万葉集その四百三十五 (天の川)

七夕祭り(平塚)
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( 同上)
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( 同上)
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( 同上)
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(同上)
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(同上)
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(同上)
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( 天の川  yahoo画像検索より)
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天文学者 海部宣男氏によると
『 天の川は、1609年にガリレオ・ガリレイが手作りの望遠鏡で無数の微かな
光の星の集まりだと確認するまで、不思議な天の流れであり、
古代シュメール人には天のユーフラテスであり、エジプトでは天のナイル、
インドでは天のガンジス、中国では天河、あるいは長江最大の支流である漢水が
天の川と同じ方向に流れていると考えられたので,天漢、銀漢ともよばれた。
いずれも、とうとうたる大河のイメージである。

ところが万葉の時代に、中国わたりの七夕の宴をとおして日本でも
天の川が親しまれるようになると、天の大河は日本の風土に合わせて清流になった。 』 
と述べておられます。      ( 星めぐり歳時記 じゃこめてい出版 ) 

では、万葉人は天の川はどのような川だと想像していたのでしょうか?
130余首ある七夕歌の中から川を詠ったものを選び、当時の人々の心情を
辿ってみたいと思います。

「 たぶてにも 投げ越しつべき 天の川(がわ)
    隔てれば かも あまた すべなき 」    巻8-1522 山上憶良


( 小石を放り投げても向うに届きそうな川幅が狭い天の川。
 そんな川なのに、こいつが二人の仲を隔てているばかりに、
 どうしょうもない苦しみを味わわなければならないのか。)

この歌は729年、大伴旅人宅での七夕の宴の折に詠まれたもので、作者は
牽牛の立場で詠っています。
「たぶて」は 礫(つぶて)に同じ、「にも」は動作を表す言葉です。
石を投げても届きそうな狭い川なのに簡単に越せるようで越せないと
嘆いており、自身の人生と重ねているようです。

深読みすれば、憶良は川の向こうを彼岸と見立てて、
生老病死と向かい合いながら生きてゆかなければならない現世の苦しみを
言いたかったのかもしれません。
生と死は表裏一体。
でも、そう簡単には彼岸へは行けない。
とすれば、やはり辛くても生きなければ、という気持ちを牽牛に託したのでしょうか。
あの有名な貧窮問答歌が詠まれたのはそれから3年後のことでした。

「 天の川 川の音清し 彦星の
     秋漕ぐ舟の 波のさわきか 」 
                       巻10-2047 作者未詳


( 天の川の川音が清々しく聞こえてきました。
 あれは彦星が この秋の宵に川を漕ぎ渡る舟がかき立てる
 波のざわめきであろうか。)

「さわき」は「動く」の意。
織姫は牽牛が漕ぐ舟の楫音が次第に近づいてくるのを、耳を澄ませながら聞いています。
「 段々音が大きくなってきた。
  間もなくお着きのようだ」
と心をはずませ、迎え支度にとりかかります。

「 天の川 川門(かわと)八十(やそ)あり いずくにか
    君が み舟を 我(あ)が待ち居らむ 」
                       巻10-2082 作者未詳

( 天の川には渡し場がたくさんある。
  私はどこであの方をお待ちすればよいのでしょうか )

天の川には船着き場がたくさんあったようです。
「牽牛様は一体どこへ舟をつけるのでしょう。
そして、私はどこへ迎えに行ったらよいのでしょうか。
ひよっとしたら、逢えないかもしれない。」

と不安が心をよぎります。

「 天の川 霧立ちわたり 彦星の
         楫(かじ)の音聞こゆ  夜の更けゆけば 」 
                        巻10-2044 作者未詳

( 夜もだんだん更けてきました。
 ようやく彦星が舟を漕ぐ楫の音が聞こえてきました。
 まもなくお着きになることでしょう )

随分遅くなりましたが、何とかお着きになりました。
「あぁ嬉しい!」 と いそいそ寝床の用意をする織姫。

「 天の川 棚橋渡せ 織女(たなばた)の
    い渡らさむに 棚橋渡せ 」 
                       巻10-2081 作者未詳

( 天の川に棚橋でも渡しておくれ。
 別れを惜しむ織姫様が お渡りになれるように棚橋でも渡しておくれ )

織姫が天の川を渡ることを詠んだ唯一の歌。

一夜の逢瀬を楽しんだ後、また一年、再会を待たなければならない。
今去ってゆく牽牛の後を追っていけるように急ぎ棚橋を渡せと詠った
心優しい万葉人。
棚橋とは一枚板を棚のように掛け渡した仮設の橋です。

「 天の川 かたむきかけて おほぞらの
     西の果てより 秋はきにけり 」   太田水穂


万葉人にとっての天の川は滔々たる大河ではなく、小石を投げれば届き、
岩があったり、水草が生えていたり。
浅瀬をさらさらと流れる清らかな水は、時には逆巻くように激しく奔流する。
所々に渡し場があり、いつでも向う岸に行くことが出来る。
漢詩にあるカササギの橋はなく、織姫が乗る馬車も登場しません。

霧は櫂の雫となり、別れの涙にもなる。
彦星と織姫はあたかも我が妻や恋人のように詠われ、逢瀬を楽しんだ後の
後朝(きぬぎぬ)も現実そのもの。

そうです。
万葉人にとって天の川は身近なところを流れる小川。
牽牛、織姫は自分達自身なのです。

だからこそ、年に一度の逢瀬というロマンに満ちた伝説は瞬く間に
大勢の人たちに知られ、一つのテーマとしては異例な数の歌が
詠まれたのでしょう。

昭和時代に多くの人達の紅涙をしぼった「君の名は」という映画も
年に一度の逢瀬を約束したストーリィでした。
作者は七夕伝説からヒントを得たのでしょうか。

今年の立秋は8月7日。 
東北各地は仙台七夕、青森ねぶたをはじめ秋祭りの季節を迎えます。
澄み切った秋の夜空の天の川は、さぞ美しいことでしょう。

「 天の川 白き真下の 山あひに 
    我が故郷は 眠りてありけり 」  佐佐木信綱

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by uqrx74fd | 2013-08-03 07:27 | 生活

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