万葉集その四百二十八(蓴菜の花咲く)

蓴菜の花 ( 蓴菜池緑地 市川市 )
b0162728_204218.jpg

( 同上 )
b0162728_2045448.jpg

( 秋田県 三種町 蓴菜のCMより)
b0162728_2045195.jpg

( 蓴菜摘み  同上 )
b0162728_2052239.jpg

(  蓴菜料理    yahoo画像検索より)
b0162728_2051788.jpg

「 蓴菜(じゅんさい)を 掬(すく)へば水泥(みどろ) 掌(て)にあまりて
       照り落つるなり また泥ふかく 」  北原白秋


初夏の訪れとともに蓴菜便りが届いて参りました。
スイレン科、多年草の水草、蓴菜の古名は「ぬなは(沼縄)」。
根茎が水中の泥の中を横に這い、葉柄も細長く縄のように見えるところから
その名があるといわれています。

「蓴」という字は本来「ヌナワ」と読み、音読したものが「ジユン」です。
古代から食用にされていたらしく、何と! 古事記に恋の歌が。

『 水があふれる 依網(よさみ)の池の
  堤を守る杭打ちが 杭を打ったのを つゆ知らず
  池のヌナハを 手繰りよせて 手を伸ばしたのも つゆ知らず
  我が心は  何と愚かなことか
  逃がした今は 悔しさがつのるばかり 』     (古事記歌謡 応神天皇の条)

「ヌナハを手繰り寄せる」は 「女性を自分のものにする」の比喩で
「目をつけていた女性が自分が知らない間に他人に盗られたと」嘆いています。
歌垣など宴席で歌われていたものとされていますが、蓴菜が女性に例えられているのは
赤紫色の可憐な花を美しいと感じていたのか、あるいは食用にされていた
若葉が美味だったからなのでしょうか。

 「 我(あ)が心 ゆたにたゆたに 浮蓴(うきぬなは)
      辺にも沖にも 寄りかつましじ 」
                      巻7-1352 作者未詳(既出)


( 私の心はゆったりしたり、揺れ動いて落ち着かなかったり、
 まるで水に浮いている蓴菜のようです。
 岸辺にも沖のほうにも寄ることが出来ずにゆらゆら揺れて。)
 
「ゆたに」は「ゆっくりと落ち着いて」 「たゆたに」は「たゆたふ」と同じ意味で
求愛された女性が気持ちを決めかねて心が揺れ動いているさまを
池に浮く蓴菜と巧みに重ねています。

「 いかなれば しらぬにおふる 浮きぬなは
         くるしや心 人しれずのみ 」 
                  後拾遺集 恋  馬内侍(うまのないし)


( 一体どういうわけで、気がつかない間に浮き蓴(ぬなわ)が生えていたのだろうか。
  ずっと人知れずに恋をしているのは、その蓴菜を「繰る」ではないが、
  苦しいことです )

「しらぬ」は「知らない間に」 と「沼」(ぬ)を、
「くるしや」は 繰る(蓴菜を手繰って採取する)と「苦しい」を掛けています。

作者は三十六歌仙の一人ですが、謹慎すべき事情があって恋人と手紙もやり取りする事が
出来なかった頃に詠んだようです。

「 蓴菜(じゅんさい)や 水をはなれて水の味 」   正秀


寒天質で覆われた蓴菜の若芽は日本料理の食材として珍重され、
かっては全国いたるところで見られましたが、現在は残念ながら
北海道大沼特定公園3湖の1つ蓴菜沼( 特産品として瓶詰めで売られている)、
秋田県三種町、山形、広島以外は、絶滅するか、希少種になっているようです。

生産量日本一は秋田県の三種町。
同県の郷土料理とされていて、酢の物、吸い物、味噌汁のほか鶏肉でとった出汁で
ジュンサイ鍋にするそうです。

『 ジュンサイは触感を楽しむもの。
 味はあまりないので卵やウニなどコクのあるものと合わせるといい。
 ポイントは四杯酢をかけること。
 四杯酢とは酢、醤油、砂糖(又はみりん)、に出汁を加えたものです 』

   ( 神楽坂 石かわ店主 石川秀樹氏 2013年6月8日付 読売新聞)

「蓴菜と鱸(すずき)の鱠(なます) はふるさとの味)」

以下は友人からのお便りの数々です。

『 ジュンサイは子供の頃暮らしていた家の裏の沼に自生しており
 泳ぎながらよく食べました。
 大きな沼ですが田舎なのでよそから採りにくる人も無く、酢醤油をもって
 子供だけで楽しんで摘んだものでした。』     ( 友人、仙台のH.Oさん)

『 瓶に入った「じゅんさい」を見つけたので買ってきて、うろ覚えの味付けを
して食膳に供してみましたが、プロの料理人でなければ「料理」にならないと
悟りました。 』  (友人、札幌のM.iさん)

『 ジュンサイそのものには、味なんて感じられなくて、食感というよりむしろ触感。
味付けの腕前が味覚を生む類の食べ物のように思いますが、古代人は、現代人より
格段 に味覚が優れていたでしょうから、そのままでも味わえたのでしょうね。
現代人でも「生じゅんさい」の歌もあるし・・・ それが「風味」か・・・ 』

                      ( 友人、東京のI.Nさん )

「蓴菜と鱸の鱠」が「郷愁」を意味する言葉となったのは以下の故事に由来するそうです。

『 その昔、3世紀の頃、中国の西晋(せいしん)に仕えていた張翰(ちょうかん)という人が
  故郷のジュンサイの吸い物とスズキの鱠の味が忘れられず、官職をなげうって
  故郷に帰った。
  そのことからジュンサイの吸い物とスズキの鱠は郷愁を意味するようになった。 』

人生のすべてを蓴菜と鱸の鱠にかけるとは!
「美味なる食物 恐るべし」です。

「 朝より酒 生じゅんさいは 箸より逃げ 」 石川桂郎

              ご参考 万葉集遊楽116 (蓴菜:じゅんさい)
[PR]

by uqrx74fd | 2013-06-15 20:06 | 植物

<< 万葉集その四百二十九 (あさざ)    万葉集その四百二十七(菖蒲と杜若) >>