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万葉集その四百二十九 (あさざ)

( 皇居東御苑二の丸池 )
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( 同上 アサザの花 )
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( 同上 )
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( 同上 )
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( 同上 説明文 ) 画面をクリックすると拡大できます
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「あさざ」は池や沼の浅瀬に生えるミツガシワ科の多年草で、地下茎が長く横に這い、
睡蓮に似た葉を水に浮かべます。
6月から8月にかけて鮮やかな黄色の花を咲かせますが、天気が良い日の朝にしか
開いてくれない気難し屋さんでもあります。
花蓴菜(ハナジュンザイ)、金レンゲ、草葵(クサアオイ)、池沢瀉(イケノオモダカ)などの
別名もあり、古くは日本書記に「あざさ」と云う名で登場し、地下茎が絡まる意の
「あざなふ」による命名とも。

万葉集では長歌で僅か1首。
恋人をめぐる息子と両親との楽しい会話の中で女性の髪飾りとして詠われています。

長歌

「 うちひさつ 三宅の原ゆ 
  直土(ひたつち)に 足踏み貫き
  夏草を 腰になづみ  
  いかなるや 人の子ゆゑぞ
  通はすも我子(あご)

  うべなうべな  母は知らじ うべなうべな 父は知らじ
  蜷(みな)の腸(わた) か黒き髪に  
  真木綿(まゆふ)もち  あざさ結ひ垂れ 
  大和の 黄楊(つげ)の小櫛(をぐし)を
  押へ刺す うらぐはし子 それぞ我が妻 」 
                      巻13-3295 作者未詳(一部既出)


一行づつ訓み進めてゆきます。( 右側:現代訳文)

「 うちひさつ 三宅の原ゆ 」 ( 日が当たる 三宅の原を通って)

「うちひさつ」は「うちひさす」の転訛で「日がよくあたる」の意から
「みや」(宮、都 三宅)に掛かる枕詞。
「三宅の原ゆ」の「ゆ」は通過した地点を表し、「三宅の原」は奈良県磯城郡三宅町
あたりとされています。

「直土(ひたつち)に 足踏み貫き」 ( 地べたにぶすぶすと足を踏みこみ )

 「直土(ひたつち)」地面に直接の意で「地べた」
 「足踏み貫き」 足を踏みこみ

 ぬかるみなどに足を踏みこんだり、切り株などを踏みつけたりして傷つく様子

 「 夏草を 腰になづみ 」 ( ぼうぼう生える夏草を腰にからませて)

 「なづみ」 からませて 

「 いかなるや 人の子ゆゑぞ 」 ( どこの家の娘さんのもとに )

 「いかなるや」 一体どちらの

 「 通はすも我子(あご)」 ( お前さんは通っているのかね )

ここまでが母親の質問です
頻繁に女のもとに通う息子、「一体どこの女性なのだろう、もしや悪い女では」と
心配する両親。

息子が答えます。

「うべなうべな  母は知らじ  うべなうべな 父は知らじ」

  ( ご尤も ご尤も 母さんはご存じありますまい
    ご尤も ご尤も 父さんも ご存じありますまいね )

「うべな」肯うの意 当時の農村生活では母父と女性が上位。父母の表現は少ない。

 「 蜷(みな)の腸(わた) か黒き髪に」 ( 巻貝の腸が黒いように あの子の緑の黒髪に)

  巻貝は食用にしていた田螺(たにし)と思われますが、緑の黒髪の枕言葉に
  貝の腸とは面白い表現。
  栄養分が多いので茹でたり黒焼きにして食べていたようです。

  「真木綿(まゆふ)もち あざさ結ひ垂れ」( 木綿「ゆふ」で「あざさ」を結びつけて垂らし ) 

  「真木綿(まゆふ)」の「ま」は褒め言葉、
  「木綿」は現在の「モメン」ではなく楮の繊維で結った紐。
  髪飾りとして「あざさ」を結いつけて髪に垂らした

  「 大和の 黄楊(つげ)の小櫛(をぐし)を」 
( 大和の黄楊で作った小櫛を )

  黄楊(つげ)の櫛は今も昔も最上品。
     
  「 押へ刺す うらぐはし子 それぞ我が妻 」

 ( 髪の押さえに挿している 輝くような美しい娘
   それが私の妻なのですよ )

「うらぐはし」  
心にしみて美しく思われる 
通常は風景や自然界の美しさをいうときに用いられ
人の美しさの形容に使われるのは異例

( 全訳文 )

( 日が当たる 三宅の原を通って
 地べたに ぶすぶすと足を踏みこみ 
 ぼうぼう生える夏草を腰にからませて
  まぁ一体どこの家の娘さんのもとに
 通っているのかね 、お前さんよ。

 ご尤も ご尤も 母さんはご存じありますまい
 ご尤も ご尤も 父さんも ご存じありますまいね
 あの子の緑の黒髪に
 木綿(ゆふ)で「あざさ」を結わえて垂らし 
 大和の黄楊で作った小櫛を 
 髪の押さえに挿している 輝くような美しい娘
 それが私の妻なのですよ )

反歌

「 父母に 知らせぬ子ゆゑ 三宅道の
    夏野の草を なづみ来るかも 」 巻13-3296  同


( 父さんや母さんに内緒の子ゆえ、こっそりと草深い三宅道の夏野 
  その野の草に足をとられながら私は辿って行く。 
  そういうことだったのです。)

通い婚の時代、男は月が天空に掛かる頃に家を出て夜明けに戻るのが習いでした。
夜中に頻繁に家を抜け出す息子。
「どうやら恋をしたらしい」と親も薄々気づいていたのでしょう。
とんでもない相手ではあるまいかと心配する両親ですが恋に夢中の当人は
親なんか眼中にありません。

ある日、母親と父親が事情を聞いてくれた。
これは幸いとばかりに滔々とまくしたてる息子。
炎熱の夜、草いきれの中、切り株を踏み貫きながら、足をひきずり恋人のもとに
通う様子をオーバーに語ります。
美人の第一条件である恋人の黒髪を自慢し、「アサザ」の飾りでその美しさを
一段と映えさせる。
高価な黄楊の櫛を持っている女性は良家の娘なのでしょう。

青春時代の燃えるような恋。
どうやらこの歌は踊りを伴った民謡ではないかとも思われますが、
当時の庶民の生活の一端を伝えてくれる珠玉の一篇です。

「 いささかは 水を離れて ことごとく
        あさざの花の 日に向きて咲く 」     古泉千樫


古代の「あざさ」は現在の「あさざ」 
ややこしいですね。
「あさざ」の和名由来は「浅い瀬に咲く」又は「浅浅菜」(若葉は食用)とも。

「 舞ひ落つる 蝶ありあさざ かしげ咲き 」   星野立子

蝶を見て、首を傾(かし)げているように咲くあさざ 

by uqrx74fd | 2013-06-22 20:44 | 植物

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