万葉集その四百三十一(長屋王)

( 平城宮跡朱雀門 壁の後方の白い円形の建物(イトーヨーカド-)あたりが長屋王邸宅跡とみられる)
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( 長屋王木簡について  イトーヨーカドー裏  画面をクリックすると拡大出来ます )
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( 邸宅跡の形ばかりの祭壇  同上 )
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( 長屋王邸宅復元図  奈良国立文化財研究所 )
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長屋王は天武天皇の皇子、高市(たけち) を父とし、天智天皇の皇女、御名部皇女
(みなべのひめみこ) を母として生まれました。

父方、母方の祖父が天皇と云う血筋抜群の家系の上、父、高市皇子は壬申の乱で
大海人皇子(後の天武天皇)の総司令官として活躍し、持統天皇の信頼も厚く
太政大臣まで登りつめた人物、さらに、正妃は文武天皇の妹、吉備内親王という
華麗なる一族です。

26歳で宮内卿として政治の世界にデビユーし、大納言、右大臣に累進、
724年、聖武天皇即位の日に左大臣に就任し位人臣を極める一方、仏教に深く帰依し、
唐招提寺を開いた鑑真が渡日を決意したのは長屋王が仏法を崇敬し1000枚の袈裟を作って
唐の僧に寄進したことを聞いたのがきっかけだったとも伝えられています。
 (唐大和尚東征伝)

また佐保楼と名付けられた邸宅にサロンともいうべき場を提供して多くの文人を招き
しばしば詩宴を催して当代文藝の発展にも尽くした文人政治家でもありました。

万葉集での長屋王の歌は5首。懐風藻には3首の漢詩が残されています。

「 我が背子が 古家(ふるへ)の里の 明日香には
   千鳥鳴くなり 妻待ちかねて 」 巻3-268 長屋王


( あなたの古家が残るここ明日香の里で千鳥がしきりに鳴いています。
 妻を待ちわびて- )

694年都が明日香から藤原京に遷りました。
作者はかって旧都で住み慣れた家があった場所に立ち、千鳥の声を聞きつつ
新都に去った人を想っています。
去った人は女性か、友人か定かではありませんが、妻呼ぶ千鳥の哀しげな声が
そのまま作者の感慨なのでしょう。

「 宇治間山 朝風寒し 旅にして
    衣貸すべき 妹もあらなくに 」       巻1-75 長屋王


( 宇治間山 この山の朝風は寒い。
 旅先にあって衣を貸してくれそうな女もいないのに )

701年2月、文武天皇吉野行幸の折の歌。
宇治間山は明日香から稲渕、栢森を経て吉野へ行く道の途中にある千股(ちまた)の山と
推定されています。
早朝の山道。
寒さに震えながら都に残してきた妃の暖かい肌のぬくもりを思い出したのでしょうか。

724年、左大臣に任命された長屋王のもとへ元正太政天皇と聖武天皇が
お祝いを兼ねて行幸されることになりました。
臣下の邸宅をわざわざ訪れるという破格のお沙汰です。

恐懼感激した王は趣向を凝らした家を新築して迎え、太政天皇はその労をねぎらって
長屋家の繁栄を寿ぐ歌を与えます。

「 はだすすき 尾花 逆葺(さかふ)き 黒木もち
     造れる室(むろ)は 万代(よろづよ)までに 」
               巻8-1637  元正太政天皇


( はだすすきや尾花を逆さまに葺いて 黒木を用いて造った新室
 この新室はいつまでも栄えることであろう )

はだすすき: 皮に包まれてまだ穂が出ていない薄
尾花逆葺き: 屋根を葺くには草の根を下に向けるのが習い。
ここは尾花の穂を下に向けて葺いた
黒木:    樹皮が付いたままの木 

赤塗の柱の宮殿を見慣れた雲上人にとって、野趣あふれる邸宅は
風流なはからいとみえたことでしょう。
まさに王にとって生涯最良の日。人生の絶頂期でした。

それから5年後、聖武天皇が向けた軍によって自刃に追い込まれるとは!
一体誰が想像しえたでしょうか。

                           ( 以下 次回に続く )
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by uqrx74fd | 2013-07-06 19:53 | 生活

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