万葉集その三百七十八(山の辺の道:三輪山)

(大神神社の大鳥居:後方は三輪山)
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( 大神神社春の大祭 三つの茅:ちがやの輪をくぐって参拝する)
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( 同上:拝殿の神官と巫女)
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( 三輪山 ) 
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( 三輪山 ))
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( 山辺の道の花々)
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( 同上 )
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( 同上 )
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私たちは「磯城瑞籬宮跡」(しきみずがきのみやあと)の参拝をすませ、木漏れ日の
坂道を歩きだしました。
鬱蒼と茂る木々を渡る風がひんやりと頬を撫でてゆきます。
恐らく山の中腹あたりなのでしょう。
ほどなく細い道に掛かる石橋を渡ると平等寺です。
このお寺は581年の創建で、十一面観音信仰発祥の地とされ、かっては
本堂ほか12房舎の大伽藍を有し三輪社奥の院とされた古刹ですが、
明治時代の廃仏毀釈のあおりでことごとく打ち壊され、昭和52年に復興されたそうです。

建てられたばかりのような新しいお堂を巡り一礼を捧げてさらに進むと、
急に視界が大きく広がり、耳成、畝傍の山々が浮かび上がってきました。

参詣の方々なのでしょうか、人の行き来が多くなり大神神社が近づいてきたようです。
山の辺の道がそのまま境内に導かれるような脇の入口から入ると、
まず目に付くのは玉垣に囲まれた二股の巨大な杉の老木とその洞に棲むと
いわれる蛇に供えられているお酒や卵の山。
蛇は祭神の化身とされ地元では「巳(みい)さん」と親しまれている由ですが残念ながら
お目にかかったことがありません。
一説によると2mをこえる青大将が4,5匹とか。

「 啓蟄の 地卵供ふ 三輪の神 」 棚山波朗

はるか1300年前には神さびた杉や神酒が恋の歌として詠われています。

「 味酒(うまさけ)を 三輪の祝(はふり)が 斎(いは)ふ杉
           手触れし罪か 君に逢ひかたき 」

       巻4-712(既出)  丹羽大女娘子( たにはのおほめをとめ:伝未詳)


( 三輪の神官があがめる杉、その神木の杉に手を触れた祟りでしょうか。
  あなたさまにお逢いできないのは。)

「味酒(うまさけ)」は美味しい酒の意、「三輪」に掛かる枕詞で、
古くは神酒を「ミワ」といったことによります。
祝(はふり)は神官のことで、老杉が神木と詠われているのは神の拠りどころと
されているからです。

円錐形の秀麗な姿の三輪山(467m)は古来神の中の神として崇められてきました。
拝殿は老杉の奥にありますが、三輪山そのものがご神体とされているので
神殿はありません。
古代は拝殿すらなく三輪山を直接礼拝していたことでしょう。

山は遠くから拝すると鬱蒼とした緑に包まれていますが、その下には
神の依り代である巨大な磐座(いわくら)があり
 大物主命(おおものぬしのみこと) の奥津磐座(おきつ いわくら)
 大己貴命(おほなむちのみこと)  の中津磐座
 少彦名命(すくなひこなのみこと) の辺津磐座(へつ いわくら)
即ち三座の巨岩が重なりあい、結界が張られています。

不思議なことに、周りの山々は花崗岩から成っているのに三輪山だけが異質の
斑糲岩塊(はんれいがんかい)という硬質の岩であるため長年の侵食から免れ、
それが太古から変わることなき円錐形の美しい姿を維持している要因とされているのです。
まさに神の山たる所以なのでしょう。

「三輪山へ 今日の柏手の 涼しさよ」 白茅

667年、飛鳥から近江の大津に都が遷されました。
称制、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ:後の天智天皇) は白村江
(はくすきのえ)の戦いで唐、新羅軍に大敗(663年)した後、朝鮮半島からの
来襲に備えて国内の防備を固めるとともに、飛鳥の旧勢力と一線を画し
民心一新を図ったようです。

