万葉集その三百四十四 (夕影)

( 手賀沼夕景 T.K氏 :親友の友人提供)
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( 露草と白露 )
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つるべ落としの秋の日ざし。
その中に残るほのかな光を昔の人は夕影とよびました。
ここでの「影」は「月影」と同じようにシャドウではなく光そのものを意味しています。
そして、この雅やかな言葉は私たちを紫に暮れ染まる美しい世界へと導いてくれるのです。

「 蔭草の生ひたるやどの夕影に
    鳴くこほろぎは 聞けど飽かぬかも 」
              巻10-2159  作者未詳


( 我が庭に夕方のかすかな光がさしています。
 おやおや、物蔭に生い茂っている草むらの中からコオロギの声が聞こえてきました。
 美しい音色、いくら聞いても飽きません )

  なんとなく侘しさを感じる秋の暮れ。
  目には見えない草陰の中で鳴くこおろぎ。
  深まりゆく秋色を感じさせる佳作で、
 「清純にして風韻に富み、いささかの感傷もないのが快い」(佐佐木信綱)一首です。

「 我がやどの 夕影草の白露の
    消(け)ぬがにもとな 思ほゆるかも 」
                  巻4-594 笠郎女


( 我家の庭草の上に置く露にかすかな夕光があたっています。
 この露がはかなく消えてゆくように、もう私も命が消え入りそう。
それほどに、あの方の事が思われてならないのです。 )

「夕影草」は作者の造語で、
「人麻呂の夕波千鳥に迫る美しさがある」(伊藤博)とも評されています。

「もとな」は「もうたまらなく、これ以上なく」の意で、
大伴家持に寄せる恋心を命あらんかぎりという気持で詠っています。

 暮れゆく中の幻想的な光を受けた草花とその上に置く白露。
胸の想いを精いっぱい訴えてもなんら応えてくれない、つれない男。
細ぼりゆく我が想いは露が消えてゆく儚(はかな)さのよう。
暮色立ちこめる情景と自身の恋情とが一体となった一首で、
『 誠に巧緻な表現。
  歌人として洗練され切った中から生まれてくるような歌』
  (犬養孝 万葉の人びと PHP) です。

「 我がやどの 秋の萩咲く 夕影に
    今も見てしか 妹が姿を 」   巻8-1622
        大伴田村大嬢(おほいらつめ) が妹 坂上大嬢に与えた歌


 ( 私の家の庭の秋萩が夕光の中で咲き乱れています。
  そんな美しい情景の中のあなたを今すぐにでも見たいものです。 
  おいでになりませんか )

都に住む作者から歌を贈られた坂上大嬢は当時、明日香の耳成山の麓、
竹田庄に住んでいました。
異母妹ながら互いに仲がよかったらしく、一刻も早く逢いたいという想いが
あふれています。

夕闇せまる光を背景にしてぼんやりと見える萩の花々。
その中に立つ妹のシルエット。
作者はそのような情景を瞼に思い浮かべながら詠ったのでしょうか。

「 風立ちて 夕かげ明し 刈り棄てに
   そこばくねかす 夏そばの花 」 北原白秋

    
(赤蕎麦畑 埼玉県 栗橋にて)
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by uqrx74fd | 2011-11-06 16:54 | 自然

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