万葉集その四百十九(天の香久山)

( 笑う香久山 )
b0162728_17213169.jpg

( 万葉歌碑 
   「 大和には 群山(むらやま)あれど とりよろふ 天(あめ)の香具山
   登り立ち 国見をすれば 国原は けぶり立ち立つ 海原は かまめ立ち立つ
   うまし国ぞ 蜻蛉島(あきづ しま) 大和の国は 」  巻1-2 舒明天皇
b0162728_17215118.jpg

( 香久山登り口 )
b0162728_17221140.jpg

( 中腹から 畝傍山 後方は葛城山 )
b0162728_17222986.jpg

(  山頂の社 )
b0162728_17224622.jpg

( 井上稔 香久山 想像上の埴安の池が描かれている 奈良万葉文化館刊図録より)
b0162728_1723619.jpg

( 天の岩戸神社 )
b0162728_17232994.jpg

 ( 同  内部に掛けられている絵 )
b0162728_17242065.jpg

「 大和には 群山(むらやま)あれど とりよろふ 天(あめ)の香具山 」
                      巻1-2の一部(既出) 舒明天皇 

( 大和には多くの山々があるが、 その中でも木々が豊かに生い茂り、
  美しく装っている香具山
  神話の時代に天から舞い降りたと伝えられている香具山- )

と万葉集で詠われている香久山は多武峰の山つづきの端山で、その先端が
平野に突き出たような形になっています。
正面から見ると山というより、なだらかに広がる丘のようです。
古代、このような地形のところが神事の場にふさわしいと考えられ、人々は山上に
神祭りの場を設けて、祈り、卜占を行い、山の土で祭器を作っていました。

「伊予国風土記」逸文に
「香久山は天上より天降(くだ)った時二つに分かれて一つは大和に落ち、
もう一つは伊予に落ちて天山になった」という神話が伝えられていますが、
万葉集で「天の」という枕詞が冠されているのは香久山のみです。
古代の人々がいかにこの山を特別な存在として崇めていたか窺われますが、
山の麓に神話で名高い「天の岩戸神社」があることにも関係しているのかもしれません。

「香久山に 筍掘りの一輪車」  飯隈球子

近鉄耳成駅から東の方角に向かって歩くこと約2㎞。
奈良文化財研究所を通り過ぎたところから香久山がひょっこりと姿を現わします。

大きな竹林の枝が風に吹かれて靡いている脇のなだらかな道を上って行くと、
登頂口の前に「大和は群山あれど」の大きな歌碑が立っていました。

山は木々に囲まれて視界が狭く、わずかに畝傍山が臨める程度です。
標高152m。ゆっくり上って約20分。
あっという間に頂上に。

山頂には小さな社が二つ、国土を治める神、国常立(くにとこたち)神社と、
雨や水を司る龍神、高靇(たかおかみ)神社が祀られています。
次の歌は、都が藤原宮から平城宮に遷された(710年)のち、この地を訪れた人が
香久山の麓の池で舟遊びを楽しんだことを懐かしんで詠ったものです。

まずは訳文から。

「 天から降ってきたといわれている香具山
   この山に 春がやってくると 
 桜の花が 木陰いっぱいに咲き乱れていました。

 松を渡る風に  麓の池の波が立ち
 その岸辺には あじ鴨(巴鴨ともいう)の群れが騒ぎ、
 沖の方で 鴨がつがいを求めあっていたこともあります。

 しかしながら、かって宮仕えの人々が御殿から退出して
 いつも楽しそうに船を漕いでいた姿はなく、櫂も棹も見当たりません。
 思い出のよすがとして船を漕いでみようと思ったのに。 」
                                巻3-260 作者未詳

訓み下し文

「 天降(あも)りつく 神の香具山 
  うち靡く 春さり来れば
  桜花  木(こ)の暗茂(くれしげ)に

  松風に 池波立ち
  辺(へ)つ辺には  あじ 群(むら)騒き
  沖辺には 鴨妻呼ばひ

  ももしきの 大宮人の 退(まか)り出て
  漕ぎける船は  楫棹(かじさを)も
  なくてさぶしも  漕がむと思へど 」 
                        巻3-260  作者未詳


往時の華やかな様子が彷彿とされる歌ですが、木陰を作っていた桜の木々は 
ほとんど姿を消し、松籟を響かせていた松の木も1970年頃、松くい虫の被害を受けて全滅。
今は常緑広葉樹が生い茂り、視界を阻んでいます。
大宮人が舟遊びを楽しんだ池は、埴安(はにやす)池と推定されていますが、
付近に池らしい池は見当らず、僅かに道の途中で見かけた「天香久山埴安池伝称地道」という
石柱に名をとどめるのみです。

「 古の 事は知らぬを 我れ見ても
       久しくなりぬ 天の香具山 」   巻7-1096  作者未詳


( 過ぎ去った遠い昔のことはわからないけれども、私が見はじめてからでも
  もう随分長い間変わることなく、神々しくあられることよ。
  この天の香具山は )

下山は反対側の道から北麓の「天香久山神社」に向かいます。
折しも、登ってくる小学生の集団に出会いました。
歴史の勉強でしょうか、引率の先生が熱心に説明しはじめ、耳を傾けると

『 天香久山神社の祭神は占いの神「櫛真知命(くしまちのみこと)」です。
 天の岩戸伝説の岩戸に閉じこもってしまった天照大神を外にお出しするため、
 神々は香久山の牡鹿の骨を、この山の桜木「波波迦(ははか)」で焼いて占いました。
 その占いの結果に従って榊に祭具を取りつけて祀ったところ大神の蘇生を
 見ることになったのです』というような趣旨のことを子供向けに分かりやすく
 話していました。

「波波迦(ははか)」という桜は「カバザクラ、コンゴウザクラ、ニハザクラ、
ウハミズザクラ」などとも云われていますが、注連縄を巻いた櫻木の横に

「 ひさかたの 天(あめ)の香具山 この夕べ
       霞たなびく 春立つらしも 」 
                    巻10の1812 柿本人麻呂歌集より(既出)

の歌碑が建てられていました。

神社を出て天の岩戸神社に向かいます。
周りは田畑が広がり、はるかに見える金剛、葛城の山並み。
美しい板壁の民家が立ち並ぶ道に出ると、その突き当りが「天岩戸神社」です。

どこにでもありそうな簡素な社ですが、なんとなく歴史の重みを感じさせます。
礼拝を済ませて建物の中を覗かせて戴くと、最近奉納されたのか神話の裸踊りの
絵が賑々しく掛かっていました。

崇高な雰囲気を想像していただけに、いささか拍子抜けしたような気持ちで退出し、
近鉄畝傍御陵前へ向かいます。
約2㎞の道のりですが、藤原宮跡の広大な敷地の中に咲くレンゲやタンポポを
楽しみながら、前方に畝傍山、右手に耳成、そして後方に香久山と
大和三山を堪能した散歩道でした。

   「 三山の 天心にして 春の雷(いかづち) 」 沢木欣一

注: 万葉集では「香具山」と表記されていますが一般には「香久山」と記されることが
   多いので、本稿では歌は香具山、説明文は香久山としています。
               ( 国土地理院では天香久山 )
[PR]

by uqrx74fd | 2013-04-14 17:25 | 万葉の旅

<< 万葉集その四百二十 (カタクリの花)    万葉集その四百十八 (五條) >>