万葉集その三百六十七(枳殻:カラタチ)

( カラタチの刺  市川万葉植物園 )
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( カラタチの花  yahoo画像検索より )
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( 同上 )
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( カラタチの実  同上 )
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「 からたちの 固くかぐろき刺(とげ)の根に
    黄色の芽あり 春たけにけり 」  木下利玄

                      (かぐろき=か黒き 「か」は接頭語)

カラタチは「唐橘:カラタチバナ」の略称でミカン科カラタチ属の落葉低木です。
8世紀ごろ遣唐使が中国から薬用として持ち帰ったものといわれており、
我国に自生する橘とは別種のものとされています。

春になると、葉に先立って直径3㎝位の白い花を開いて芳しい香りを漂わせ、
新緑の初夏にはアゲハチョウ類が産卵のために葉を求めて集まります。
花後、緑色の円い果実をつけて秋には黄色く熟しますが、酸味が強く種子が多いため
食用にはなりません。
漢方では未熟果を輪切りにして乾燥したものを枳実(きじつ)といい、健胃、整腸、
利尿などに用いているそうです。
また古くから枝や棘を活用して生垣に、近年ではミカン類の台木として重要な役割を
担っています。

万葉集でのカラタチは一首しかありませんが、それも極めて特異な歌です。

「 からたちの 茨(うばら)刈り除(そ)け 倉立てむ
    屎(くそ)遠くまれ 櫛(くし)つくる刀自(とじ) 」
              巻16-3832  忌部首(いむべのおびと)


( 櫛作りのおばさんよ、俺様はこれからカラタチの茨を取り除いて、そこに
 倉を建てようと思っているんだよ。
 だからさぁ、屎は遠くでやってくれよな 。)

まぁなんと!万葉集に屎(くそ)と言う上品なからざる言葉が飛び出してきました。
この歌は倉つくりに従事している下級官人が夜の宴会で数種の物の名前を歌に
詠みこめと催促され「カラタチ」「茨」「倉」「屎」「櫛」を詠みこんだ
「物名歌」といわれるものです。

指名された人は即座にひらめく機知とアッと驚かせる意外性が要求されます。
とはいえ、宴席の人々もさすがに「屎」には驚き、呆れたことでしょう。

当時、外で作業中に尿意を催したときは、辺りかまわず穴を掘って
用を足していたのですねぇ。

「屎遠くまれ」の「まれ」は排泄を意味する「まる」の命令形、
「刀自(とじ)」は一家の主婦の尊称ですがここではわざと敬語を使って
相手をからかっています。
さらに、カラタチの「ラ」うばらの「ラ」、くらの「ラ」と「ラ音」を続け、
「ク」の音も クラ、クソ、クシと揃えています。

即興でこのような歌を詠めるのは並大抵の才能ではありません。
このような歌が後々の俳諧、川柳、狂歌へと発展していったのでしようか。

古代、カラタチはその鋭い刺ゆえか人々に忌まれた植物でした。

「枕草子」133段「名恐ろしきもの」に

「 いかずち(雷)  はやち(暴風) おほかみ(狼) ろう(牢) いきすだま(生霊) 
    いりずみ(刑罰の入れ墨) むばら(茨) からたち(枳殻) 」


などとあるように人を寄せ付けない親しみにくい存在とされていました。

その傾向は平安時代から江戸時代まで続き、蕪村は
「からたちになりても花の匂ふなり」と詠んでいます。

この句はかって宮中の女官第1位にあった長橋という女性を
「さすがにそういう人は落ちぶれても立派で美しい」と詠っているのです。

「からたちになっても芳しい香を漂わせている」「腐っても鯛」という意で、
決して良い意味で引用されていません。

  その悪い印象を完全に払拭したのが北原白秋の「カラタチの花」 。

「 からたちの花が咲いたよ
  白い白い花が咲いたよ

  からたちのとげはいたいよ
 青い青いとげだよ 
 
  からたちは畑(はた)の垣根よ
  いつもいつもとほる道だよ

  からたちは秋はみのるよ
  まろいまろい金のたまだよ 」 


1924年に発表され、翌年山田耕作が作曲、 藤原義江が帝国劇場の舞台で独唱して
以来全国に知られるようになり、その美しいメロディーによってカラタチは
好ましい印象の花に変身したのです。

「 からたちの つぼみひそかに ほぐれ初む 」 清風郎

「エピローグ」

『 数年前、奈良の佐保路を散策していたとき、法華寺の白い築地塀の外側に
  さらに からたちの生垣が百メートル近く続いていたのが印象的であった。
  法華寺は、平城京にあった藤原不比等の邸宅に、
  娘の安宿姫(あすかべひめ:光明皇后) が母の橘三千代のために創建し
  「総国分尼寺」ともなった尼寺である。

  もっとも、この寺のからたちの生垣が創建の奈良時代からのものとは思わない。
  母の「県犬飼美千代」の姓の一字「橘」は後に賜姓されたものである。
  「からたち」すなわち「唐橘」の「橘」が何かしらそんなことに
  かかわりのあるものとして、後世の人たちがからたちの生垣を作ったのだろうと
  考えながら、おりからの小雨に濡れる白い花に目を落としていた。』

                (荒木靖生 万葉歌の世界より 海鳥社)

    「雨細く からたち咲きぬ 昨日より 」 岸風三楼
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by uqrx74fd | 2012-04-14 17:42 | 植物

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