万葉集その四百五(富士山)

( 朝焼け富士 精進湖から)
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( 日の出富士  同上 ) 
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( 三島からの富士 )
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( 西湖からの富士 )
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( 富士五合目から )
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( 夕焼け富士  精進湖 )
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( 稲村ケ崎から )
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( 山中湖から )
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「 初春の 真すみの空に ましろなる
     曙の富士を仰ぎけるかも 」     佐々木信綱


『 世界各国にはそれぞれの名山がある。
  しかし富士山ほど一国を代表し、国民の精神的資産となった山は
  ほかにないだろう。
  「語りつぎ言ひつぎゆかむ」と詠まれた万葉の昔から、われわれ日本人は
  どれほど豊かな情操を富士によって養われてきたことであろう。
  もしこの山がなかったら、日本の歴史はもっと別の道を辿っていたかも
  しれない。 』  
                   ( 深田久弥著  日本百名山  朝日文庫より)

わが国で最初に富士を詠ったのは山部赤人と高橋虫麻呂とされています。
(註:他に東歌ほか数首あるが富士山の景観を詠ったものはない)

朝廷に仕える二人が、都から東国への長い旅の途中、初めて冠雪の秀峰を
仰ぎ見た時の感動は口では言い尽くせないものがあったことでしょう。
最大限の言葉で褒め讃えた歌を残していますが、それはお互いの個性の違いが
顕著に表れたものでした。

赤人は、富士は悠久の昔から崇高、清浄、雄大にして、四方を睥睨してそそり立ち、
太陽の光も照る月も白雲も、行くのを躊躇する厳然たる存在であり、
その美しい姿を後々にまで「 語り、言い継いでゆこう」と讃え、
反歌で次のように詠っています。 (長歌は文末に記載) 

「 田子の浦ゆ うち出(い)でてみれば 真白にぞ 
               富士の高嶺に 雪は降りける 」  
                             巻3の318  山部赤人(既出)


百人一首にも採用されている あまりにも有名な一首。
田子の浦を通り、薩捶峠(さったとうげ)あたりに出た時、突然 視界が開けて
目に飛び込んできた雄大かつ秀麗な富士の姿を、海、山、空とパノラマのような
大きなスケールで簡潔平明に詠った万葉屈指の秀歌です。

赤人が駿河から見た富士を詠ったのに対し、虫麻呂は驚異的な観察力を駆使して、
富士山は甲斐と駿河の中間に聳え立つ山という地理的な位置を明確にし、
盛んに噴火しているさま、富士五湖の一つである西湖、さらには富士川を俯瞰するという
まるでルポライターのような表現をしました。

以下、訳文、訓み下し文、数行ごとの解説と続けます。

高橋虫麻呂の歌 全訳文

「 甲斐、駿河の二つの国の真中から聳え立っている富士の高嶺は
  空ゆく雲も行くのを躊躇し、飛ぶ鳥も山が高きが故に飛び上がれない。

  噴火している火を雪で消し 降る雪を火で消し続けて 
  富士は言葉に出して言いようもなく 名付けようもないほど霊妙にまします神である。

  「せの海」と名付けている湖(うみ)も 富士山が塞(せ)きとめた湖だ。
  富士川といって人の渡る川も その山からほとばしり落ちた水だ。

  この山こそ、日の本の大和の国の鎮めとしても まします神。
  国の宝ともなっている山である。

  駿河の富士の高嶺は 本当に見ても見ても見飽きることがない 」(巻3-319)


(訓み下し文)

「 なまよみの 甲斐の国 うち寄する 駿河の国と 
  こちごちの 国の み中ゆ 

  出でたてる富士の高嶺は 天雲も い行きはばかり 
  飛ぶ鳥も 飛びも上(のぼ)らず

  燃ゆる火を 雪もち消ち  降る雪を 火もち消ちつつ
  言ひも得ず 名付けも知らず くすしくも います神かも

  せの海と 名付けてあるも その山の 堤(つつ)める海ぞ
  富士川と 人の渡るも  その山の 水のたぎちぞ

  日の本の 大和の国の 鎮めとも います神かも  
  宝とも なれる山かも 

  駿河なる 富士の高嶺は 見れど飽かぬかも 」 
                          巻3-319 高橋虫麻呂歌集


以下、数行ごとに読み砕いていきます。

「 なまよみの 甲斐の国 うち寄する 駿河の国と
  こちごちの 国の み中ゆ 」


「なまよみ」は甲斐の枕詞。掛かり方が未詳なので単に「甲斐の国」と訳します。
「打ち寄する」は 駿河の枕詞。 「波が打ち寄せる駿河の国の」

「こちごちの」は、「あちらと こちら」

( 甲斐の国と波が打ち寄せる駿河の国。
  あちらとこちらの二つの国の真中に )

