万葉集その四百十六 (梅の里)

( 月ヶ瀬梅林 奈良県 )
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( 同上 )
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( 懸崖の花見台 同上 )
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( 梅と蝋梅の香り漂う小径 同上 )
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( 昔梅干し漬けに使用されていた樽 同上 )
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( 吉野梅郷  青梅市 )
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( 同上 )
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『 二月には梅が咲き、この部落全体が梅の花で埋まった。
そうして三月になっても、風のないおだやかな日が多かったので、
満開の梅は少しも衰えず、三月の末まで美しく咲きつづけた。
朝も昼も、夕方も、夜も、梅の花は、溜息の出るほど美しかった。
そうして お縁側の障子戸をあけると、いつでも花の匂いがお部屋に
すっと流れてきた。』
                      ( 太宰治 斜陽 新潮文庫より)

もろもろの花に先駆けて咲き、春の訪れを告げてくれる梅は奈良時代の終わり頃
中国から渡来したと云われています。
(九州の一部に我国原産のものがあったという説もあり)

これまで書物や絵画で読んだり見たりしながら、その形姿を想像しながら歌を
詠むしか術がなかった万葉人は、実物を目の当たりにして長年の夢がかなったと
欣喜雀躍したことでしょう。

そして、まず大宰府、次いで平城京、春日の里などに植えられ、見る見るうちに
増やしていったようです。
春日の里は、現在の白毫寺あたり、志貴皇子が屋敷を構えていたところで、
背後に御蓋山、春日山、高円山が控えています。

「 霜雪も いまだ過ぎねば 思はぬに
     春日の里に 梅の花見つ 」 
                 巻8-1434(既出) 大伴宿禰三林


( 霜も雪もまだ消えやらぬのに 思いもかけず春日の里で 梅の花を見たことよ )

作者は水がぬるみはじめた頃、春日の里へ出かけたところ、
思いもかけず霜や雪にめげずに凛と咲く梅を見つけたようです。
それはまだぽつりぽつりと咲く数輪の白梅だったかもしれません。
待ちに待った春到来の喜びが感じられる一首です。

「霞立つ 春日の里の 梅の花
   山の嵐に 散りこすなゆめ 」      巻8-1437 大伴村上


( 霞が立ちこめている春日の里の梅の花よ
 山おろしの風に散ってくれるな。 決して )

霞とともにやってきた春。
春日の里の梅はもう満開です。
「風よ散らすな」と詠われている風は高円山からの吹きおろしなのでしょうか。

「 ひさかたの 月夜(つくよ)を清み 梅の花
    心開けて 我(あ)が思へる君 」    巻8-1661 紀小鹿郎女


( 月夜が清らかなので それに誘われて梅の花が咲きだしました。 
貴方様をお慕いしている私の心も、花のように ほんのりと開いて- -。)

夜桜ならぬ夜の梅。
暗闇に咲く花が月の光に照らされておぼろげに浮かび上っています。
ほのかな香りも漂っていたことでしょう。
清純な乙女の恥ずかしげな恋心です。

「 梅の花 散らす春雨 いたく降る
      旅にや君が 廬(いほ)りせるらむ 」
                         巻10-1918 作者未詳


( 梅の花を散らす春雨 その春雨がひどく降っている
 この雨の中を あの方は今頃、旅の仮小屋でひとりさびしく
 籠っていらっしゃるのでしょうか)

冷たい雨が無情にも満開の梅に降りかかり、折角の花を散らしはじめました。
さぞ冷たかろう、寒いだろう。
長い旅に出ているわが夫よ。
雨に打たれて風邪をひかないだろうか、無事だろうかとその身を案じている優しい妻。

「月ヶ瀬や 次の茶屋へも 梅の径(みち) 」 鈴鹿野風呂

梅は観賞用としてだけではなく、実を梅干し、梅酢は防腐用として料理に、
さらに烏梅(うばい)にして解熱、腹痛などの医療用、紅染めの触媒材に利用しました。
烏梅とは半熟の梅を、藁の煙で燻して燻製状にしたものです。(真っ黒な梅干)

奈良、京都、三重の県境に月ヶ瀬という小さな村があります。
兼六園、奈良公園とともに我国最初に名勝に指定された(1992年)梅の名所です。
1331年、元弘の乱で足利尊氏に大敗を喫した後醍醐天皇が都落ちをしたとき、
一緒に逃げてきた女官が村の熟れた梅の実を見て、親切にしてもらったお礼にと
京で使用される紅花染め用の烏梅の作り方を教えたと伝えられています。

深い渓谷地にある月ヶ瀬村は、耕作地として利用できる土地が乏しく、
村人は米よりも高く売れる烏梅を作るため山や畑に木を植え、実を燻し、
出来た製品を換金して税を納めたそうです。

最盛時の江戸時代(1810年~1830年頃)には10万本の梅が植えられていたと伝えられて
いますが、明治時代になると合成染料が出回り、手間のかかる烏梅は廃れ、
梅林も伐採されて次第に減少の一途を辿りました。

現在、平地の梅林はダムの底に沈み、山の麓に移植された木や山上に残る1万余本が
昔を偲ばせてくれています。
往時の豪華絢爛な華やかさは失われたとはいえ、山の頂上からダム湖を見下ろす
景観の美しさは今なお多くの人々を魅了し、毎年10万人以上の観光客が
押し寄せているそうです。

「 月ヶ瀬や 夜の梅見る 小提灯(こちょうちん) 」 岡田耿陽(こうよう)
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by uqrx74fd | 2013-03-23 08:34 | 生活

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