万葉集その四百四十六(葛城山春秋)

(つつじ咲く葛城山)
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( 秋の葛城山)
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( 葛城山ロープウエイから)
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( 葛城山頂から大和三山を臨む )
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( 葛城金剛連山  明日香冬野から )
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( 金剛山 葛城山頂から )
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(  綏靖天皇(すいぜいてんのう)葛城高宮跡  葛城古道で) 
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( 葛城金剛連山遠望  山の辺の道から )
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奈良県と大阪府の境に屏風を立てたように連なる金剛、葛城、二上連山は古くは
葛城山と総称されていました。
この辺りは古代豪族葛城、鴨氏の本拠地で、ゆかりの古社、古墳も多く、
また、修験道の開祖、役小角(えんのおづぬ)が修行のために山に籠ったともいわれ、
太古の世界の雰囲気を漂わせているところです。

主峰金剛山(1125m)には記紀にみえる雄略天皇ゆかりの一言主神を祀る葛城神社があり
葛城山(959m)の南麓には葛城水分神社が鎮座まします。
水分(みくまり)とは水配りのことで、人々は豊かな水をもたらす山々を聖なる山と崇め、
朝に夕に祈りを奉げていたのです。

また、「日本書紀」神武天皇即位前紀によると、この地域に土蜘蛛とよばれた部族が
住んでいましたが、天皇の兵が葛(かずら)の蔓(つる)で編んだ網で一網打尽にしたのち、
その地を葛城という名に改めたという地名縁起も伝えられています。

万葉集で葛城山を詠ったものは2首。
他の関連地域を含めても6首しかありません。
栄華を誇った葛城一族の本拠地にしては意外に少ないと感じますが、
5世紀の末、葛城氏が雄略天皇に反抗して手痛い制裁を受けて没落し、
蘇我氏に実権を奪われたことや、政治の中心が飛鳥、藤原京に遷ったという事情が
あったのかもしれません。

「 明日香川 黄葉(もみちば)流る 葛城の
      山の木(こ)の葉は 今し散るらし 」 
                        巻10-2210 作者未詳

( 明日香川に黄葉が流れている。
 どうやら葛城の山の木の葉がしきりに散っているようだ。)

明日香川に流れている木の葉を眺めながら、葛城山の秋の深まりに感慨を
抱いている一首ですか、平安時代にこの歌を本歌取りしたものが多く詠まれ
次のような人麻呂作とされたものもあります。

「 飛鳥川 もみじ葉流る 葛城の
      山の秋風 吹きぞしくらし 」  柿本人麻呂 新古今和歌集


「吹きぞしくらし」は「しきりに吹いているようだ」の意。 
なお、飛鳥川は河内にも同名の川が存在し諸説ありますが大和説が有力です。

 「 春柳 葛城山に立つ雲の
      立ちても居ても 妹をしぞ思ふ 」 
                     巻11-2453 柿本人麻呂歌集


( 春柳を鬘(かず)くと云うではないが、 その葛城山に立つ雲のように
 立っても座っても ひっきりなしにあの子のことばかり思っている )

春柳はそれを髪飾り(鬘:かずら)にすることから葛城山に掛かる枕詞とされ、
春に芽吹く柳を頭にかざすことで新しい生命力を取り入れようという
願いが込められています。
そのかづらの葛城山と「か」が続く軽快なリズム、立つ雲のように居ても立っても
いられないという言葉遊び。
若い男女の間で詠われた民謡だったかもしれません。

「 葛城や あやめもわかぬ 五月雨」  松瀬青々

「あやめ」は布の模様などの文目(あやめ)で、
「わかぬ」は「分かぬ」で区別がつかないこと。

「折角葛城を訪れたのに生憎の五月雨。
薄暗くて、周りの景色がはっきり見えないことよ」 と嘆いています。
秋ならば「葛城や あやめもわかぬ 時雨かな」とでも詠んだのでしょうか。

葛城は仁徳天皇の皇后、磐姫の故郷としても知られています。
次の歌は皇后の留守中、天皇が八田皇女という女性を後宮に入れたことに抗議して
再び宮に戻るまいと山城の国の知り合いのもとに去った時、奈良坂あたりから
葛城を臨んで詠った望郷の歌です。

「 つぎねふや 山城河を 
  宮のぼり 吾(わ)が のぼれば
  青丹よし 奈良を過ぎ 
  小盾(をだて)  倭(やまと)を過ぎ
  吾が見が欲し国は 葛城高宮  
  吾家(わぎへ)のあたり 」    (古事記)


(  山々が重なる中を流れる山城川
  我が宮を過ぎ、さらに上ってゆくと
  美しい 奈良を過ぎ
  小さな盾なす山々に囲まれた 大和も過ぎてしまった
  あぁ、私が見たいと思う国は  葛城の高宮
  なつかしき 我が家の辺り )

「葛城の高宮」の所在地は一言主神社から九品寺に向かう道の杉木立の一角に
「綏靖天皇(すいぜいてんのう)葛城高宮跡地」の石碑があるあたりと推定されています。

( 仁徳天皇の浮気については「万葉集遊楽320 磐姫皇后の謎」をご参照下さい)

「 うつりゆく 雲にあらしの 声すなり
    散るか正木(まさき)の 葛城(かづらき)の山 」 
                              藤原雅経 新古今和歌集

( 空を移ってゆく雲間から 烈しい山風の音が聞こえる葛城山
 正木のかずらは この山嵐で散っているのだろうか )

謡曲「紅葉狩」にも引用されている名歌で、正木は紅葉の樹のことです。

葛城山の秋は紅葉の他ススキが美しく、冬は樹氷、初夏は一目百万本といわれる
ツツジの群生で山が赤く燃え立つなど、四季折々素晴らしい表情を見せてくれます。
山頂からの視界もきわめてよく、国民宿舎や自然研究路が整備されているので
ロープウエイで訪れる人も多いようです。

お隣の金剛山は富士山に次いで全国第2位の登山客で賑わい、特に全長45㎞の
長距離歩道はダイヤモンドコースの愛称で親しまれています。

「 金剛の 露ひとつぶや  石の上 」 川端茅舎

もろくも儚いものの代表の露の中に金剛(ダイヤモンド)の強さを見出した
作者の内面世界の啓示。
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by uqrx74fd | 2013-10-18 07:17 | 万葉の旅

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