万葉集その三百五十七「乞食人(ほかひひと)の歌:鹿」

( 鹿踊り  Yahoo画像検索より)
b0162728_8405257.jpg

( 鹿踊り 花巻空港壁画 ウイキペディァ フリー百科事典より)
b0162728_8411856.jpg

乞食人(ホカヒヒト)とは人家の門口に立ち、音曲を奏したり芸能を演じたりして
金品を貰い歩く人、即ち「門付け芸人」の事で、今でも行われている鹿(しし)踊りや
獅子舞、三河万歳、大道芸人などの先駆をなすものです。

乞食には「カタイ」と「ホカヒ」の二つがあり、「カタイ」は「傍居」で、道の傍らに
座って金銭や食物を乞う人、「ホカヒ」は「寿(ホカヒ)」で祝い事を述べ芸をする人を
いいます。
乞食(こじき)という言葉は本来、仏教用語の乞食(こつじき)に由来し、街をまわって
食物などの施しを受ける修行をさしていましたが、次第に単なる物もらいと区別が
つかなくなったそうです。

万葉集には「鹿と蟹の痛みを述べる歌」二首残されていますが、芸人は民衆の前で
それぞれの動物の衣装を着て身振り手振りよろしく節をつけて詠っていたことでしょう。

以下は「鹿の歌」長歌の一部です。

(原文) 乞食人(ほかひひと) が詠ふ歌
「 ―  大君に我は仕へむ
 我が角(つの)は み笠のはやし  我が耳は み墨坩(すみつほ)              
 我が目らは ますみの鏡    我が爪は み弓の弓弭(ゆはず) 
 我が毛らは み筆(ふみて)はやし  我が皮は み箱の皮に
 我が肉(しし)は み膾(なます)はやし  我が肝は み膾はやし 
 我がみげは み塩のはやし - - 」

            巻16-3885 (鹿のために痛みを述べて作る )

(訳文)

( - 私は天皇のお役に立ちましょう
   私の角は お笠の飾りに   私の耳は墨を入れる墨壺
   私の目は 澄んだ鏡    私の爪はお弓の弓弭(ゆはず)
   私の毛は筆の材料   私の皮は革張りの箱に
   私の肉は膾の材料   私の肝も膾の材料
   私の胃の腑は塩辛の材料 - )
 
( 語句解釈)

はやし:  装飾、材料 
墨坩(すみつぼ):  鹿の耳が墨壺に似ることによる見立て
目:  鏡を連想させる    
ますみ:  きれいに澄んださま
み弓の弓弭 :  爪先を弓の先の鉄などで固めた部分に見立てた
み膾(なます)のはやし:   生肉を切り刻んだ料理
みげ:  内臓のことで塩辛のよき材料とされた

この歌の解釈については、庶民を鹿に見立てて、その苦しみと悲しみを詠ったものと
する説と、大君に食せられて身を捧げることを光栄とする説があり、学者間でも
意見が分かれています。

光栄説: 武田祐吉(万葉集全注釈)、土屋文明(万葉集私注)、鴻巣盛広(万葉集全釈)
沢瀉久孝(万葉集新釈)、大岡信(私の万葉集) 

中西進: 詠う立場により両方の解釈できる。即ち鹿の立場なら悲しみ、
ホカイヒトの立場なら鹿はこのように奉仕しますという光栄説となる
                           (万葉の長歌:教育出版社)

土橋寛氏はその著「万葉開眼」(NHKブックス)で

『 動物が人間に食われようとすることを幸福とする思想は食われる動物の考えではなく、
 食う方の思想であり、それは殺された動物の祟りを遁れようとする人間の手前勝手な
 思想である。
 だからこの思想を律令社会に移すなら鹿が大君に食われることを光栄とする思想は、
 大君の側に身を置いている宮廷官人や御用学者が抱くものであって、
 生産物や労働力を食われる立場にある農民の思想であるはずはなく、
 まして農民社会から脱落した「乞食者」の思想であるはずがない。

 飛鳥、藤原朝の人民は、明治以後のように、普及教育を通じて国家主義思想や
 忠君愛国思想を吹き込まれていないのである。 』

と述べ、伊藤博氏も土橋説に賛意を表し

「祝歌をもじった痛み、悲しみの歌以外ではない」(万葉集釋注8)
と強く主張されております。

未だに決着が付いていない本質的な問題ですが、本稿は伊藤説に拠って話を
進めてまいります。

鹿の芸能の起源は、農作物を食い荒らす鹿が農民に捕えられて殺されようとするとき、
今後は田畑を荒らさないと誓いを立てて許され、祝言を唱えて退散するというのが
本来の筋書きであり、時代と共に変化していったといわれています。

