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万葉集その三百九十四(恋する鹿)

(浮見堂で 奈良
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( 縄張りを見張る雄)
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( 鹿のボクシング 早朝の鹿苑で)
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( シカト )
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「 宵闇や 鹿に行きあふ 奈良の町 」 内藤鳴雪

鹿は普段オス、メスの群れが分かれて生活をしていますが、秋になると雄鹿は
「ミュウーン、ミュウーン」と哀愁ある声で妻を求めて鳴き出します。
鋭く、よく透る声。 高い調子に吹いた笛の音のようです。
群れから離れた雄は何頭もの雄と妻を争い、唯一勝利したものだけが雌の群れに
入り込んで縄張りを作り、ハーレム生活を楽しむのです。

この縄張りにほかの雄が入ってくると、たちまち雄同士の壮絶な戦いが始まります。
4本の足を踏ん張り、角の下から突き上げるようにして互いに激しく押し合う。
押し負けた雄はトボトボと縄張りから去ってゆきますが、時には、
角が体に刺さって大怪我をしたり死ぬこともあるそうです。

太古の時代、鹿は日本中至るところに棲息していました。
食用や皮、角などを利用するために狩られていましたが、仏教伝来と共に
保護されるようになります。

特に奈良公園の鹿は天然記念物に指定されており、「奈良の鹿愛護会」の調べによると
1079頭棲息しているそうです。(2012年7月16日現在)
神鹿として手厚く保護されるようになったのは、その昔、春日大社創建にあたって、
鹿島神宮(茨城県)から武甕槌命(たけみかづちのみこと)を勧請した際、命が白鹿に乗って
御蓋山に入って行ったという言い伝えによるとされています。

万葉集で詠われている鹿は63首。馬の88首に次ぐ多さです。
そのうち「鹿鳴く」と詠ったものが44首。
万葉人は自らの恋心を鹿が妻を求める声に重ね、さらに萩を取り合わせて「花妻」と
詠いました。

「 わが岡に さ雄鹿来鳴く 初萩の
       花妻とひに 来鳴くさ雄鹿 」 
                  巻8-1541 大伴旅人(既出)


( 我家近くの丘に雄鹿が来て鳴いているなぁ。
 萩の初花を自分の花妻だと慕って鳴いているのだろうよ。)

牡鹿が妻を求めて鳴きながら、群生する萩をかき分けながらゆっくり進んで行く。
幻想的な場面を想像させる秀歌です。
それにしても「花妻」とは素晴らしい。
世界中の男が我が妻、恋人に捧げたくなるような美しい言葉です。

「 秋萩の 散りの乱(まが)ひに 呼び立てて
   鳴くなる鹿の 声の遥けさ 」   
                        巻8-1550 湯原王

( 秋萩が盛んに散り乱れているなぁ。
 おぅ、鹿の声が遥か彼方から聞こえてくる。
 あれは妻を呼び立てて鳴いているのだろうよ )

野原一面を紅紫に埋め尽くした萩。
風に吹かれてはらはらと散っている。
清々しい冷気の中、突然、静寂を切り裂くような鹿の一声。
谺(こだま)のような余韻を残しながら響いている。

作者は志貴皇子の子(天智天皇の孫)、 父と共に歌の名手です。

「 かすがの の みくさ をり しき ふす しか の
   つの さえ さやに てる つくよ かも 」    会津八一


( 春日野の み草折り敷き 伏す鹿の 角さえ さやに 照る月夜かも )

( 春日野の草を折り敷いて寝ている鹿の角がはっきりと見えるほど、冴えわたった
 秋の夜の月であることよ )

奈良をこよなく愛した作者は「鹿鳴集」を編み多くの鹿の歌を詠みました。
幽寂な春日野の夜気。 
透き通るような月光の中に浮かび上がる鹿の角。
美しい歌です。

「 二俣(ふたまた)に わかれ初(そめ)けり 鹿の角 」 芭蕉

春に生え始めた角は角袋といい、柔らかい皮膚で覆われています。
古代の人たちは薬狩りと称して角袋を採り、陰干しにした後、粉に引き
強壮剤(鹿茸:ろくじょう)として服用していました。
角の成長が終わる秋には、表面の皮膚が破れて固い角になります。

鹿の角は1歳の終わりころから生えはじめ、2歳で2つ、3歳で3つ、
4歳以上で4つに枝分かれします。
冬の間に抜け落ちて、春に新しい角が生えてきますが、発情期の秋になると
雌をめぐって突き合って死傷したり、人が突かれることもあり、
江戸時代(1671年) 鹿の管理していた興福寺が奈良奉行の要請を受けて
「角切り」を始めたと伝えられています。

毎年10月に行われる風物詩「鹿の角切り」行事は春日大社に至る参道の南側にある
約4,500坪の「鹿苑」で行われていますが、普段は病気や怪我をした鹿の保護、
妊娠した雌鹿の収容、などに使用されています。

「 奥山にもみぢ踏み分け鳴く鹿の
               声聞く時ぞ 秋は悲しき 」 
        ( 猿丸大夫 百人一首  古今和歌集では詠み人しらず)


( 秋深い奥山に紅葉は散り敷き 妻問いの鹿が踏み分け踏み分け
 悲しげな声で鳴きながらさまよう
 あの声を聞くと
 秋の愁いは深まるばかりだ : 大岡信訳  百人一首 講談社文庫 )

鹿と紅葉が取り合わせて詠われたのは平安時代からですが
後世になると好みが派手になり、鹿は照り映える紅葉と対になり、
華麗な景が好まれるようになりました。

余談ながら、十月の花札の鹿はすべて横向きになっており、
そっぽを向いているように見えます。
このことから「シカト」=無視するという言葉が生まれました。
10月の鹿、「シカトウ」が転訛したもので、当初は警察の隠語?だったとも。

 「行燈(あんどん)に 奈良の心地や 鹿の声 」   夏目漱石
   


   万葉集394(恋する鹿) 完

by uqrx74fd | 2012-10-20 10:34 | 動物

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