万葉集その三百四十九(年内立春)

( 春告げ花 水仙 房総鋸南町 )
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( ふきのとう 青森ねぶたの里 )
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『 十二月の声が近づくと、もう年の瀬のあわただしさが頭にちらつきはじめる。

   「 一とせの暦を奥にまきよせて
      のこる日数の かずぞすくなき 」 藤原知家 (鎌倉時代の人)


  暦と言えば私たちは壁に掛ける日めくりやカレンダーを思い浮かべるが、
  古くをたどれば暦は巻物だった。
  日本での正式な暦の採用は千三百年ほど前、持統天皇四年(690)からと
  日本書紀は伝えている。
  百済から伝わった中国、宋代の元嘉暦だが、その後いくつかの中國暦を経て
  貞観4年(862)に施行された宣明暦は、そのままなんと800年以上も使われて、
  江戸時代に至った。 』
                        ( 海部則男 天文歳時記 角川選書 より)

「 み雪降る 冬は今日のみ うぐひすの
         鳴かむ春へは 明日にしあるらし 」
                巻20-4488  三形 王


( 白雪の降り敷く冬、その冬も今日で終わりです。
  鶯の鳴き出す春の到来は、もう明日に迫っているのですよ。)

757年12月18日に催された三形王の邸宅での宴歌で、「明19日が立春」と詠っています。
立春といえば2月の初めなのに、なぜ12月に到来するのでしょうか?
実は旧暦の「大の月」は30日、「小の月」は29日とされており、合計すると1年で
354日、つまり365日に11日足りません。
そこで、2~3年に1回、閏月(うるうづき)を置き、閏月がある年の1年は
13か月という暦になっていたのです。
記録などで年月が記載される時、閏8月とあるのは正規の8月に続きもう1回
8月が続いているということを示しています。
したがって、閏年あるいはその翌年に年内立春という現象が起きるわけです。
また、元旦1月1日が立春という年は19年に1度の割合で巡ってきたそうです。

「 あらたまの 年行(ゆ)き返り 春立たば
    まづわがやどに うぐひすは鳴け 」
             巻20-4490   大伴家持


( 年が改まって新しい春を迎えたなら、鶯よ!まず真っ先にこのわれわれの
  庭先で鳴くのだぞ )

三形王の歌に応じて詠われたもので、「春立たば」と暦の上での「立春」を
意識し、待ちに待った春の訪れを寿いでいます。

『 暦が貴族に使われるようになって初めて立春、夏至、春分などの節季が明確になり、
 暦に合わせたさまざまな節会で歌が盛んに詠まれたこともあって、
 歌人たちの意識に季節が大きく入り込むようになった。
 万葉集も初期には季節による分類はなかったが、大伴家持がはじめて四季による
 分類で巻18を編集した。』            ( 海部宣男 同 )

歌の世界における季節の分類は平安時代になると、さらに明確となり古今和歌集の冒頭
「春1」は有名な年内立春歌から始まります。

「 年の内に春は来(き)にけり ひととせを
         去年(こぞ)とやいはむ 今年(ことし)とやいはむ」
               在原元方 古今和歌集

 
( 年内に早くも春がやってきたよ。
 今までの1年を今日からどう呼んだらよいのか。
 去年と言おうか、今年と言おうか。 )

詞書に「ふる年に春たちける日よめる」とあり、
   「ふる年」は古い年 「春たちける日」は「立春の日」で
   「ひととせを」は「同じ1年であるのに今までを」の意です。

大陰暦では元旦までに立春が来ることは当時としては珍しいことではありませんでしたが、
春が来たという喜びをこのようにやや誇張してはしゃいでいます。

この歌は正岡子規が痛烈に批判したことにより一層世に知られることになりました。

『 古今集といふ書を取りて第1枚を開くと直ちに「去年とやいはん今年とやいはん」
  といふ歌が出てくる。
  実に呆れ返った無趣味の歌に有之候。
  日本人と外国人との合(あい)いの子を日本人とや申さん外国人と申さんと
  しゃれたるに同じ事にて、しゃれにもならぬつまらぬ歌に候。 』
                          ( 歌よみに与ふる書 岩波文庫より)

      「 平凡を大切に生き去年今年 」  稲畑汀子
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by uqrx74fd | 2011-12-11 22:10 | 生活

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