲淵の上流、細川山は明日香東南方細川に
臨む山とされています。
「弓束巻く」とは左手で弓を握りしめる部分に桜の樹皮や革を巻きつけて
握りやすくすることで、弓の仕上げの作業です。

男は山で立派な弓の材料になりそうな檀を見つけ、
「木が成長するまで誰にも取られたくない」と詠ったのですが、
檀を自分が目に付けた女に譬え、妻にするまで他人にその存在を知られたくないという心が
籠っています。

「 白真弓(しろまゆみ) 今春山に行く雲の
      行(ゆ)きや別れむ 恋しきものを 」 
                       巻10-1923 作者未詳


( 白真弓を張るという、春の盛りの山に流れて行く雲のように
 私はあなたと別れて行かなければならないのか。
 こんなに恋しくてならないのに。)

いとしい女性と別れて旅立つ男。
作者未詳歌ながら、高く評価されている一首です。

「白真弓は春山の枕詞であるけれども、その山容をくっきりと
空に浮き立つさまを印象づけるのに役立っている。」 (伊藤博:釋注)

「雲に寄せた春の恋の歌としては、まことにおだやかに上品に、
しかも感情があらはれている。
青々とした春の山に棚引く雲を眺めつつ別離の涙をしぼる
情景がしのばれよい歌」       (鷹巣 盛広 万葉集全釈)

「白真弓 石辺(いしへ)の山の 常盤なる
  命なれやも 恋ひつつおらむ 」 
               巻11-2444 柿本人麻呂歌集


( 永久に変わらない石という名をもつ石辺の山
  私の命はその常盤のように不変なのか。そうでもないでしょう。
  それなのにあの子に逢うことも出来ずにいたずらに恋し続けていることよ )

好きな子に逢えないまま、くずくずと日を送る男の自嘲。
白真弓:白木の弓。射るの意で同音の「い」、石辺(いしへ)に掛かる枕詞
石辺の山:滋賀県湖南市の磯辺山か

マユミが古くから重要視されたのは、弓という武器の材料になるほか、
この樹皮から貴重な和紙が作られ、奉書紙や写経などに用いられたことにも
よるようです。
ただ、紙としてはミツマタ、ガンピに比べて樹皮の繊維が短くかつ弱いため
次第に衰退しましたが、その堅牢緻密な材質を利用して各種器具、版木、
将棋駒、こけし、櫛などに加工されています。

「引きよせて みればあかぬは 紅に
   ぬれるまゆみの もみぢなりけり 」  作者未詳 (古今六帖)


見ても見ても見飽きない「まゆみ」の紅葉。
他の紅葉とは異なり、「下葉より染めはじめ、次第に上に及び」しかも長期にわたって
美しさが持続するので、笑み割れた美しい実とともに多くの人達に好まれてきました。

以下は 中 勘助著  まゆみ (岩波書店)からです。

『 - 私は家にも帰らずひとり信州の湖水の島に籠った。
  秋になってから毎日島を覆しそうな嵐が大木の森に咆哮した。
  その息をつく わづかのひまに島のはしに出てみると湖畔の丘の緑の中に
  魁(さきが)けて燃えるばかりにもみぢした木があった。
  ときどき食物を運んでくれる村の人にきいたら歌にあるまゆみの木だといった。』

「 いつしか里は 秋のきて
  むかうの岡の はつもみじ
  ぽつんと赤いひとむらを
  舟こぐ人に問ふたれば
  古歌にありとう梓弓
  まゆみの木とぞ申しける 」   』    ( 同上 )

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by uqrx74fd | 2011-10-07 08:48 | 植物

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