2012年 03月 04日
万葉集その三百六十一( 猿 )
( ニホンザルの親子 上野動物園にて )
( 猿田彦神社 東京:大塚 )
猿は人類を除く霊長目の獣の総称とされ、単に猿という場合はニホンザルをさすことが
多いようです。
古くは「ましら」ともよばれ、万葉集巻2-91の歌で「いへもあらましを」の
原文表示に「家母有猿尾」とあり、「まし」に「猿」という字を当てていることからも
そのことが窺えます。
また、猿を「えて公」とよぶことがありますが「さる」は「去る」に通じると忌まれ
「得て」に言い換えたそうです。
「猿」という字は本来「手長猿」をさし、尾の短いニホンザルは「猴」と書くべきと
されていますが、古くから混用され今は専ら「猿」。
縄文時代には各地で多く棲息していたらしく、遺跡から骨や埴輪などが出土しており、
また、記紀をはじめ各地の風土記に多くの記述があるにもかかわらず、
不思議なことに万葉集にはたった一首、それも極めて特異な場面、酒飲みの歌に
登場するのです。
「 あな醜(みにく) 賢(さか)しらをすと 酒飲まぬ
人をよく見ば 猿にかも似む 」
巻3-344 大伴旅人
( ちっ、醜怪きわまるなあ、利口ぶってさ、
わたくしお酒みたいなものいただきませんのよ、ホホホなんていうやつの顔を見ると、
猿そっくりだぜ ) (杉本苑子訳)
讃酒十三首の中の一ですが、大酒飲みの作者は酒を飲まない人を猿に似ていると
けなしているのです。
ここまで云われれば「けしからぬ」という反論が出てくるのは当然でしょう。
『 失礼な言い草ではないか。下戸の私は大いに気に食わない。
酒吞みというものは独善的で、えて、かかるタワゴトを口走るものだが
猿の赤っ面に似ているのは、そもそも酔っ払いか しらふか、どちらであろうか。』
(杉本苑子 私の万葉集 集英社文庫)
御尤も、御尤も。
旅人サンもさぞ苦笑いしていることでしょう。
正岡子規は旅人の歌をもじって
「 世の人は さかしらをすと 酒飲みぬ
あれは柿くひて 猿にかも似る 」 正岡子規
「さかしら」な人間をからかい、万葉人のようにもっと鷹揚になれと詠い
「 世の人は 四国猿とぞ笑ふなる
四国の猿の 子猿ぞわれは 」 正岡子規
と世の人が田舎者扱いするのをと「笑はば笑え」と吹き飛ばしています。
子規も賢しこそうに振る舞い利口ぶる人間には我慢ならなかったのでしょう。
『 猿は動物園の人気者だが、神経は細やかで繊細である。
猿を見て人は笑うが、猿は人を見ても笑わない。
面白くないからだ。 」
( 樋口 覚著 短歌動物誌 文春文庫)
そう云われれば ??
子猿がじゃれて親を見ながら笑っている場面に遭遇したことはありますが、
猿から笑いかけてきたことは一度もありませんなぁ。
青森県下北半島は北緯41度。そこに棲むニホンザルは北限の奇跡といわれています。
同じ緯度前後に位置するニユーヨーク、マドリード、ナポリ、北京、イスタンブールに
野性の猿は存在しません。
そもそも猿は熱帯、亜熱帯地方に生息する動物で、下北のニホンザルはさぞ過酷な
冬を過ごしていることでしょう。
厳寒の森の中で木の皮を剥いで飢えをしのぎ、それでも食べ物がないときは海に出て
貝殻、海藻、さらには流れ着く野菜や果物なども拾っているそうです。
「 わびしらに ましらな鳴きそ あしひきの
山のかひある 今日(けふ)にやあらなむ 」
凡河内躬恒(おほしかふちのみつね)
( 猿よ、そんなにもの悲しげに鳴くな。
山の峡(かい)、すなわち甲斐ある今日の日ではないか )
907年宇多法皇大堰川(おおいがわ)行幸の折、「猿、山の峡に叫ぶ」という題で
詠われたもので、「わびしら」→「ましら」と同音「しら」を反復し
「峡」と「甲斐」、「峡(けふ)」に「今日」を二重に掛けた技巧の歌です。
「法皇がいらした甲斐のある日だから、ふだんはもの悲しげに鳴く猿も
今日ばかりは悲しげに鳴くな」と呼びかけたものですが、猿が悲しげに鳴くという
表現は漢詩文の常套句であったようです。
平安時代、猿の鳴き声は「カッ、カッ、カッ」、鎌倉、室町、戦国から江戸時代までは
「キャッ、キャッ、キャッ」とか「キィー」と聞き慣らされていたようですが
これは猿の悲鳴で、檻に閉じ込められたり、人から制裁を受けたりしたときに
引きつった顔で鳴く声だそうです。
それが猿の一般的な鳴き声とされたのは
『 猿回しなどの風習が定着し、野性の猿と疎遠になったため、庶民は日常的に
耳にする鳴き声を代表的なものと受け取っていた 』と考えられています。
( 三戸幸久 人とサルの社会史 東海大出版会 )
下北半島で猿の生態を研究されている松岡史朗氏は
『 猿の鳴き声は30~40種類あり、心が落ち着いている時は、まろやかに
「クウ、クウ」と鳴き、これをニホンザルの代表的な声として推したい 』と
言われています。 ( クウとサルが鳴くとき 地人書館)
「膝立てて蚤(のみ)とる猿や岩の上」 涼菟
猿の毛づくろいを「グルーミング」といいますが、捕っているのは蚤(のみ)ではなく虱(しらみ)。
捕る方も心の安らぎを感じながら楽しんでいるようですが、3日もサボるとたちまち
虱だらけになるそうです。 (松岡史朗 同)
「 手を廻し 子猿背(せな)掻くに母の猿
その毛掻き分け 見てはやりつも」 太田水穂
出産、育児は母親のみで行い、父親の協力はなし。
近年の調査によると群れの中のボス猿は餌付けされた猿の世界の中のことで
野性の猿は協調の群れとなっており、ボスではなく、リーダという呼び名に
変えているそうです。
「猿の温泉入浴もよく放映されますがこれも餌付けされた人間を
怖がらない猿の生活の一環で、野生の猿にはその習慣がない。
ニホンザルの顔と尻が特に赤くなるのは秋の発情期。
興奮した時に発色し、赤の色は相手も興奮させるための性ホルモン。」
( 松岡史朗 同)
15年間も野生のサルに密着して生活をされた松岡氏。
今までの常識が大きく覆された貴重な記録です。
「 猿の子の目のくりくりを面白み
日の入りがたを わがかへるなり 」 斎藤茂吉
by uqrx74fd | 2012-03-04 09:35 | 動物