万葉集その三百七十四(こもりくの泊瀬)

(長谷寺登廊)
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(長谷寺本堂)
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( 牡丹が満開)
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( 同上)
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( 法螺貝を吹く僧)
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( 春の長谷寺 )
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( 秋の長谷寺)
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近鉄大阪線の朝倉、長谷寺あたりはその昔「隠国(こもりく)の泊瀬(はつせ)」即ち
「山々に囲まれた地」とよばれていました。
万葉集巻頭を飾る雄略天皇の宮が営なまれたと伝えられる「朝倉」から「長谷寺」に
向かう電車は「たたなづく青垣」とよばれるに相応しい山々の裾野を進んで行きます。
長谷寺駅で下車し、み寺に向かって歩くこと15分。
この道は伊勢街道に通じており、かっては殷賑を極めた門前町だったそうです。

家々の前には細い水路がひかれ涼しげな音を立てています。
古びた旅館は花街の名残を偲ばせ、軒下に杉玉を飾った酒屋に並ぶ地酒
「八咫烏(やたがらす)」もなんとなく由緒ありげです。
店々の棚には、三輪そうめん、吉野葛、湯葉が並び、食欲をそそる「よもぎ餅」の
美味しそうな香りも漂ってきました。
民家の玄関前には牡丹の鉢植えが所狭しと並んで彩りを添え、竹の秋の風情も美しい。

日本書紀は雄略天皇がこの地を訪れ次のように詠われたと伝えています。

「 隠国(こもりく)の泊瀬の山は 出で立ちのよろしき山 
  走り出の よろしき山の 隠国の泊瀬の山は 
  あやにうら麗(ぐは)し あやにうら麗し。」
 
     
( 泊瀬の山は 体勢(なり)の見事な山 山裾の形もよい山。
  何とも言えないくらい美しい。 実に美しい。 )

万葉人も負けじと詠います。

「 泊瀬川 白木綿花(しらゆふばな)に 落ちたぎつ 
     瀬をさやけみと 見に来(こ)し我れを 」 
                          7-1107 作者未詳


( 泊瀬川が流れ落ちて砕けるさまはまるで白い木綿花のようだ。
 その清々しい瀬を見たくなってまた訪れたよ。)

古代、泊瀬川は川幅広く水量も豊富でした。
山の上から滝のように流れ落ち、激流逆巻く水泡。
木綿花は木綿(もめん)ではなく楮の皮の繊維で作った布を榊の枝に結んで
花に見立てたもので、神祭りのときに用いられていました。
「さやか」という言葉にも神に対する敬虔な気持ちがこもります。

「 こもりくの 豊泊瀬道(とよはつせじ)は 常滑(とこなめ)の
   かしこき道ぞ 汝(な)が心ゆめ 」 
                   巻11-2511 柿本人麻呂歌集


( こんもりとした谷あいの泊瀬の道は、いつもつるつるとした滑りやすい道です。
 そんなに急いでは危険です。 気を付けて下さいね。)

この歌は男が久しぶりに恋人に「今夜訪ねるぞ」と使いを遣り

「 赤駒が 足掻(あがき)き早けば 雲居にも 
    隠(かく)り行かむぞ 袖まけ我妹(わぎも)」 
                         巻11-2510 同上


( 俺様の赤栗毛の馬はあっという間に雲に隠れてしまうほどに速いんだ。
  今夜、すっ飛んで行くから寝床の支度して待っていろよ。)

と言ったのに対して 
「早く来てくれるの嬉しいけれど気を付けてね」と思いやったものです。

 明かりもない山道、危険を承知の上での馬の早駆け。
 勇み立ち、心はやる男の様子が目に浮かぶようです。

「 こもりくの泊瀬の山に 照る月は
   満ち欠けしけり 人の常なき 」
                    巻7-1270 古歌集


( あの泊瀬の山に照っている月は 満ち欠けを繰り返している。
 人も同じだなのだなぁ。 
 いつまでも変わらないという事はありえないのだ。)

ハセは初瀬、泊瀬、長谷とも書きますがいずれも正しいとされています。
初(ハツ)は「初め」、泊は「終わり」、「長谷」は「狭くて長い谷」の意があり
その地形にかなっているからです。
従って「こもりくのはつせ」は「山々に囲まれた長い谷」、霊験あらたかなる観音様を
拝して心機一転の「新しい人生の初まり」、そして「人生の泊(とま)りどころ」すなわち
「生涯の果て」である墓所が営まれた「霊異のこもる地」でもあります。

この歌の作者が人生無常を感じていたのもそのような背景があったからでしょう。

「 香に酔へり牡丹3千の花の中 」 水原秋櫻子

長谷寺の山門から上を見上げると、そこには日本一美しいといわれている
三百九十九段の登廊(のぼりろう)。
低い石段の左右にはその数7千株を越す赤、黄、ピンク、紫、白、など
色とりどりの牡丹が真っ盛りです。
この豪華絢爛にして雄大な牡丹園は元薬草園だったらしく、移植されたのは
元禄時代からと伝えられています。

「 白牡丹 咢(がく)をあらはに くづれけり 」 飯田蛇笏

上の方から勇壮な法螺貝が聞こえてきました。
西国巡礼を引率してきた僧が一心不乱に吹き鳴らしているのです。
まだ慣れないせいか時々音づまりさせ、首をかしげているのも微笑ましい。

やがて、木造としては我国最大、10mもある巨像、十一面観音が鎮座まします本堂に到着。
岩盤の上に立つ男性的な御姿は観音菩薩と地蔵菩薩が合体した他に類のない仏像で、
右手に錫杖、左手に華瓶(けびょう)を持ち、現生利益(りやく)と極楽浄土の先導をされるといわれる
有難い御本尊です。
観音信仰は奈良時代後期から盛んになり、平安時代に大流行しました。
特に人気第一の長谷寺へは女性が競って参詣し、源氏物語、枕草子、更級日記、蜻蛉日記
などの舞台にもなっています。

礼拝を終わって崖につきだした露天の舞台へ。
そこに立って見はるかすパノラマの眺望は雄大で素晴らしい。
初瀬、巻向、天神の山々。
初瀬川が流れる谷間から山腹にかけて点在する堂塔伽藍。

春は桜、夏の新緑、秋の紅葉、冬の雪、四季を通じて美しい山河に囲まれた母なる故郷
「こもりくの泊瀬」は昔も今も変わることなく私たちを迎え入れてくれているのです。

  「 此の寺のぼたんや旅の拾い物 」  几董(きとう:江戸時代中期)
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by uqrx74fd | 2012-06-03 07:37 | 万葉の旅

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