万葉集その四百十八 (五條)

( 古い街並みが残る新町 )
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( 同上 )
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( 栄山寺八角堂 国宝 )
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( 同  井上稔展図録  県立万葉文化館編より)
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( 荒木神社 )
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( 境内の万葉歌碑 )
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( 翡翠色の吉野川 奇岩が多い場所 )
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(  天誅組の乱の舞台となった桜井寺 )
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奈良県五條市は県の西南部にあり、北は金剛山、南は吉野山地に挟まれた盆地で、
その中央部を吉野川の清流が東西を貫き、古代から紀伊、伊勢、大和、熊野を結ぶ
街道の要衝であるとともに重要な水路要地とされてきました。

市街の中心部から約1㎞のところ、吉野川沿いにある栄山寺は藤原不比等の子
武智麻呂により719年創建され、八角円堂は武智麻呂の子仲麻呂が父母追悼のため
建立したもので現在国宝に指定されている美しい天平建築です。

さらに、917年に完成した鐘楼(国宝)の梵鐘(ぼんしょう)は宇治の平等院、高雄神護寺と
並んで天下の三名鐘とされ、表面にある銘文の撰者は菅原道真、書は小野道風という
当代一流の手によるものです。

「八方に 八角堂の 雪しづく 」谷知 由季子

本陣と云う呼び名も残されている江戸時代の町並みが美しい。
幕末、天領であったこの地で尊王攘夷派の志士が最初に討幕の烽火をあげたので
(天誅組の乱)、明治維新発祥の地ともいわれ、現在の市役所が襲われた代官所跡。
天誅組は近くの桜井寺を本拠にしたと伝えられています。

古代この地方一帯は、宇智、阿多、大荒木とよばれており、
宇智は狩猟地、阿多は鮎漁、荒木は神社ゆかりの地であったようです。

「 阿太人(あだひと)の 梁(やな)打ち渡す 瀬を早み
     心は思へど 直(ただ)に 逢はぬかも 」
                     巻11-2699  作者未詳


( 阿太人が鮎を捕るために川瀬に梁を掛け渡していますが、
  流れは早く、とても渡れません。
 私の恋もこの急流のように逢瀬を妨げられているので、
 心の中で熱愛していても、本人にじかに逢って気持ちを打ち明けることが
 出来ないのです。)

「瀬を速み」は「川の流れが早いので」の意。
周囲の監視、束縛が厳しくてなかなか逢えないことを嘆いた歌です。
阿太人(阿多とも書く)は古くから吉野川沿いで鮎業を営んでいたらしく、
祖先の話が記紀に残されています。

「 神武天皇が高天原から遣わされたヤタガラスの案内で吉野の川上に到りついたところ、
 川で荃(うえ)を仕掛けて魚を獲る人がいた。
 名前を聞くと 「私は国つ神でニヘモツノコです」といいました。
 天皇いわく「これは阿太の鵜飼の祖(おや)じゃ」 (古事記 神武天皇の段)

注: 筌(うえ)=竹で編んだ筒状の漁撈道具で川に沈めて魚を獲る
   ニヘモツノコ:「 (贄(にえ:ここでは鮎) 持つ 」の意で、
   朝廷に鮎を献上していた

阿多人とよばれた人は昔、鹿児島県にも存在し、阿多隼人、大隅隼人とよばれていました。
朝廷に仕え、畿内に多数移住していましたが、都から遠く離れたこの地方にも
住み着いていたのかも知れません。

南阿田、東阿田、西阿田の地名が残る吉野川流域の地には「阿陀比売神社」
(あだひめじんじゃ) がひっそりとした佇まいで鎮座まします。
崇神天皇時代の創建で祭神は「コノハナノサクヤヒメの命」、安産の神様だそうです。

JR五条駅から東へ約1㎞ばかり行くとこんもりとした森が見えてきます。
古代、浮田の杜と詠われた荒木神社です。
近年台風で倒壊した鳥居は立て直されてまだ新しく、朱色が緑の中で映えています。

本殿に続く参道の両脇の木々に地元の人が詠んだ句や歌の札が吊り下げられているのも
珍しく、
「 浮田の森に 鎮まります 万葉の影色 」   増田武治 
の句が目に飛び込んできました。

石階段を上り鬱蒼とした森の奥の拝殿に向かって2拍一礼。

「 かくしてや なほや守らむ 大荒木の
    浮田の杜(もり)の 標(しめ)にあらなくに 」 
                巻11-2839(既出) 作者未詳


( こうして、いつまでも、あの子をずっと見守っていかなければならないのか。
 おれは何も大荒木の杜の注連縄ではないのに )

神社の標(神域)を譬えにして女に手を触れることが出来ない男の嘆き。
いくら待ち続けても女の母親から結婚の許しがもらえないようですが、
詠いぶりが明るいので、宴席で歌われた民謡かもしれません。

「 かくしてや なほや老いなむ み雪降る
 大荒木野の 小竹(しの)に あらなくに 」
                     巻7-1349 作者未詳


( こうしてまぁ、私もだんだん年取ってゆくのだろうか。
 雪の降り積もる大荒木野の篠竹ではないつもりなのに )

いい男に巡り合うことなく年老いてゆく女の嘆きを詠ったもの。
ここでの篠は誰にも刈り取られることなく空しく枯れてゆくものの譬えとして
用いられています。

「 自分はそこそこの女と自負しているのに良縁に巡り合えない。
  瑞々しく美しかった顔や肌は小皺が目に付くようになつてきた。
  あぁ、このまま老いさらばえてゆくのか。」

日を重ねるごとに期待が諦めの心境に変わって行く。
しみじみとした哀感が漂う一首です。

「 ながれては 川瀬の波の 音にのみ
    あたの うかひの 跡はのこれり 」 本居宣長 菅笠日記


本居宣長が当地を訪れた時、鮎漁を生業とする人々は既にいなくなっていたようです。

栄山寺の脇、吉野川のほとりに撫石庵(ぶせきあん)という老舗の料理屋があり、
旅の終わりに立ち寄りました。
往時を偲びながら食べた鮎の美味しかったこと。
いよいよ鮎の季節到来です。

「 我が妹の ふた親眠る 桜井寺
       共に参りて  ありし日偲ぶ 」   筆者

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by uqrx74fd | 2013-04-06 16:22 | 万葉の旅

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