万葉集その四百四十二( 秋の七草 2.)

( 萩 谷中 宋林寺 )
b0162728_10393123.jpg

( 尾花  正歴寺への道で 奈良市 )
b0162728_10394510.jpg

( 葛  佐倉市 )
b0162728_10395974.jpg

( 撫子 富士見高原 長野県 )
b0162728_10401240.jpg

( 女郎花(おみなえし) 向島百花園 )
b0162728_10402365.jpg

( 藤袴  奈良万葉植物園 )
b0162728_1040343.jpg

( 桔梗  白毫寺 奈良市 )
b0162728_10404823.jpg

( ハタザオキキョウ 小石川植物園 )
b0162728_10405840.jpg

今から約1280年前、筑前の国守、山上憶良が地方視察に出掛けた折のことです。
大宰府の喧騒から遠く離れ、広々とした野原に出ると、秋の花々が一面に咲き乱れ、
大勢の子供たちが花摘みをしながら駆け回っていました。
子煩悩な憶良は「お-おぃ、こちらへおいで」と気さくに声をかけ、

「 みんな! ここに咲いている花の名前を知っているかい。
  これは萩、そして尾花、葛、なでしこ
 それからこちらは をみなえし、藤袴、朝顔(=桔梗)というんだよ」

と相好をくずしながら教えたのです。

「 秋の野に 咲きたる花を 指折り(およびをり)
       かき数ふれば 七種(ななくさ)の花 」    巻8-1537 山上憶良(既出)

「 萩の花 尾花葛花 なでしこの花
   をみなへし また藤袴 朝顔の花 」    巻8-1538 山上憶良(既出)


憶良が子供達に教えた花の名はその後、秋を代表する草花として現在に至るまで
変わることなく受け継がれています。
万葉集で詠われている七種のうち萩は141首、尾花34、葛20、なでしこ26、
をみなえし15、藤袴1、朝顔(桔梗)5首、と萩が他を圧倒していますが、地味な
尾花が堂々の2位。
風に靡く穂、飛び散る花穂(かすい)、白露に濡れるさまなどに美を見出した
万葉人のセンスには驚きを感じます。
藤袴は憶良の歌に「藤袴」と2文字見えるのみ。
七草のうち唯一中國渡来の植物なので当時はまだ一般に知られていなかったの
かも知れません。

それでは、これらの花がどのように詠われたのか1首づつ挙げて参りましょう。

「 草枕 旅ゆく人も 行(ゆ)き触れば
         ひほひぬべくも  咲ける萩かも 」
                        巻8-1532 笠 金村


( 旅行く人が 行きずりに触れでもしたら、着物に色が染まってしまうばかりに
 咲き乱れている萩の花よ )

「 伊香山(いかごやま) 野辺に咲きたる 萩みれば
           君が家なる 尾花し思ほゆ 」     巻8-1533 笠 金村


( 伊香山、この山の野辺に咲いている萩を見ると、あなたさまのお屋敷の
 尾花が思いだされます )

この2首は聖武天皇の時代、宮廷歌人であった作者が越前敦賀の国守として赴任する
石上乙麻呂に従って旅をした折の歌です。
伊香山は琵琶湖の北端、木之本町にある山とされ、秋風が爽やかに吹き抜けてゆく中、
萩や尾花が咲き乱れている野を楽しげに歩いている様子が目に浮かびます。

2首目の「君が家なる 尾花し思ほゆ」の「君」は作者が乙麻呂に話しかけたもので
望郷の念も感じられる一首です。

「 ま葛延(は)ふ 小野の浅茅を 心ゆも
          人引かめやも 我が なけなくに 」 
                    巻11-2835 作者未詳


( 葛が延(は)い廻っている小野の浅茅。
  まさかその浅茅を他人が本気で引き抜くなんてあるまいな。
  この私というものがいるというのに )

この歌は花に寄せた恋歌で、「ま葛延ふ」は女のまわりをうろつく仇男
「浅茅」を自分の恋人に譬え、他人に恋人を横取りされる不安をかき消そうと
詠ったようです。

「小野」は人里の野
「浅茅」は丈の低い茅で若穂を摘んで食用にした。 ここでは恋人の譬え
「心ゆも」は「まさか」~とは思わなかったとの否定の意を含む言葉
「我が なけなくに」は「自分というものがいるというのに」