その背景には大化の改新以後、人民の租税と庸役の負担が段々重くなり、
農民は秋に収穫した稲を納めると春までの食糧しか残らず、已む無く
次の収穫期まで5割の利息がついている官稲を借りて喰いつがなければならないような
苦しい生活を強いられていたのです。
その上に飢饉などが起きれば生活は全く破綻してしまうような状態だったことでしょう。

さらに、平城京、東大寺大仏などの造営などにより庶民の負担がますます重くなり
諸国から都に納める「調」いわゆる物納税を運搬する往復の費用も自費であったため、
帰りの食糧が尽き、途中で行き倒れや乞食化する者が多発しました。
人びとはやむなく身につけていたホカヒの芸能をもって富者の門に立ち、
その謝礼として食を乞うていったのが職業的芸能人としての「ホカヒヒト」の
始まりといわれています。

過酷な生活を強いられながら表立って怨嗟の声をあげることが出来なかった多くの庶民。
深いペーソスを秘めた大道芸は大いなる共感もって迎えられたことでしょう。
そして、次第に形を変えながら全国各地に広がっていったのです。

この歌は庶民の生活の苦しさを伝えてくれていると共に、搾取していた側、すなわち
支配階級の人達が日常の生活で膾(なます)すなわち生肉や、塩辛を好んで食していた
ことも教えてくれています。
冷蔵庫などがない時代、新鮮な生ものを食すという事は最高の贅沢だったのです。

「 人口に膾炙(かいしゃ)する 」

「人々に知れ渡って賞賛される」の意の言葉ですが
「膾炙」の「膾」は「生肉:ユッケ」、「炙」は「あぶり肉、焼き肉」のことです。
よほど多くの人に好まれたのでしょうか。
なお、膾(なます)には細切りにするという意味もあり、刺身の元祖でもありますが
魚の場合は「鱠」と魚扁の漢字が使われていました。

「 鱠(なます)にしてもうまき小鰯(こいわし)」 
                            (俳諧開花集 1881年)


番外編

余録:「 なますと日本人 」 (毎日新聞 2011年5月13日) 

なますといえば、今はダイコンとニンジンの千切りを合わせ酢であえた
紅白なますを思い浮かべる。
だが、もともと漢字で書けば「膾」または「鱠」、獣や魚の生肉を細切りにした
料理のことだ。
なますというのも「生肉(なましし)」が転じたとされる
万葉集には鹿を詠んだ歌に「吾(あ)(鹿)が肉は御膾料(みなますばやし) 
吾が肝も御膾料……」、つまり自分の肉も肝も大君に供するなますの材料だという
ところがある。
また日本書紀には雄略天皇が狩りの獲物を料理人になますにさせるか、
自分で料理すべきかを問うくだりがあった。

当時の日本人は肉のなますをよく食べていたようだ。
だから今日も「肉膾」を好む人が少なくないのは分かる。
韓国語のユッケは漢字で書くと「肉膾」なのである。

ただそれを供する人々の衛生感覚まで古代同然では困る
4人の死者を出した「焼肉酒家えびす」のユッケによる集団食中毒で牛肉の
生食にともなう危険を初めて知った方も多かろう。
ユッケはよく食べられているのに、そもそも国の生食用衛生基準を守って出荷される
牛肉はないのだと聞けば、キツネにつままれた気分だ。
しかも警察に対し、ユッケの肉を卸した業者は生食用に使うと思っていなかったといい、
店側は卸売業者が生食用の処理をすませていたはずと話している。
責任の所在は今後の捜査で明らかにされようが、お客の生命を守る衛生管理まで
細切りにされてはかなわない

国はようやく衛生基準を見直し、生肉を扱う店の規制強化に乗り出すという。
「羹(あつもの)に懲りて膾を吹く」は心配性の人のことだが、
厚生労働省は熱くないがゆえの膾の危険にあまりに無頓着だった。
                              ( 学友M I さん提供)

その後の記事(毎日新聞 2012年1月27日)より

<生食用牛肉規格基準> 全国で9割以上の施設が違反


焼き肉チェーン店「焼肉酒家えびす」の集団食中毒事件を受け、厚生労働省が
昨年10月施行した食品衛生法に基づく生食用牛肉の規格基準を守っているか、
全国の飲食店などを対象に調べたところ、「生肉専用の加工設備がない」など
9割以上の施設が違反していたことが分かった。
違反施設には都道府県などが生肉の提供中止を指導したという。

昨年10~12月、牛タタキやユッケなどの生食用牛肉を扱う飲食店、食肉販売業、
食肉処理業の計445施設に都道府県などの職員が立ち入り調査を実施。
このうち418施設(93.9%)で違反が確認された。
厚労省は「新基準の周知が不十分だった」としている。
                          (以上)
なんともいい加減な話ですね
[PR]

by uqrx74fd | 2012-02-05 08:59 | 生活

<< 万葉集その三百五十八(山菅=龍の髭)    万葉集その三百五十六(山橘=藪柑子) >>