万葉集その三百九十二(飛鳥川)

( 飛鳥川 石舞台近辺で)
b0162728_2145644.jpg

( 同上  稲渕近辺で)
b0162728_21451156.jpg

( 石橋 稲渕上流で)
b0162728_2146862.jpg

( この石橋は渡れるかな? 栢森で) 
b0162728_2146165.jpg

( 女綱  栢森(かやのもり)入口)
b0162728_2147966.jpg

( 男綱  稲渕 )
b0162728_2147148.jpg

( 棚田を潤す飛鳥川 稲渕で)
b0162728_2148126.jpg

( 飛鳥近辺案内図  飛鳥への旅  偕成社より  画面上を左クリックすると拡大出来ます )
b0162728_21481525.jpg

飛鳥川は奈良県北西部、竜門岳(904m)、高取(583m)の山塊を源流とし、
石舞台の近くで多武峰から流れてくる冬野川と合流しながら飛鳥の中心部を横切り、
藤原京、大和三山の間を北流して大和川に至り全長24㎞の旅を終えます。
今は川幅も狭く水量も多くありませんが、往時は

「 世の中は 何か常なる 明日香川
   きのふの淵ぞ けふは瀬になる 」 古今和歌集 よみ人知らず


と詠われているように水かさも多く、時には氾濫することもあったようです。
この歌は
「 この世の中は いったい何をもって不変のものとなしえようか。
明日という名を持つ明日香川も 昨日は深い淵であったところが
今日は浅い瀬になるのだから 」と
明日香川と明日を掛け、昨日、今日、明日の有為転変、人生の無常を述べた歌と
されています。

神聖な禊(みそぎ)の川として崇められた飛鳥川は人々の日常生活に密着して
多くの恵みをもたらしました。
また周辺の美しい景観は人々に親しまれ、折につけて詠われた24首が
万葉集に残されています。

「今日(けふ)もかも 明日香の川の 夕さらず
  かはず鳴く瀬の さやけくあるらむ 」
                 巻3-356 上古麻呂(かみのふるまろ)


( 夕方になるといつも河鹿が鳴く明日香川
 今日もまたあの瀬は清らかに流れていることであろう
また行って見たいものだ。 )

「夕さらず」: 夕方になると相変わらずの意 「さらず」:~ごとに

平城遷都の後、古都となった飛鳥を懐かしんだ歌のようです。
「かはず」は今の「河鹿」(かじか)、
清流に棲息する蛙の一種で、雄は雌を求めて「フィフィフィフィフィフィ、フィーフィー」                     と鈴を転がすような声で鳴きます

「明日香川 明日も渡らむ 石橋の
   遠き心は 思ほえぬかも 」
               巻11-2701 作者未詳


( 明日香川 あの川を明日にでも渡って逢いに行こう。
 川の飛び石のように、離れ離れの遠く隔てた気持ちなど
少しも抱いたことがないですよ )

女から疎遠をかこつ苦情が到来したのに対する言い訳(伊藤博 万葉集釋注)のようです。
飛鳥川には大きな石を5つか6つ川床に置いて作った「飛び石」が所々にあり、
当時これを石橋とよんでいました。
川が氾濫すると流されることもあったそうですが、恋人の許に通おうと心を弾ませて
何時もの場所に行ったところ、石が消えていたので泣く泣く諦めたというようなことも
あったことでしょう。
今でも台風や大雨のあと、村の人が機械で修復しているそうです。

「 春されば 花咲きををり 秋づけば 丹のほに もみつ
  味酒(うまさけ)を 神(かむ)なびの山の 帯にせる 明日香の川の
  早き瀬に 生ふる玉藻の うち靡き 心は寄りて 
  朝露の 消(け)なば 消ぬべく  
  恋ひしくも しるくも逢へる 隠(こも)り妻かも 」
                             巻13-3266 作者未詳
反歌
「 明日香川 瀬々の玉藻の うち靡き
    心は妹に 寄りにけるかも 」 巻13-3267 作者未詳