葛はあらゆるものに絡みついて延びて行くので、仇男の比喩としては迫力があり面白い。

「 朝ごとに 我が見るやどの なでしこの
           花にも君は ありこせぬかも」
                巻8-1616 笠 女郎(かさの いらつめ)


( 朝ごとに私が見る庭の撫子の花 
 あなた様がこの花であって下さったらよいのに)

作者が大伴家持に贈った歌で、
「貴方様が撫子なら毎日見ることができるのに」と思うに任せぬ嘆きを詠ったもの。
「ありこせぬかも」は「~であってくれないものか」と願望を表します。

家持は殊の外、撫子を好み11首もの歌を残しています。
そのことを知っていた作者は撫子を家持とみなして気を引いたものと思われますが
残念ながら空振り。
次々と出したラブレターは29首、ようやく返された歌はたったの2首。
それもそっけないものでした。
恋に破れた郎女は泣く泣く故郷、吉備へ帰って行ったのです。

「 をみなへし 秋萩交る 蘆城(あしき)の野
        今日(けふ)を始めて 万代(よろづよ)に見む 」
                      巻8-1530 作者未詳


( をみなえしと萩が入り交じって咲いている蘆城の野よ。
 今日を始めとしていついつまでも見ましょう )

大宰府に着任した官人を歓迎する野遊びの折の歌です。
蘆城野は福岡県筑紫野市阿志岐(あしき)にある宿場で、大宰府から約4㎞。
官人たちが好んで集宴を催した場所だったようです。
澄み渡る秋空の下、女郎花、萩のほか、色とりどりの草花に囲まれての酒宴は
さぞ楽しかったことでしょう。

「 やどりせし 人のかたみか 藤袴
         わすれがたき香(か)に にほひつつ 」 紀貫之 古今和歌集


( 一夜過ごして行った人が残してくれた形見でしょうか。この藤袴は。
 忘れられない香を何度も匂わせていることです )

万葉時代、憶良以外に詠われなかった藤袴は香が好まれた平安時代に
男の袴との取り合わせで艶めかしく登場します。
七草の中で唯一渡来した藤袴は「蘭草」「香草」の漢名にある通り、
香りが漂う植物で、乾燥させて香料にしていました。

共に一夜一過ごした枕元に藤袴の花が生けてあったのか、それとも脱いだ男の袴に
香が焚き込められていたのか。
「にほひつつ」に余韻が残る歌で、作者が女性の立場になって詠ったものです。

「 朝顔は 朝露負ひて 咲くといへど
         夕影にこそ 咲きまさりけれ 」 
                     巻10-2104 作者未詳(既出)


( 朝顔は朝露を浴びて咲くというけれど、夕方のかすかな光の中でこそ
 ひときわ咲きにほふものでありました )

朝顔は現在の何の花にあたるのか?
当初は朝顔、木槿(むくげ)、桔梗説に分かれていました。
平安時代に中国から渡来した朝顔と木槿は夕方に萎む一日花であることから
この歌にふさわしくないとして除外され、最後に残ったのが桔梗。
歌の「夕べには一段と美しい」という表現が決め手となったのです。

さらに、我国最初の漢和辞典「新撰字鏡」(901年頃:僧 昌住著) の
「 桔梗は阿佐加保(アサカホ) または 
岡止々支(オカトトキ=桔梗の別名)という」の記述が
それを裏付けることになったようです。

   「 きりきりしゃんとして咲く桔梗哉」 一茶

紫や白の上品な色。
凛とした立ち姿。
そこはかとなく漂う色気。
着物姿の女性を思わせる花です。

「 七草は 今や咲かむと 色ばめど
      菊は蕾を いまだ結ばず 」 伊藤左千夫


               ご参照 万葉集遊楽 その二十五 ( 秋の七草 )
[PR]

by uqrx74fd | 2013-09-20 10:42 | 植物

<< 万葉集その四百四十三 ( 韮 ニラ)    万葉集その四百四十一 (露草) >>