称制とは新帝が即位の式を挙げないままに政務をとることで事実上の天皇です。
近江という地を選んだのは、新羅、唐の使者は何度も来日しており、
難波から都への道を熟知していたので侵攻が容易であると思われたことと、
近江は琵琶湖を通じて東北、北陸との交通の便に恵まれ、大和とも淀川の支流、
宇治川(瀬田川)と木津川によって結ばれていること、さらに味方である
高句麗は日本海を渡って近江を通行していたなどによるようです。

ところが、皇子の意図に反して多くの官人が抵抗し、百姓は動揺、放火や
非難の童謡(わざうた)が絶えなかったといわれています。(日本書紀)
( 註:童謡: 時事を風刺し異変の前兆をうたう民間の流行歌)
古来から大和一帯に定着していた都。
民百姓の生活もここに深く根付いていたのですから無理もありません。
それでも皇子は遷都を強行しました。

いざ近江へと長い列が山の辺の道を進んでゆきます。
国つ神と都を見棄てて行くのですから尋常なことではありません。
あまりのことに三輪の神様のお怒りもさぞや激しいものであったことでしょう。
聖なる山はたちまち雲に隠れてしまいました。

やがて一行は国境の奈良山の峠に掛かりました。
峠を越えるとそこは異境、道の神に幣帛を奉って旅の安全を祈るとともに
故郷に別れを告げ、大和の神、三輪山を慰撫しなければなりません。
額田王は皇子から歌を捧げることを仰せつかり詠いだしました。

「 味酒(うまさけ) 三輪の山 あをによし 奈良の山の
  山の際(ま)に い隠るまで 道の隈(くま) い積もるまでに
  つばらにも 見つつ行(ゆ)かむを  しばしばも 見放(さ)けむ山を
  心なく 雲の 隠さふべしや 」 
                             巻1-17 額田王

「 三輪山を しかも隠すか 雲だにも
   心あらなも 隠さふべしや 」 
                    巻1-18 同上


長歌訳文(1-17)
( 三輪の山が 奈良山の間に隠れてしまうまで、
  道の曲がり角の 幾重にも重なるまで よくよく見ながら行こうと思っている山
  何度も何度も眺めたい山であるのに 薄情にも雲が隠してよいものか。
  雲よ隠さないでくれ ) 

短歌訳文(1-18)

( あぁ、三輪の山 この山をなぜそのようにして隠すのでしょうか。
 せめて雲だけでも思いやりがあってほしいのに、
 隠したりしてよいものでしょうか。
 どうか姿を見せて下さい )  

語句解釈
 「あをによし」: 奈良の枕詞 「青丹」は染料、顔料に用いられた
           岩緑青の古名で奈良に多く産した
 「奈良の山」:  山城と奈良の国境の山 歌姫越えの奈良山と般若寺越えの
           奈良坂説があり、奈良坂の方が高く見晴らしが良い。
 「山の際(ま)」: 山と山の間 
 「道の隅(くま)」: 道の曲がり角
 「つばらにも」:  つまびらかに 十分しっかりと
 「しかも隠すか」(1-18) : なんでそんなにも隠すのか 

前途への恐れと不安。
何とか神の怒りを解かなければ新天地での政ごとや民の生活は祝福されません。
長歌の結句五、三、七「 心なく 雲の 隠さふべしや」に強い気持ちが籠り
さらに短歌でも「隠さふべしや」と繰り返されます。

大和は作者にとって幼い頃に育った故郷であり、大海人皇子と契り十市皇女をなした
思い出の地です。
もう再び見ることが出来ないのか、一目だけでも姿を見せて欲しい。
愛惜の情、万感せまるものであったことでしょう。

遷都を終えた天智天皇の近江朝。
やはり大和の神を慰撫できなかったのでしょうか
壬申の乱によってわずか5年で滅び、都は再び奈良に遷りました。

「月の山 大国主命(おおくにぬしのみこと)かな」 阿波野青畝

私たちはさまざまな感慨を込めながら参拝を終え、境内の休息所で
暖かいお茶を戴きながらしばし疲れを癒した後、狭井神社に通じる坂道を歩きだしました。
行く先々で三輪山の姿を振り返り、振り返り、古代のきらびやかな行列に
思いを馳せながら額田王が辿った道を進んでゆくことになりましょう。

「 めでたさの 三輪のうま酒 温めつ」 高野素十
               

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by uqrx74fd | 2012-07-01 00:00 | 万葉の旅

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