万葉集その四百四(宇智の大野)

 ( 宇智の大野  五条市 )
b0162728_8245258.jpg

(  大亦観風  阿騎野御猟の絵  奈良万葉文化館絵葉書 ) 
b0162728_8261137.jpg

 ( 万葉歌碑  荒坂峠 五条市 )
b0162728_8261126.jpg

万葉集に登場する「宇智の大野」はJR和歌山線 北宇智駅近辺の
南西一帯の山野とされています。(奈良県五條市)
金剛山の裾野にあり、近くに吉野川が流れる田園地帯で昔は恰好の狩猟地と
されていたようです。

遠い古のある日、まだ夜が明けきらない朝のことです。
舒明天皇が大勢の家来を引き連れて狩りに出かけられました。

御見送りされた皇女、間人皇女 (はしひとの ひめみこ:天智天皇の妹) は、
「 豊かな収穫を祈る歌を献じるように 」と 傍らに控えている側近の
間人連老 (はしひとの むらじ おゆ) に命じられます。
(命じたのは舒明皇后との説もある)

老(おゆ)は傳役 (ふやく)、すわわち皇女の育て親とも言うべき存在の人物で、
皇女が間人姓になっているのは、幼い頃彼の家に預けられたことを物語っています。

ややあって、老が朗々と詠い上げたのは長歌と短歌です。

以下、長歌の「訓み下し文」と「訳文」を左右対称に表記します。 ( 内が訳文  

「 やすみしし 我が大君の        (あまねく天下をお治めになっている我が天皇が

 朝(あした)には 取り撫でたまひ       ( 朝は朝で手に取って お撫でになり
 夕(ゆふへ)には い寄り立たしし       ( 夕べには夕べとて 身近に引きよせて

 み執(と)らしの 梓の弓の           ( 愛でられている梓の弓

 中弭(なかはず)の 音すなり         (その弓の弦を響かせている音が聞こえてきます

 朝狩に 今立たすらし             (朝の今しも 狩りにお立ちになるようです
 夕狩に 今立たすらし             (夕べにも お立ちになるようです

 み執(と)らしの 梓の弓の          ( あのご愛用の 梓の弓の
 中弭(なかはず)の 音すなり 」       (中弭(なかはず) の音が聞こえてまいります

      巻1-3 中皇命(なかつすめらみこと) の 間人連老(はしひとのむらじおゆ)


中皇命(なかつ すめらみこと) とは、神々と天皇の間に立って祭祀を司る
役割を果たす人物で、ここでは皇女のことです。

梓弓は霊力を持つものとされ「中弭(なかはず)」は弓の真中の握りの部分をいいます。

狩りのはじまりに勢揃いして、弓の弦を響かせ、地の霊に豊かな収穫を願う情景を
頭に思い浮かべながら詠ったものですが、内容簡潔にして調べが心地よく、
口ずさむと、あたかも弦鳴りの玄妙な音が聞こえてくるようです。

作者は幼い頃から気心が通じている皇女の気持ちを十二分に弁え、その立場に
成り代わって献じたもので、父を想う娘の気持ちが溢れており、いわば
老、皇女合作ともいえる一首です。

「 たまきはる  宇智の大野に 馬並(な)めて
    朝踏ますらむ その草深野 」  
                           巻1-4  同上


( たまきはる 宇智の荒野で この朝、わが大君は 馬を勢揃いして 
  今しも踏みたてておられるのだ。 あぁ、その草深き野よ ) (伊藤博訳)  

「馬並(な)めて」「朝踏む」「草深野」の造語が素晴らしい。
躍動感があり、名詞止め「草深野」は背丈ほどもある草が生い茂る草原を
想像させ、「その」という語が力強く響きます。

以下は「米田勝氏著 万葉を行く」からの要約です。

『 作者は狩りの場を想像で詠っているが臨場感がある。

天皇が従者と共に馬を並べ、いっせいに狩り立つ。
朝露のきらめく野原から飛び立つ鳥々のさえずり。
逃げまどう獣たち。
その間をぬって馬のたてがみをなびかせながら乱れ追う人々。
天皇の荒い息づかいまで聞こえてきそうだ。 』  (奈良新聞社刊)

「たまきはる」は「うち」「命」に掛かる枕詞で、「たま」は「魂」すなわち、
生命力、霊力を意味し「きはる」は磨り減る、尽きるの意です。

古代の人達は「たましひ」というものは丸い形をしていて、体の胸のあたりにあり、
人間の生命は年の初めから次第に磨り減ってその年の終わりに尽き、
冬至の頃の鎮魂(タマフリ)によって生命が再生し、新しい年を迎えると
考えていたようです。

古代人にとっての狩猟は単なる遊戯ではなく、地霊と交感して衰えた肉体に
新たな生命力を付与しようとする儀式であり、梓弓はそのための呪具、歌は
呪歌だったのです。

然しながら、そのような堅苦しいことはさておいて、狩の歌として
鑑賞しても素晴らしい。

爽やかでリズミカルな響き。
馬に乗り、颯爽と朝の高原を駆け抜けているような心地がします。

斎藤茂吉は
「 長歌といいこの反歌といい、万葉集中最高峰の一つとして敬うべく
尊むべきものと思うのである」 (万葉秀歌 岩波新書 ) と
最大限の賛辞を贈っているのも肯けることです。

万葉集にみえる「間人連老(はしひとのむらじおゆ)」の作品はこの長短歌しかありません。
が、名歌恐るべし。
作者はこの二首の歌によって不滅の名を残すことになりました。

「 たまきはる  宇智の大野に馬並(な)めて
        朝踏ますらむ その草深野 」 


JR五條駅と北宇智駅の中間に荒坂峠という小高い丘があり、その頂に歌碑が
建てられています。
振り返って見下ろすと、山々に囲まれた高原で躍動する狩りの様子が
彷彿としてくるようです。
[PR]

by uqrx74fd | 2012-12-29 08:28 | 生活

<< 万葉集その四百五(富士山)    万葉集その四百三(華麗なる送別の辞) >>