( 春がやってくると、枝いっぱいに花が咲き乱れ、 秋には木の葉が真っ赤に色づく
  その神なび山が 帯にしている明日香川 
  川の早瀬に生い茂る玉藻が、流れのままに靡くように
  私の心はひたすらお前に靡き寄り、 朝露が はかなく消えるように
身も消え果てるなら 消え果ててしまえとばかりに
恋い焦がれた甲斐があって 今こうしてやっと逢うことができた
我が隠り妻よ。  13-3266 )

( 明日香川の瀬という瀬に生い茂って靡いている玉藻のように 私の心は
 ただひたすら お前に靡き寄ってしまったよ 13-3267 )

語句解釈
 「春されば」:春が到来すると   「花咲きををり」:花房の重みで枝が撓み曲がる
 「秋づけば」 : 秋めいてくると 「丹のほ」=丹の秀: 赤く目立つ 
 「しるくも逢へる」:しるく:はっきりと効果があらわれて 逢へる:共寝している
 「隠り妻」 : 男がいることを人に知られないようにしている妻

何らかの事情で人に知られたくない女性に逢うことができた男の喜びを詠ったものですが、
当時の飛鳥川周辺は、春は桜、秋には紅葉、清流の流れは速く、緑鮮やかな川藻が
女性の髪のように靡いていたことがこの歌から窺えます。
「神奈備山」は神の宿る山とされ、橘寺の後方にみえる「ミハ山」と推定され、
「神の山が帯のように巻いている」とは、「山の麓を取り巻くように蛇行している」
の意です。

「 芋茎干す 飛鳥も奥の 柏森(かやのもり) 」 倉持嘉博

飛鳥川源流の麓、柏森集落入口のところに太い綱が飛鳥川に掛けわたされ、
綱の中ほどに藁でつくった大きな鈴のようなものが吊り下げられています。
女綱とよばれる女性の性器を形どったもので、稲渕の入口にある男綱(男根)とともに
子孫繁栄と五穀豊穣を祈るとともに、悪疫の村への侵入を防ぐために設けられた
結界だそうです。
毎年1月11日に新しいものに取り換える神事が行われますが、稲渕は神式、
栢森は仏式というのも面白い。

この辺りは両岸に山がさしせまり、その間を流れる飛鳥川は稲渕の棚田を潤し、
人々の生活に必要な水を配りながら飛鳥の都に流れ込み、宮殿の直径50mもある
広大な二つの庭池を満たして都人を楽しませ、水時計(漏刻)で時を知らせていました。

万葉人にとって暮らしの動脈であり、心のよりどころとなった母なる川。
飛鳥京は川の流れに沿って営まれていた水の都だったのです。

「 稲渕の 春や男綱の ゆらぎたる」 福島壺

掘辰雄は飛鳥川添いの道を気に入っていたらしく、その印象を次のように書いています。

「 - 軽のあたりをさまよった後、剣の池のほうに出て、それから藁塚(わらづか)の
あちらこちらに うず高く積まれている刈田の中を、香具山や耳成山をたえず
目にしながら歩いているうちに、いつか飛鳥川のまえに出てしまいました。
ここいらへんは まだいかにも田舎じみた小川です。
- なんだか鶺鴒(せきれい)がぴよんぴょん跳ねていたら似合うだろうとおもうような
なんでもない景色です。
それから僕は飛鳥の村のほうへ行く道をとらずに、甘樫の丘の縁を縫いながら、
川ぞいに歩いてゆきました。
ここいらからは、しばらく飛鳥川もたいへん好い。 」
                        ( 大和路、信濃路 新潮文庫より)

「 溝蕎麦に 狭められたり 飛鳥川 」 国枝洋子
[PR]

by uqrx74fd | 2012-10-05 21:50 | 自然

<< 万葉集その三百九十三(春日山)    万葉集その三百九十一(「べこ」... >>