「 出でたてる 富士の高嶺は 天雲も い行きはばかり 
  飛ぶ鳥も 飛びも上(のぼ)らず 」


 (  聳え立つ富士の高嶺は あまりの高さゆえ 雲も行きあぐねて
   飛ぶ鳥も 嶺以上に高く飛べず  )
 
「 燃ゆる火を 雪もち消ち  降る雪を 火もち消ちつつ 」

( 噴火している火を雪で消し、 降る雪を火で消し続けて )

「 言ひも得ず 名付けも知らず  霊(くすし)くも います神かも 」

その姿は、あまりにも偉大すぎて言葉では言い表せない 
また名前も付けようがない 
それは 神々しく霊妙な神である

「 せの海と 名付けてあるも その山の 堤(つつ)める海ぞ 」

( 「せの海」と名付けている湖は富士山が塞きとめた湖だ )

「せの海」は 富士五胡一つである西湖とされ、864年の大爆発によって中間が
埋まるまで精進湖と一体になっていた。

「せ」とは「カメノテ」といわれる貝の名前で当時、多く生殖していたらしい。
石に咲く花のように見えたのか、原文では「石花」となっている。
また、「せ」は「西」(せ)に音が通じる。

「 富士川と 人の渡るも  その山の 水の たぎちぞ 」

( 富士川とよんで皆が渡っている川も
富士山から奔流のように流れ落ちた川だ )

実際は、そうではないが作者にはそのように思われたのでしょう。

「 日の本の 大和の国の 鎮めとも います神かも  
  宝とも なれる山かも 
  駿河なる 富士の高嶺は 見れど飽かぬかも 」
 
 
  「 富士は日本の鎮めの神の山、国の宝
   何度見ても飽きないことよ 」
                           巻3-319 高橋虫麻呂歌集
   
反歌

「 富士の嶺(ね)に 降り置く雪は 六月(みなつき)の
    十五日(もち)に 消(け)ぬれば その夜降りけり 」 巻3-320 同上


( 富士の嶺に積っている雪は 6月15日に消えると その夜にまた降るというが 
 まったくその通りだ )     

 6月15日は旧暦の大暑にあたり、現在の8月15日頃。
そんな暑い盛りにも雪が降り積もる。

雪は豊作の前兆、目出度いものとされていたので
万年雪は国土豊穣のしるしという意も含まれているのでしょう。

「 富士の嶺(ね)を 高み畏(かしこ)み 天雲も
    い行きはばかり たなびくものを 」 巻3-321 同上


( 富士の嶺が高く畏れ鎮まっているので 天雲さえ行きためらって 
たなびいているではないか あぁ )

虫麻呂は富士山に霊性を感じて神とみなし、忿怒のごとく噴火するさまを
躍動的に伝えています。

斜面を転がり落ちる溶岩、火と雪を巻き上げた噴煙、悲鳴にも似た鳥の声、
富士川の奔流をなして流れる音が今にも聞こえてきそうな臨場感。
まさに赤人の静に対する動の世界。

その偉大な姿は日本の鎮め、国の宝と詠うスケールの大きさ。
虫麻呂の会心の作ともいうべき歌群です。

  「 初凪(はつなぎ)の 五湖へ裾ひく 富士の山 」 竹内和歌枝

東西南北どこからみても美しい富士。
「八方玲瓏という言葉は富士山から生まれた」(深田久弥)そうです。 

桜、新緑、紅葉、雪、さらに 日の出、夕焼け、月、雲 等の借景を添えた
四季折々の美しい姿は私たちを魅了してやまず、古くから数えきれないほどの
句歌や絵、写真、名文の数々が生みだされてきました。
霊峰に向かって祈り、心を癒す人々も多いことでしょう。

国民の心の拠りどころである富士。
それは、天地創造にあたって天が下された我が国民への最大の贈り物でありましょう。

「 見る見るに かたちをかふる むら雲の
      うへにぞ晴れし 冬の富士ヶ嶺 」 若山牧水


(ご参考)   山部赤人の長歌


「 天地の分れし時ゆ 
神さびて 高く貴き駿河なる 富士の高嶺を 
天の原 振り放(さ)けみれば 
渡る日の 影も隠らひ  照る月の 光も見えず 
白雲も い行(ゆ)きはばかり 
時じくぞ 雪は降りける 
語り告げ言い継ぎ行(ゆ)かむ 富士の高嶺は 」   巻3の317 山部赤人

訳文


( 天と地の分れた神代の昔から
神々しく 高く貴い 駿河の富士の高嶺
天空はるかに 振り仰いでみると
空渡る太陽の光も頂に隠れ、 照る月の 光もさえぎられ
白雲も流れなずんで
時に関係なく いつも雪が降り積っている。
あぁ、なんという美しくも神々しい姿。
これからも、後々まで語りつぎ 言いついでいこう、 
富士の高嶺のことを ) 
                         以上
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by uqrx74fd | 2013-01-02 21:47 | 自然

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