万葉集その四百九(巨椋池)

( 宇治川 )
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( 宇治橋 )
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( 桂川 )
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( 木津川 )  yahoo画像検索より
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( 淀川 )   yahoo画像検索より
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( ありし日の巨椋池 ) yahoo画像検索より
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( 蓮 飛鳥にて )
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( 同上 )
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 巨椋池(おぐらいけ)は京都府南部、現在の伏見、宇治地域にまたがる場所に
存在していた湖とも言うべき巨大な池で、宇治川、桂川、木津川がこの入江に流れ込み、
西方の淀川に溢れ出る、いわば遊水池の機能をはたしていました。

古くから湖岸周辺には船着き場(津)が設けられ、淀川から瀬戸内海さらには中国大陸に
通じる水上交通の要衝であり、飛鳥、平城京への木材運搬の中継地点としての役割にも
大なるものがあったようです。
近江など、近郷各地から伐り出された木材を川に落として運び、一旦ここに集荷してから、
順次、木津川へ流し途中から陸路で都へ運搬したのです。
都づくりの最中は水路、陸路ともに殷賑を極めたことでしょう。

然しながら、1594年、豊臣秀吉の伏見城築城に伴い、築堤工事を受け持った
前田利家が宇治川を伏見に迂回させたことにより巨椋池は一変しました。
池への流水が絶え、周囲16㎞水域面積8平方km(約(800ha)の孤立した
淡水の湖沼になったのです。

『 京都の南方、わずか二里のところにある伏見の指月(しげつ)は、
  伏見山の最南端が巨椋池にのぞむ丘陵である。
  このあたりには、平安のむかしに藤原俊綱の山荘がいとなまれたりしたほどで、
  景観もすばらしい。
  眼下にひろがる巨椋池は,池というよりも湖といったほうがよい。
  その大きさは、信州の諏訪湖ほどもあった。
  かの万葉集にも
  「巨椋の入江とよむなり 射目人(いめひと)の伏見が田居に雁わたるらし」 とある。』
                  ( 池波正太郎 真田太平記巻5 新潮文庫より) 

「 巨椋(おほくら)の 入江響(とよ)むなり 射目人(いめひと)の
    伏見が田居に 雁わたるらし 」  
                          巻9-1699 柿本人麻呂歌集


( 巨椋の入江が ざわざわと鳴り響いている。
  射目人(狩人)が身を伏せているいう伏見。
  その田んぼの方へ雁が移動してゆくらしいなぁ )

射目(いめ)とは猟師が鳥獣を射るために柴などを折って身を隠す道具をいいます。
言葉遊びも取り入れた歌で、
「 弓を射る猟師が身を伏せて待ち構えている伏見の田んぼ。
その田んぼに向かって、狙われているのも知らない雁の群れが
わざわざ飛んで行くわい」 と「伏す」「伏見」と音を掛け
「 そんな危ない所へ飛んで行くこともあるまいのに 」と興じています。

歌の題詞に「宇治川にして」とあるので、作者は宇治川の岸辺、巨椋池の注ぎ口の
近くにいて、水面に響く雁の羽音を耳にし、群れが飛び立つさまを推測した
一首ですが巨椋池、伏見2つの地名を配して自然の大きな景色を詠みこんだ秀歌です。

「 秋風に 山吹の瀬に 鳴るなへに
     天雲(あまくも)翔(かけ)る 雁に逢へるかも 」 
                           巻9-1700 柿本人麻呂歌集


( 秋風が強く吹くとともに、山吹の瀬の川音が高くなった。
  折しも はるか天雲の彼方を飛び翔ける雁の群れに出会ったよ )

作者は巨椋池から移動して、宇治橋のやや下流あたり(?)「山吹の瀬」とよばれる
ところで先ほど羽音を聞いた雁に出会ったのです。

「 他界のざわめきの果てに天空はるかに消え去ろうとする雁の姿をとらえ
  雄大かつ繊細な印象を与える歌」(伊藤博)です。

雁が飛び去ってゆく彼方に作者の故郷があるのでしょうか。
しみじみとした旅愁も感じられます。

なお、この歌を「秋風の 山吹きて 瀬の 鳴るなへに」と訓む説もあります。
この場合は「秋風が 山から吹いてきて 川の瀬が鳴ると」という意味になりますが
地名と見る説が多いようです。

巨椋池は蓮の名所であったらしく、大正15年、和辻哲郎は谷川徹三に誘われて
早朝、淀川から蓮船を仕立てて見学に出掛け、想像以上の雄大さに大いなる感銘を受け
「そこに仏教が説く極楽浄土の世界を見た」という趣旨の短い随筆を書いています。

以下は一部抜粋です。

『 巨椋池のまん中で咲きそろっている蓮の花をながめたときには、
 私は心の底から驚いた。
 蓮の花というものがこれほどまでに不思議な美しさを持っていようとは、
 実際予期していなかったのである。 - -

 舟の周囲、船頭の棹(さお)の届く範囲だけでも何百あるかわからない。
 しかるにその花は、十間先も、一町先も、五町先も、同じように咲き続いている。
 その時の印象でいうと、蓮の花は無限に遠くまで続いていた。
 どの方角を向いてもそうであった。
 地上には、葉の上へぬき出た蓮の花のほかに、何も見えなかった。
 これは全く予想外の光景であった。

 私たちは蓮の花の近接した個々の姿から、大量の集団的な姿や、
 遠景としての姿をまで、一挙にして与えられたのである。
 しかも蓮の花以外の形象をことごとく取り除いて、純粋にただ蓮の花のみの世界として
 見せられたのである。
 これは、それまでの経験からだけではとうてい想像のできない光景であった。
 私は全く驚嘆の情に捕えられてしまった。』 
                             (和辻哲郎随筆集 岩波文庫より)

「 蓮の葉押しわけて 出て咲いた 花の朝だ 」   尾崎放哉

その美しい極楽浄土、歴史ある巨大な池は、昭和8年(1933)、国民への
食糧供給充実という目的で干拓事業が開始され、8年後の昭和16年(1941)に
農地化されて完全に消滅しました。

現在は渡り鳥の飛来地となり、近くの葦の群生地をねぐらとする燕が
毎年数万匹もみられるそうです。

 「 初燕 はや水を恋ひ 水を打ち 」 大久保橙青
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by uqrx74fd | 2013-02-02 17:44 | 万葉の旅

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