万葉集その三百九十八(芒:ススキ)

( 箱根三国峠から )
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( 仙石原 ススキ草原)
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( 飛鳥石舞台付近で)
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( 奈良二月堂への裏道から )
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( 飛鳥高松塚への道 )
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( 皇居東御苑で)
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( 同上 )
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( ススキに寄生するナンバンギセル 春日大社神苑万葉植物園で)
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ススキは尾花、カヤともよばれ、全国各地至るところの山野に自生する
イネ科の植物です。
「薄」と書くことが多いようですが、この字は草が群生することを意味し
特定の植物を指すものではないので「芒」書くのが正しいとされています。
また、「尾花」は穂が獣の尾に似ている、「カヤ」は屋根などに葺くことから
その名があるそうです。

ススキの茎葉は屋根葺きの材料にされたほか、燃料、壁代、炭俵、草履、縄
箒、スダレ、箸、串、牛馬の飼料など多岐にわたり利用されましたが、
時の流れと共に用途が少なくなり、今では生花や飼料くらいでしょうか。

色彩に乏しく地味なススキの花穂。
しかしながら、山野に群生して風に揺れ動く風情は古くから好まれ、
万葉集ではススキ16首、尾花19首、かや11首も登場しているのです。

「 人皆は 萩を秋と言ふ よし我れは
    尾花が末(すえ)を 秋とは言はむ 」 
                      巻10-2100 作者未詳


( 世の人々は 萩の花こそ秋を代表するものだという。
  なになに、我々は尾花の穂先こそ秋の風情だと言おうではないか )

秋の草花は萩が一番人気。
それでは、こちらはススキの花見と洒落ようではないか。
月光のもと、秋風に揺れるススキを愛でながら杯を傾けるのも風流だ。

「 わが背子は 仮蘆(かりいほ)作らす 草(かや)なくは
    小松が下の 草(かや)を刈らさね 」 
                  巻1-11 中皇命(なかつすめらみこと)


( わが君が仮蘆をお作りになります。
  もし佳い草(かや)がないのなら、小松の下の草をお刈りなさい )

斉明天皇 紀伊温泉行幸の折の歌
草(かや)はススキをさし、
「 帝がお休みになる小屋は仮とはいえども聖なる小松の下に生えているものを用いよ」と
周りの人に教えたようです。
作者は巫女のような役割を果たしていたのでしょう。

「 秋の野の 尾花が末(うれ)の 生ひ靡き
     心は妹に 寄りにけるかも 」 
                巻10-2242 柿本人麻呂歌集


( 秋の野の尾花の穂先が伸びて風に靡くように 私の心はすっかりあの子に
靡き寄ってしまったよ。)

穂が風に吹かれて傾いているさまと、自らの恋心を重ねた一首。
「心は妹に寄りにけるかも」は人麻呂の常套句で、川に靡く美しい藻(玉藻)にも
使われています。

「 婦負(めひ)の野の すすき押しなべ 降る雪に
    宿借る今日(けふ)し 悲しく思ほゆ 」 
                     巻17-4016 高市黒人


( 婦負の野の芒を押し靡けて降り積もる雪。
この雪の中で一夜の宿を借りる今日は ひとしお悲しく思われる )

婦負(めひ)の野は富山市婦負郡(ねいぐん)一帯の野。
雪の重みに耐えかねてススキが押しつぶされそうになっている。
それは辛い旅をしている自らの気持ちのよう。
深々と降る雪の中、荒野で宿を求め歩く情景は悲壮感さえ漂います。

なお、注記に、「この歌は 三国 真人 五百国(みくに まひと いほくに) という
人物が作者から聞いた」とあり、書き止めておいたものを編者(家持か?) に
手渡したものと推定されます。

「 秋の野 おしなべたる をかしさは 芒にこそあれ。
  穂先 蘇枋(すほう)に いと濃きが、朝霧に濡れて うち靡きたるは、
  さばかりのものやはある。」    枕草子 54段


( 秋の野 ひっくるめての面白さは なんといってもススキにあります。
 穂先が蘇枋色で大そう濃いのが 朝霧に濡れて美しく靡いている趣は
 それ以上のものが他にありましょうか。)

ススキの美を発見した最初の文とされていますが、後に続く文は
「 冬、ススキの頭が白くなり、だらしがなくなっているのも知らないで、
昔の盛りを思い出し顔に靡いて、ゆれて立っているのは人間にひどく似ている」と
自らの老いを嘆くような語り口になっているのも面白い。
なお、蘇芳色はくすんだ赤色。

「 をりとりて はらりとおもき すすきかな 」  飯田蛇笏

以下は長谷川櫂氏の解説です。

『 折ると はらりと手にもたれかかってくるあの感じは、芒以外にない。
しかも穂が出たばかりのしっとり濡れているかのような芒である。
初め「折りとりて - - 芒かな 」だったのを後にすべて平仮名に改めて
句はみずみずしい芒そのものに生まれ変わった。
萩は芭蕉の萩、芒は蛇笏の芒に極まる。』
                      (  花の歳時記 ちくま新書より )

初秋、芒の花穂が出る頃、稀に高さ約15㎝位、煙管状の薄紫色の植物が寄生している
ことがあります。
ナンバンギセル(南蛮煙管)です。
群生する芒の根元でひっそりと咲くので、うっかりすると見落としそうですが
万葉人は実によく観察しており、うつむき加減の花を「思い草」と名付けました。

「 道の辺(へ)の 尾花が下の 思ひ草
    今さらさらに 何をか思はむ 」 
                  巻10-2270 作者未詳(既出)


( 道のほとりに茂る尾花の下で物思いにふけっているように咲く思ひ草。
  その草のように俺様はもう今さら思い迷ったりなどするものか )

ススキの葉の風にそよぐ音、サラサラが「今さらさらに」の語を引き出すように
詠われ、リズム感がある一首。
「別れた女をきっぱり諦める」「何が何でもあの女と一緒になる」どちらにも
解釈できそうな歌です。

「 名月や すたすたありく 芋畑 」 正岡子規
                                ありく: 歩く
仲秋の名月。
縁先に卓を置き、秋草を挿し、それに団子、芋、豆など秋の実りを供える。
この秋草の代表がススキ。
穂が満月にかかる風情はまさに一幅の絵。

月見は本来、農作物の収穫の儀式であり、ススキは単なる風流の景ではなく
「 収穫物を災いから守り、翌年の豊作を祈願する魔除けの役割を果たしていた」とされ、
( 湯浅浩史 植物ごよみ 朝日選書) 万葉人が神聖なものとみなしていたことに
相通じる心です。

「 山は暮れて 野は黄昏の芒かな 」 蕪村

逆光に浮かび上がるススキの穂。
暮れなずむ山村の景が彷彿とするような名句。
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by uqrx74fd | 2012-11-17 08:03 | 植物

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