万葉集その四百十(早春の火祭り)

( 春日大社大とんど祭り  奈良飛火野にて 正面は春日山 )
b0162728_8114399.jpg

(  同上 )
b0162728_81216.jpg

( 同上 )
b0162728_8122226.jpg

( 同上 )
b0162728_8123794.jpg

( 若草山焼き )
b0162728_8125048.jpg

(  同上 )
b0162728_813540.jpg

( 同上  朱雀門からの撮影 )  yahoo画像検索より
b0162728_8132019.jpg

( 同上  薬師寺裏 大池からの撮影 ) yahoo画像検索より
b0162728_8133295.jpg


「飛火野の 鹿を追ひつつ とんど組む 」 飯隈球子

2013年1月26日 奈良で2つの火祭りが開催されました。
例年10万人が集まるという「春日大社大とんど祭」と「若草山焼き」です。

「とんど祭」は春日野、今は飛火野とよばれている春日神社の境内の一角に
大きな火炉(5m×2m 高さ2m) を設置して、正月に春日大社へ納められた古いお守りや
お札(ふだ)、注連縄などを炊き上げ、感謝と共に年神様を送り、あわせて新年の
息災を祈る神事です。

雲1つない快晴の午後14時。
正面の春日山に向かって祝詞をあげた神主さんが自ら火入れすると、折からの風に
あおられ、たちまち勢いよく燃え上がりました。
巫女さんが打ち振る鈴の音が高く広く玲瓏と空を渡ってゆきます。

お焚き行事の起源は平安時代 宮中で三毬杖(さぎちょう)とよばれる3本の青竹を立てて
正月飾りを燃やした行事に始まるといわれていますが、その後全国各地に広まり、
どんど、とんど、左義長(さぎちょう)、サンクロウヤキ(長野)、オニビ(九州)など
数えきれないほど色々な名前でよばれており、中には神奈川県大磯町で
重要無形民俗文化財に指定されているものもあります。

時折風が強く吹き、火の粉が音を立てて舞い上がります。
炎の揺らぎを見ながら、次第に古き時代この地で野焼きが行われていたことに
想いを馳せてゆきました。

「 おもしろき 野をば な焼きそ 古草に
    新草(にひくさ)交じり 生(お)ひば 生ふるがに 」
                        巻14-3452 作者未詳(既出)


( 楽しい思い出が一杯つまっているこの野原をそんなに急いで焼かないでおくれ。
  それに新芽もまだ出かかったばかりで可哀想ではないか。
  若草になるまで伸びるだけ伸ばしてやろうよ )

「な○○そ」は禁止をあらわす言葉で「な焼きそ」は「焼くな」と強い調子で
 叫んでいる様子が窺われます。

「おもしろき」は「見ていて楽しい」の意で作者は古草を見ながら、
かって若草のもとでの逢引きを思い出しているのでしょうか。

「生ふるがに」は「生ふるがね」が訛ったもので、
「新草が生い茂りたいと思っているのなら、その通りにしてやってほしい」という意です。
野焼き作業をしている人に向かって呼びかけた形ですが、草木に対する愛情と、
思い出の場所を焼いてくれるなという淡い恋心が籠る歌です。

「 春日野は 今日はな焼きそ 若草の
      つまもこもれり 我もこもれり 」 
                    古今和歌集 よみ人しらず


( 春日野は今日だけは特別に焼かないで!
 愛しい人も、おれも草の中に隠れているのだから )

野原で愛しみ睦み合う二人、ほのぼのとした情景が彷彿されます。
昔は枯草が格好のベッドだったのでしょう。
   
「 山焼きや ほのかに立てる 一つ鹿 」 白雄

午後6時少し前、春日山の間から月がゆっくりと昇ってきました。
満月の光が皓皓とあたりを照らしています。

底冷えがする暗闇の中、突然轟音と共に花火が次々と打ち上げられてゆきます。
若草山焼き開始の合図です。

山の一角から一条の炎が横に走ってゆきます。
種火は「春日神社大とんど祭」の聖火を吉野の金峰山寺の山伏が列をなして
運んだものです。

二条、三条、次々と点火されてゆきます。
たちまち山は炎に包まれ、壮大な火の祭がはじまりました。

通説によると、この行事は1760年,東大寺と興福寺の境界争いを奈良奉行が調停して
若草山を5万日の預かりにしたことが起源と云われています。
山を焼くことで境界を無くし、手打ちしたのでしょうか。
観光としての山焼きは1900年(明治33年)からだそうです。

太古から冬に野を焼き山を焼くことは大切な農作業の一つでした。
人々は枯れた雑草や雑木を焼き払って害虫を駆除し、残された草木灰を天然の肥料として
蕎麦、粟、稗、大豆などを育てていたのです。
今では焼き払われた山の黒い土の下から蕨やぜんまい、そして土筆などが
春の訪れを告げていることでしょう。

「 明日からは 若菜摘まむと 片岡の
    朝(あした)の原は 今日ぞ焼くめる 」
               柿本人麿(かきのもとのひとまろ)  拾遺集


( 明日からは 若菜を摘もうとして 片岡の朝の原は
  今日は野焼きしているようだ )

この歌は万葉集には見えません。
柿本人麻呂の名も人麻となっていますが、果たして本人のものか確かめる術は
ないようです。
色々な歌が変形して愛唱歌のようになったのかもしれません。

「 火が鬩(せめ)ぐ 鶯御陵の お山焼き 」    河合佳代子

若草山は昔、鶯山とよばれていたそうです。
雅な名前ですが、鶯が多く棲息していたのか、山頂の前方後円墳は「鶯塚」、
春日奥山には「鶯の滝」があります。

「 山焼きの 炎の先を 鹿走る 」 泊月

山焼きはいよいよ佳境。
月も中空にさしかかっています。
炎は30分から1時間かけて全山を覆い尽くしますが、大きな線状にしか見えません。
というのは点火が順次行われるので時間が経過するとともに前の部分が
焼き尽くされて黒く燻った状態になるのです。

写真集などで見られる全山炎に包まれる情景は全プロセスを記録した
技術上の集大成で、若草山が一番美しく映えるのは薬師寺の裏にある大池、
平城宮跡の朱雀門前。
プロの写真家が好んで撮影するアングルです。

炎の勢いが次第に衰えてきました。
人々も三々五々散り始め、急に肌寒さを感じます。
奈良新公会堂前の広場に立ち尽くすこと3時間。

さてさて、私も熱燗を求めて町に下りてゆきましょう。

「古き世の 火色ぞ動く 野焼きかな」  飯田蛇笏
[PR]

by uqrx74fd | 2013-02-09 08:14 | 生活

<< 万葉集その四百十一(菅原の里)    万葉集その四百九(巨椋池) >>