万葉集その三百七十二(藤)

(奈良万葉植物園にて)
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( 同上)
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( 同上)
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( 同上)
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( 笠間にて)
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「春日野の 瑠璃空の下(もと) 杉が枝に
         むらさき妙なり 藤の垂り花 」     木下利玄


近鉄奈良駅から市内循環バスで約15分。
破石町(わりいしちょう)で降りると、そこは瀟洒な住宅が立ち並ぶ高畑界隈。
春日野は目の前です。
御蓋山、春日山が連なる方向、東へ広い道を歩いてゆくと、やがて右.新薬師寺、
左.春日大社の標識が見え、直進すると春日山原始林入口に至ります。
遠い昔から春日神社の鎮守の森として維持されてきた照葉樹林の宝庫です。
新緑の頃、木々の若葉が芽吹いた森は淡い緑に彩られ、老樹の大木の梢には
薄紫色や白い藤がまとわりつき、花房がいかにも心地よげに風にゆらめいているのです。
柳生の里に通じる坂道を登って行くと、右も左も藤、藤、藤。
春日野一帯は藤原氏のゆかりの地ゆえ藤はシンボルとして大切に保護されて
きたのでしょう。

「 春日野の藤は散りにて何をかも
        み狩の人の 折りてかざさむ 」
                     巻10-1974 作者未詳


( 春日野の藤の花はもう散ってしまったなぁ。
 狩りの人たちはこれから何を折り取って髪にさすのであろうか。
 こんなに早く散ってしまって残念だ 。)

大宮人たちは毎年5月5日になると男は狩りと称して栄養強壮剤となる鹿の角袋を採り、
女たちは薬草を採りながらピクニックを楽しんでいました。
藤はその優雅な姿が好まれ、衣や頭に挿していたようです。

「 ほととぎす 来鳴き響(とよ)もす 岡辺(をかへ)なる
   藤波見には 君は来(こ)じとや 」
                         巻10-1991 作者未詳


( ホトトギスがきてしきりに声を響かせているあの岡辺の藤の花。
 その素晴らしい藤の盛りさえあなたは見においでにならないのですか?
 まして私さえも- -。)

恋する人の足が途絶えて久しい女性。
ついにたまりかねホトトギスと満開の藤に事寄せて訪れを催促したものと
思われます。
電話やメールなどのない時代。 優雅なお誘いの文です。

「我がやどの 時じき藤の めづらしく
   今も見てしか 妹が笑(ゑ)まひを 」 
                       巻8-1627 大伴家持


( わが家の庭の季節ははずれに咲いた藤の花。
 この花のように珍しく、いとしいものとしてあなたの笑顔を今すぐにでも
 見たいものです )

作者が妻坂上大嬢(おほいらつめ)に贈ったもの。
当時通い婚のため妻は母親と同居していたと思われます。
7月に咲いた季節外れの藤。(「時じき」の原文は「非時」で時にはあらずの意)
万葉時代に早くも藤が自宅に植えられていたことが窺える一首です。
藤棚はずっと後代のものなので松の木などに絡ませていたのでしょう。

藤は古事記の時代から美しい花木を愛でられてきましたが、その繊維から
衣料を作り、家具、曳き綱、吊り橋、笊、籠の材料、さらに染料など多岐にわたり
利用された有用の植物です。
ただ、藤の衣類は丈夫ながら着心地はあまり良くなかったことが次の歌から窺えます。

「 須磨の海女の 塩焼き衣(きぬ)の 藤衣(ふじころも)
    間遠にしあれば いまだ着なれず 」 
                    巻3-413 大網公人主(おはあみのきみひとぬし)


( 須磨の海女が塩を焼く時に着る服の藤の衣はごわごわしていて
 時々身に付けるだけだから、まだ一向にしっくりこないよ )

大網氏は崇神天皇の皇子豊城入命(とよしろいりのみこと)の子孫と言われていますが
伝未詳です。
須磨の海女は神戸市須磨区一帯の海女で塩の生産にも従事していたのでしょう。
海女の衣を自分が着る?
この歌は宴会で詠われたもので藤衣を新妻に譬えたようです。
「なにしろ武骨な女なので俺様も繁々と通う事もなく、いまだ打ち解けていませんので。」
といいながらのろけている一首なのです。

「谷川の音さやかなり 高木より
       咲きて垂りたる藤波の花 」 島木赤彦

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by uqrx74fd | 2012-05-20 07:35 | 植物

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